月天譚 6 浮き彫りにされた草花が巻き付く優美な柱に支えられた渡り廊下を、案内の者に導かれて進む。 その白い廊下を更に眩しく美しく彩る射光に、引き寄せられるように中庭を見遣ると、 目にも鮮やかな緑に囲まれた噴水が虹色に輝く水を噴き上げている。 案内役を仰せつかった宰相が、一瞬立ち止まった隣国の使節の様子に気付き、にこやかに話し掛ける。 「どうです、我が国の王宮は?美しいでしょう?」 「ええ。繊細で優雅な意匠ですね。隣国とはいえ、我が国とは随分雰囲気が違う」 胸を張って誇らしげに言う彼の様子に微笑みながら、使節は応える。 「貴国には王宮がありましたでしょうか?」 「ええ、我が国は共和制ですので、現在は王宮としてではなく、主に国民議会を開くときや、 来賓をもてなすとき等に使用しておりますが」 「そうですか、そちらの王宮もさぞ美しいことでしょう」 「そうですね、そちらのような繊細さはありませんが、重厚且つ壮麗な建造物ですよ」 「…隣国同士でありながら、我々はこれほどまでにお互いの国のことを知らなかったのですね…… 戦ばかりで、長く国交が絶えておりました故…」 溜め息をついた相手に、使節は穏やかに声を掛ける。 「嘆かれることはありません。今からでも遅くはない。これから、お互いの国のことを知っていけばよいのですから」 「そう…そうですな。使節殿の仰る通りです」 ゆっくりと歩を進めながら、宰相は神妙に頷く。 そうして、傍らの容貌優れた使節を穏やかに見上げた。 「しかし…正直、隣国の方とこのようにお話できる日が来ようとは思っておりませんでした。 しかも、交易という形とはいえ、我が国に足りない資源を貴国が供給して下さることになるとは…… これで我が国の民も豊かになれます。 それもこれも…自ら陣頭に立って戦を止めようと尽力なされた神宮のお方と、 その方の和平を求める声に応じて下さった貴方様のお蔭……本当に感謝致しております、橘殿」 「いえ…私も、彼に救われた者のひとりですから」 「おお…そう仰って頂けるとは……」 感動して目頭を抑える初老の宰相に、思わず苦笑いを返したところで、友雅は正面からやってくる青年の姿に気が付いた。 「おや、生きておいででしたか」 残念、とでもその後に軽く付け加えられそうな言葉を掛けられ、もう一度苦笑する。 「お元気そうで何よりです、殿下」 「そのように畏まる必要は御座いません」 王弟殿下とただ一人王宮の奥まで通された隣国の使節団代表のやり取りを、 何処か不安そうに聞く宰相を宥めるように永泉は微笑む。 「宰相、心配は要りません。私はこの方とは顔見知りなのですよ。ここまでの案内御苦労様でした。 ここから先は私が案内致しますので、執務に戻って下さい」 「は…それでは」 穏やかに促す永泉と、使節に一礼して宰相は今来た廊下を戻っていく。 しっかりとした足取りで遠ざかっていく宰相の後ろ姿を見送ってから、 友雅は以前よりもやや大人びた雰囲気となった永泉へと振り向く。 「そちらの日々の政務も滞りなく動いているようですね」 「ええ。お蔭さまで大分落ち着いて参りました。そちらは?」 問いながら、永泉は案内の為に身を翻す。 「こちらも落ち着いてきました。 軍の一部にまだ、貴国と和平条約を結ぶことに対して、抵抗があるようですが、ほんの少数です。 何よりも民意が和平へと大きく傾いている。反対勢力をねじ伏せるのは容易いでしょう」 「物騒なことを仰いますね」 淡々とした言葉に、前を向いたままの永泉が微かに笑ったようだった。 「どう取り繕おうと、私は軍人ですから」 「そのようなことを聞いたら…泰明殿が悲しい顔をなされます」 「…そうですね。ですから、私の今の言葉は彼には黙っていて頂けますか?」 「さて、どういたしましょうか…」 「私は貴方が彼を悲しませるような方ではないことを信じていますよ」 「憎らしい方ですね」 悪びれることなく言う友雅に、永泉はやっと振り向き、苦笑する。 思えば、永泉とこのように話すのは初めてである。 しかし、目指す目標が同じであった故か、それとも、同じ想いを抱く者同士であるが故か… 彼とはそれほど心理的な距離を感じなかった。 そこで、友雅は半ば応えが分かっている問いを投げ掛けてみる。 「しかし、実際、貴方ならばどうなさいます?」 「どうとは?」 「少数の反対意見を持つ者を貴方ならどうするか、ということですよ」 問われて、永泉は静かに目を伏せる。 