天使再来(中編)

 

「翡翠だ」

泰継がさらりと紹介し、泰明は納得したように頷く。

「この男がそうか。驚いた…本当に良く似ているのだな」

癖のある髪を持つ友雅に対して、癖のない長い髪をした青年は、ゆったりした足取りで泰明と泰継の傍へと近付いていく。

硬直したままの友雅の前は素通りだ。

(この男……)

突如として現れた男が、噂の泰継の恋人であるということは友雅にもすぐに分かったものの、

嬉しくない予感に友雅は内心眉を顰めた。

そんな友雅の目の前で、さり気なく泰継の肩を抱きながら、翡翠は泰明に向かってにっこりと微笑んだ。

「初めまして、泰明殿。お噂はかねがね泰継から伺っているよ。

噂どおり美しい方だね。泰継とふたり並ぶと…ふふ、姉妹花のようだ」

言うことは尤もだが、あまり泰明に近付かないで欲しい。

動けない身にじりじりしながら、友雅がそう考えていると、

「翡翠」

案の定、傍らで泰継が咎めるような声を上げた。

それに、翡翠は笑って、宥めるように泰継に囁き掛ける。

「ああ、分かっているよ。泰明殿も美しいが、君が一番だ」

「そうではなく…っ翡翠!」

隙を突かれて、こめかみの辺りに口付けをされた泰継が更に抗議の声を上げると、

翡翠は楽しそうに華やかな笑い声を立てた。

(…随分と見せ付けてくれるね)

未だ思う存分泰明と仲睦まじくできない友雅には、妬ましいほど羨ましい光景である。

しかも、泰継はともかく、翡翠という男は技とそれを見せ付けているように思えてならない。

徐々に苛々を募らせていく友雅を他所に、泰明は翡翠と泰継に穏やかに微笑んで見せた。

「ふたりは仲が良いのだな」

「お褒めに預かり光栄」

「そうでもない。こら…翡翠、いい加減にこの手を離せ!」

「嫌だね」

翡翠は悪びれずに、一層泰継の華奢な身体を抱き寄せ、泰継は口では反発しながら、初々しく白い頬を染めている。

(だから、見せ付けるなと…)

しかし、その様子に泰明は更に微笑ましげに目を細め、

「いつまでも立ち話という訳にもいくまい。私の庵へ案内する故、そこで暫し休め」

そう言って細身を翻し、先に立って歩み出す。

一瞬立ち止まって、腕に抱えたいちしの花を抱えなおすと、泰継が小走りに泰明に近付く。

「泰明、私も半分持つ」

そう申し出ながら、泰継が腕を伸ばすその背後から翡翠が腕を伸ばして、泰明の腕の中から全ての花を取り上げた。

「美しき花といえど、麗しき姫君たちに荷物を持たせる訳にはいかないだろう。この花々は私がお持ちするよ」

言いながら、ちらりと背後を見遣る。

(…!)

そのとき初めて友雅は翡翠と目が合った訳だが、その余裕に満ちた、からかうような目線にカチンと来る。

 

一瞬見合った視線に火花が散った。

 

「有難う、翡翠」

「お前でもたまには役に立つことをするのだな」

「それはひどいな、泰継。私はいつだって君の為に動いているのに…」

麗しき姉妹花は一瞬の激戦に気付くことなく、また、翡翠も何事もなかったように、

穏やかに会話を交わしながら、泰明の庵に向かって歩き出す。

(ちょっと…ちょっと待って、泰継殿……泰明!)

友雅は離れていく彼らに向かって心の内で叫んだ。

 

(私を置き去りにしないでおくれ。せめて…私を自由にしておくれ…!)

 

 

「大丈夫か、友雅」

「…ああ、大丈夫だよ」

結局、途中で事態に気付いた泰明が、慌てて戻ってきて呪符を剥がしてくれたお蔭で、

友雅はやっと自由を取り戻すことが出来た。

しかし、まだ、訪れたばかりだというのに、友雅は既に身も心も疲労困憊状態である。

外観よりもずっと広々とした庵の内で、脇息にぐったりと寄り掛ながら、

気遣う泰明にどうにか微笑んで見せると、泰明はしゅんとして俯く。

「すまない、気付かずに…」

「ああ、気にしないで。泰明の所為ではないのだから」

袂を軽く掴む泰明の細い指を捉え軽く握ると、泰明が顔を上げる。

慰めるようにもう一度微笑むと、泰明もやっと表情を綻ばせた。

その淡くも可憐な微笑みに、感じていた疲労も何処かへ消え失せ、抱き締めて口付けたい衝動に駆られてしまう。

が、客人の手前、友雅はどうにかその衝動を抑えた。

 

…何よりも、泰継の刺すような視線が痛い。

 

