花精雪舞(前編)

 

ふと、何かの気配に顔を上げる。

紙燭に灯された火が僅かに揺らめいた。

閉め切られた格子の外が明るくなったようだ。

陽の光ほど強いものではない。

もっと柔らかで静寂に満ちたものだ。

その正体を確かめるべく、泰明は明け方から目を通していた書物を文机の上に置いて、立ち上がる。

母屋から廂の間に出ると、下ろされた御簾の向こう側がほんのりと明るいのに気が付いた。

外だ。

確信を得た泰明は、躊躇うことなく御簾に手を掛けた。

御簾を巻き上げたとき、ふわりと舞い込んできた白いものに泰明の目が丸くなる。

御簾を潜り、簀子へと出る。

外気に晒されている板は泰明の白い素足も容赦なく冷たくしたが、泰明は頓着しない。

ただ、目の前の景色に目を奪われていた。

そこは白い世界となっていた。

庭のみならず、簀子縁さえ白く染め上げてもなお、雪華は周囲に舞い続ける。

この秋、生まれた泰明にとっては初めて見る光景だ。

「これが雪…?」

目の前の雪景色を興味深げに見詰めながら、泰明は呟く。

そうして、ふとその細い首を傾げた。

無意識に己の胸に手を当てる。

己は初めて雪を見る筈である。

それなのに、身体のうちの何処かがこの光景を知っていると訴えているようだ。

胸を占める淡い戸惑いの応えを求めるように泰明は、一歩を踏み出す。

白い世界に、鮮やかな翠色の髪と白い狩衣の袖が翻る。

 

 

「あれは…」

西の対から寝殿に向かって反渡殿を歩んでいた如月丸は、

透垣で仕切られた中庭の向こう側で閃く翠色に目を留めた。

あれは恐らく泰明だ。

この雪の降る朝に彼は一体、何をやっているのか。

溜め息を付いて、如月は渡殿をもと来た方へ戻った。

しかし、庭に面した簀子の角を曲がったところで、泰明の姿を目にした如月は思わず立ち止まってしまう。

無心な様子で空を舞う雪華に細く白い手を伸べ、追い掛ける泰明の姿。

まるで舞っているかのように見える。

雪白の世界に、彼の雪白の肌は溶け込み、解き流した翠色の髪は瑞々しく際立つ。

降る雪に興味を惹かれるまま、何の身支度もせず、庭に下りたのだろう、

地に積もった雪の合間から時折、白い踵が覗く。

身に纏うのも細身に仕立てられた、雪の下の襲ねの狩衣のみ。

裏の紅が淡く透ける白い衣の袖と裾を翻し、その下に纏った単の青(緑)を垣間見せながら、

雪と舞う泰明の姿は美しく、仄かに艶めいてさえ見えた。

一足早い梅か桜の精が雪の華と戯れる光景に魅せられ、如月は掛けるべき言葉を見失う。

ふと、泰明の色違いの瞳が簀子に佇む如月の姿を捉えた。

「如月か?」

不思議に澄んだ声音での呼び掛けに、如月ははっと我に返る。

泰明は無機質な眼差しを注いでくる。

彼の人形のような無表情を一層際立たせる顔の半分を覆う痣。

それを見て、如月は、む、と不機嫌な顔になる。

ふいと、泰明から目を逸らし、ついに一言も彼と言葉を交わすことなく、如月はその場から去った。

 

去っていく如月の丈高いが、まだ未発達の頼りなさを残す背中を、泰明は怪訝そうに華奢な首を傾げて見送る。

そのとき、ふと沸き起こった風が、雪片と共に彼の翠色の髪を巻き上げ、その細い項を露にする。

風に巻き上げられた雪の一欠けらが、白い項と艶やかな対比を為す紅の小袖の隙間から入り込み、

泰明は思わず身を竦めた。

「?」

背筋を這い上がる何かに身体が震える。

そこで、ようやく己の身体が冷たいことに気が付いた。

しかし、頬は逆に熱いようだ。

身体中の熱が首から上に集中しているようで、頭がぼうっとする。

「泰明!」

慌てたような、同時に何処か叱り付けるような呼び掛けに顔を上げると、

晴明が急いた足取りでこちらにやってくるのが見えた。

「こんな雪の中、お前は一体何をやっているのだ!」

晴明に応えようと、泰明は口を開く。

が、

「くちっ…」

返事の代わりに出てきたのは、くしゃみだった。

「?おし…くちっ…!」

「お師匠」と呼び掛けて、それが叶わず、再びくしゃみ。

「ほら、言わぬことではない。そんなところで突っ立っていないで、早く上がりなさい」

言いながら手を叩き、「式神」によって素早く用意された履物を履いて、晴明は庭に下りてくる。

歩んでくる泰明を己の着物の袖で包み込みながら、常より濃く色付いている頬に触れる。

「熱があるようだな。雪の中、そのような薄着でいるからだ。ん?履物も履いておらぬのか、全く…」

難しい顔で泰明の顔を覗き込み、目で叱り付けた後、晴明は愛弟子の細い身体を抱き上げて、邸内に戻った。

火桶で暖められた部屋に戻ると、泰明の身体は細かく震え始めた。

「寒いか?今、床の支度をするから、それまでこれを被っていなさい」

そう言って、晴明は華奢な身体を包むように、色とりどりの袿を何枚も泰明に着せ掛けた。

泰明が震えながら呟くように問いを発する。

「…これが…「寒い」と言うのか…?」

「…そうか。お前がこうして風邪を引いたのは初めてだったな」

手ずから泰明の為の寝床を用意しながら、晴明は思い出したように泰明に振り返る。

「…かぜ……?」

「そう。寒いだけでなく、身体がだるくて、頭もぼうっとするだろう?