「そうですね…私一人でしたら、やはり、貴方と同じようにするかもしれません。 それが最も手間が掛からず、素早く対処できる方法だと考えたでしょう。 私も結局は、貴方同様、長く戦場に親しんできた軍人に過ぎないのです。しかし、彼は…泰明殿は違う」 「ええ。彼は生まれながらの軍人ではない。 そして、今の彼は、どんなに時間が掛かろうとも、反対意見を持つ者との争いよりも話し合いを選ぶでしょう。 現に今、彼はひとりでも傷付く者が少なくて済むよう… また、ひとりでも多くの人々が幸せになることができるよう尽力している」 「その通りです。そして、彼の成果の一部が今、形となろうとしています」 友雅の瞳が、過去を思い返すかのように細められる。 「…両国の民の幸せ……あのとき、彼にそう言われるまで、私はそのようなことを考えたことがなかった。 何かを得れば、別の何かを失う。当たり前のようにそう考えていた」 「それもまた、事実です。しかし、どちらも失うことがないよう力を尽くす前に諦めてしまっては、 先へは…希望に満ちた未来へは進めない。そのことを彼は私に、皆に示してくれた」 「…そうですね」 頷く友雅に、永泉は改まった調子で言葉を継ぐ。 「そうした努力の一端が報われるこの日を、一日も早く迎えられるよう、 私もできる限り彼のお手伝いをしてきたつもりです。 しかし、隣国内部から我々の呼び掛けに応えるよう仕向けてくれた貴方の手助けがなければ、 これほど早く実を結ぶこともなかったかもしれません。そのことは感謝しています」 「彼の願いは私の願いでもある。感謝される謂れはありません。貴方もそうでしょう?」 「…確かに」 「しかし、正直申し上げて、私は両国民の幸せなど二の次だったのですよ。 貴方はお分かりだと思いますが、私個人の願いは、もっと身勝手で単純なもの。 それを叶えるには、彼の願いを叶える必要があったというだけ。 実は、こうして皆が落ち着いてきた今も焦れて仕方がないのですよ。私の願いはまだ、叶えられておりませんのでね。 ですから、少々の無茶はお許し頂きたい」 「よくも、そこまで躊躇いなく仰られるものですね…」 少々呆れたように溜め息をつく永泉に微笑み、ふたり並んで歩を進めながら、ふと友雅は口調を変えた。 「殿下」 先程とは違う真剣な様子で、問い掛ける。 「私の願いが叶うのはもうすぐだというのに、馬鹿なことを訊くと私自身承知しているのですが、 宜しければ、応えて頂きたい。彼は…泰明はどうですか?」 永泉が立ち止まり、静かに友雅を見上げる。 「どうとは?」 「貴方から見て、彼はどのように変わりましたか?」 もう一度問われて、永泉は光差す中庭へと目を遣る。 「そうですね…貴方が初めて出逢った……月天将として戦っていた頃と比べると、彼はずっと毅くなったと思います」 「そうですか」 「しかし、変わらない部分もあります。例えば、貴方も充分お分かりかと思いますが、多くの民を思う優しく澄んだお心。 そして、眩しいほどの美しさ。いえ…今はますますお美しくなった、と言って良いかもしれません」 「それは喜ばしい。教えて頂き、有難う御座います」 「もう一つ、お確かめにならなくとも宜しいのでしょうか?貴方はご自分の願いが叶うと断言しておられますが…… あれから、さほど長いときが経った訳ではない。しかし、ひとの心が変わるには充分な時間です。 貴方がここまでやってきた支えとしていたものが、失われていはしないかと不安ではありませんか?」 再び歩き出しながら、ほんの僅かに鋭いものを滲ませて問うた永泉に、友雅は退くことなく応えた。 「どんなことがあっても、それだけは変わらないと信じておりますので。 もちろん、貴方の魅力を否定するつもりはありませんよ」 目的の部屋に辿り着いた永泉の手が、白い扉の取っ手に掛けられる。 「本当に…憎らしい方だ……」 開かれた扉の向こう側から差し込む光に、永泉の淡い苦笑が溶けていった。 王族の私室にしては装飾の少ない、しかし、品のある部屋の窓際に、瀟洒な円卓がある。 その卓を囲むように置かれた椅子に、数人が腰掛けている。 正面に座っていた人物が、逆光を背に、すっと立ち上がった。 それに応じるように、座っていた皆も席を立つ。 先に立ち上がったすらりとして華奢な人影が、卓を回るようにして、友雅の方へ近付いてくる。 