もうひとつのさり気ないが、癇に障る視線も気になるところだが…

と、ふいに泰継が立ち上がり、友雅の傍にすっと座った。

「どうしたのかな?」

握っていた泰明の手を離し、内心身構えながら、泰継に向き合うと、同時に気付く。

こちらを見据える泰継の眼差しは相変わらず厳しいが、僅かに神妙な光がある。

そうして、居住まいを正した泰継が、

「謝るのは泰明ではない。私のほうだ。すまない、友雅。先程はやり過ぎた」

言って翡翠色の頭を下げる。

(こういうところも、泰明と似ているね)

泰継のほうが少々意地っ張りだが、基本的にふたりとも素直で潔い。

「いや、気にしないで、泰継殿。今回は不運だっただけだよ」

「そうか。そう言って貰えると有り難い」

ほっと息を吐く泰継を微笑ましく眺めていると、ピリリとこちらを刺す視線を感じた。

先ほどまでの癇に障る視線が、急にその質を変えたのだ。

(…おや?)

閉じた扇を口元に持っていきながら、不穏な気配に、友雅は僅かに秀麗な眉を顰めた。

その手のことには鈍いのも似ているのか、

「白湯と水菓子か何かを持ってくる」

と、すっくと泰明が立ち上がると、

「私も手伝う」

と、泰継も後を追うように立ち上がった。

身を翻し際に、泰継は、

「友雅。今日翡翠を連れてきたのは、実は、翡翠が友雅に会ってみたいと言っていたからなのだ。

私たちが戻ってくるまでの間、遠慮なく話をするといい」

と、言い残して去っていった。

 

後に残されるのは互いに不穏な空気を纏った男ふたり。

この前とは似て非なる局面である。

(この男が私に会ってみたいと…?)

この状況からして、どう考えても、好意的な理由からではなさそうだ。

広げた扇の蔭からさり気なく刺すような視線を寄越した相手を見遣ると、もう既に彼は友雅を見ていなかった。

脇息の上で頬杖を付いて、巻き上げられた几帳の向こう側の庭を眺めている。

こちらに視線を戻すことなく、何事かを言うこともない。

それならばこちらも沈黙を貫くまでだ。

こちらに話すべき用はないのだし、気を遣ってわざわざ場を和ませるような会話を持ち掛けるのも馬鹿馬鹿しい。

友雅も扇を拡げたまま、翡翠が見ている方向とは別の庭の景色へと視線を流した。

 

何とも重い沈黙が辺りを満たす。

(やれやれ、早く姫君たちに戻ってきて貰いたいね)

相手もそう思っているだろうが。

また、暫し沈黙の時間が流れ…と言っても、実際はそれほど長い時間ではなかったのかもしれない。

ふいに、目の前に座った翡翠が、己の長い髪の先を弄びつつ、口を開いた。

「泰継は私のものだよ」

「は……?」

唐突な言葉に、呆気に取られて友雅は思わず、ぽかんと口を開けてしまう。

一瞬後に我に返って、口元を引き締める友雅を、翡翠がちらりと冷たい眼差しで見る。

「泰継は泰明殿の話と共に良く君の話をしているよ。一見、浮薄そうだが、なかなか見所のある男だと」

泰継が自分のことをそんな風に言っていたとは意外だ。

「しかし、こうして対面してみると、とてもそうは思えないね。

こんな男よりも余程私のほうが頼り甲斐のある男である筈なのに…泰継も一体何を考えているのか……」

「あのね…」

遠慮なく貶されて、これまで積もっていた不愉快に拍車が掛かりそうになる。

しかし…

(何だ。つまりは嫉妬と言うことか?)

愛しい者の口から頻繁に聞かされる男の名に嫉妬して、敵愾心を燃やし、

実際に件の男を見てやろうというつもりでここに来たのだろうか。

(全く…分かりにくい男だ……)

苦笑して、友雅も口を開いた。

「君の嫉妬は見当違いだよ。安心するといい。君にとって泰継殿が一番であるように、私にとっては泰明が一番なのだから」

翡翠がやっと真正面から友雅を見る。

「手を出すつもりはないと?」

友雅も真っ直ぐ翡翠を見返して、きっぱりと応えた。

「当たり前だ。幾ら似ていようとも、私が欲しいのは泰明だけだ」

「私だってそうさ。欲しいのは泰継だけだ」

そう言い返して、やっと、翡翠が表情を緩め、苦笑しながら肩を竦めた。

「やれやれ、随分と見当違いの子供じみた喧嘩を売ってしまったようだ。…すまなかったね」

「いや、君の気持ちは分からないでもない。美しい恋人を持ってしまったが故の宿命というものだよ。

しかも、相手があの姫君たちときては…お互い苦労するね」

「全くだ。だが、その苦労さえも可愛いひと故と思えば、愉しいものだよ」

「そうだね、その通りだ」

そう言い合いつつ、ふたりはようやく穏やかに笑い合ったのだった。

 


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