他にも咳が止まらなかったり、腹が痛くなったりと風邪の症状は様々だが、無理をしたり、

お前のように薄着で雪が降るほど寒い戸外に居続けると、ひとは風邪を引いて体調を崩してしまうのだ」

「……しかし、私はひとではない……」

手際良く畳に褥を敷いて、綿入りの衾を拡げていた晴明の動きが、ぴたりと止まる。

「だが、お前の今の症状は風邪そのものだ。さあ、喋るのも辛いだろう、着替えて横になっていなさい。

後で消化の良いものを持ってくるから」

泰明はそれ以上、問いを重ねることなく、素直に晴明の言うことに従った。

ただ、「風邪」というものは、己のようなひとではないものでも罹る病であるらしいとだけ理解して。

泰明を寝かせて、ひとつ息をついて立ち上がった晴明は、文机の上に拡げられたままの書物を見付ける。

天文について記された書だ。

どうやら、こんな早朝から読書に勤しんでいたらしい。

愛弟子の熱心な勉強振りに、晴明は思わず笑みを零す。

晩秋辺りから、邸にある陰陽道に関わる書物を片端から読破し続けている泰明の陰陽師としての知識は、

この短期間で申し分のないものとなっていた。

晴明から直接受け継いだ呪力のお蔭もあって、式神を造り、操る術を習得するのも早かった。

恐らく春には、陰陽師として陰陽寮に出仕することも出来るようになるだろう。

それでも尚、新たな知識を得るべく、読書を怠らない生真面目さは、生来のものか。

しかし、読書の途中で、雪の降る気配に惹かれて、外へ出たのだろう。

「泰明」が雪を見るのは初めてであろうから。

薄着で雪と戯れて風邪を引き込んでしまう辺りに、熱心な勉学を経て日々怜悧になっていく知性とは裏腹の、

しかし、本来相応しいであろう生まれたての幼さが垣間見える。

そんな泰明の持つ不均衡さが面白く、また、愛おしくも思えて、晴明はまた笑みを零す。

拡げられている書物を巻き戻し始めると、

「…やめろ」

気だるそうな泰明の制止の声が入る。

「まだ、途中なのだ」

「駄目だ」

衾の下からそれを寄越せと白い手を出す泰明を一瞥して、晴明は一言の下に拒否する。

「今はおとなしく寝ていなさい。もう少し良くなったら、また持って来るから」

そう言って、晴明は巻き戻した書物を手に立ち上がった。



また、読み難いタイトルを…
え〜、今回のタイトルは「かせいゆきにまう」と読んでやってください(苦笑)。
「花精招来」「花精微睡」に続くお話です。
この設定のお話はもう書かないかも…と、自分では思ってましたが、前作から一年以上を経て再びお目見え。
一応、リクエストものも兼ねた作品のつもり(笑)です。
リクの内容は、次回に回すことにしまして…
前回から引き続いて、裏テーマは「お師匠のやっすんお飾り及び着せ替え遊び」ということで、
また、オフィシャルとは違うお衣裳をやっすんに着てもらいました♪
お師匠としては、女物のお衣装も着せてみたいようですが、動きにくくてやっすんが嫌がるので、
色とりどりの狩衣を着せ替えするだけで我慢してるようですよ…ってここでまた余計な設定を(笑)。
しかし、このシリーズ(?)の裏テーマは今後もこれで行こうと決めました♪
今回のやっすんのお衣装は「雪の下」の襲ねです。
若年の男性の場合、単は「紅」と決まっているようなのですが、それではつまらない、
と着せ替えるお師匠が仰るので(責任転嫁)、十二単の襲ね色目を参考にして「青」にしてしまいました。
で、どうせなら、ということで小袖の色も華やかに「紅」に(ホントは「白」だと思ふ…/汗)。
果たして、この色合わせはinなのかoutなのか…(アウトだろ)
でも、遙かキャラはオフィシャル衣裳からして、色合わせの決まりは無視されてますから、まあいいかなと(笑)。
やっすん、山吹色の小袖(しかも小袖なのに袖が広い…?)に黒の単だもんね…
また、以前も触れましたが、昔の色彩感覚は、現代のものと比べて、多彩且つ違っているのですよね。
当時の感覚では、↑本文の文字色を「紅」(濃いピンク?)、
この長ったらしいコメント文の文字色を「青」(緑だよな)と呼んでいたようです。
…ストーリー的なことには殆ど触れてないよな、ここのコメント……(汗)

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