「よく参られた、使節殿」 凛と澄んだ声が響いた。 開かれた窓から入ってくる緩やかな風に舞い、差し込む光に煌く翠色の髪。 得難い宝石のように輝く色違いの…瞳。 日天神の御子。 尊い身でありながら、月天将として戦に加わったひと。 何よりも、自ら先頭に立って、長く争っていた両国を和平へと導いたひとである。 目が合ったとき、彼の瞳が僅かに優しく、何処か懐かしげに揺らめいた。 「お招きに預かり光栄です。神宮の御方」 目を伏せ、軽く礼を取る友雅の前で、彼は静かに首を振った。 「ここは神宮ではない。私は貴殿と対等の立場で話したいと思っている。 故に私をそのように呼ぶ必要はない。「泰明」と…そう呼んでくれ」 「では…泰明殿」 顔を上げ、もう一度彼と視線を合わせる。 その美貌を前に、思わず瞳を細めた。 永泉の言う通りだ。 彼は…泰明は、別れる前よりも、ずっと…眩しいほどに美しくなった。 何処か儚さを感じさせる雰囲気は変わらなかったが、あのときの張り詰めたような危うさは、今はもう窺えない。 代わりにあるのは、困難を乗り越えた者のみが持ちうる自信に裏打ちされた毅さだ。 あの後、戦を終わらせる為に、泰明が取った行動は、大胆なものだった。 それまで仮面で隠していた素顔を晒して、敵味方相乱れる戦場へと乗り込み、自らの正体を明かした。 その上で真っ直ぐに、一般の兵士たちに向かって、どちらが負けることもない、和平による戦の解決を説いたのだ。 水天将、永泉の協力も得て、泰明は敵味方関係なく、絶え間ない説得を続けた。 その間、例え、敵に襲われても、自ら手にした刃で、ひとを傷付けることは決してしなかったという。 泰明の徹底した言動に、まず心を動かされたのは、日天神の御子を崇拝する天軍の一般兵士だった。 次いで、長く続く戦に疲弊していた敵国の一般兵士。 最終的に、軍の大部分を占める兵士たちが戦いを放棄し、両軍は撤退せざるを得なくなった。 そうして、この最後の戦は、殆ど犠牲を出すことなく、終結したのである。 泰明は国へ戻った後も、神宮へ篭ることなく、街へ出て民への説得を続けた。 同時に、永泉と共に、王や国の中枢人物との話し合いを進める。 また、友雅の協力を仰ぎながら、隣国の重鎮との接触を図り、恒久的な和平への道を探り続けた。 それは先の見えない不毛な努力のように見えた。 しかし、迷いなく進む美しい日天神の御子の姿に、まず、民が、次いで良心的な貴族たちが心動かされ、 隣国との和解を求める声は、反対する王国中枢の強硬派をも上回るものとなったのである。 その波は、戦の際、泰明に感化された兵士たち、或いは友雅を通じて隣国にも生まれ、 そうして、やっと両国は大きな歩み寄りを見せたのである。 その第一歩が互いの国への使節の派遣だった。 刃を振るうよりも難しい戦いを経た泰明が、今、目の前にいる。 『私は月ではない』 ふと、彼の言葉が蘇った。 その通りだ。 今の彼は陽の光の下で色褪せる月ではない。 光を浴びて、より鮮やかに輝く花だ。 言葉にならぬ衝動に突き動かされるまま、友雅は彼の前に跪く。 「…使者殿?」 突然の行動に、泰明は戸惑い、周りの側近らも顔を見合わせる。 「先ほども言ったように、畏まる必要はない。顔を……」 「いいえ。対等にお話をする前に、これだけは示しておきたい。 今、このときを迎えられる喜びを…それを齎してくれた貴方に多大なる感謝と尊敬を込めて……」 言いながら、友雅は目の前の華奢な手を取り、その滑らかな白い甲に恭しく口付けた。 絵画のような光景に、側近たちは感嘆し、永泉は僅かに苦笑する。 初めて戦に出るのみならず、民の前にその姿を晒した日天神の御子、泰明。 武人としての技倆、知略に優れた将軍でありながら、戦よりも和平を目指した友雅。 ……長く争っていた両国を和平に導き、その後の友好関係の礎を築いたふたりは、 歴史的に最も価値あることを成し遂げた英雄として、後世にその名を残すことに…なる。 |
「月天譚」完結です! この度のともやす禁断の恋は、国ごとを巻き込んで(?)、こんな形に落ち着きました。 これで、ハッピーエンド…?ですよ!(間にあるクエスチョンマークは…/苦笑) しかし、殆ど友雅氏と永泉の会話で占められてしまっている最終話です(汗)。 ラストの口付けシーンは、イメージ的には、アニメのベルばら調で!(古…) あのちょっと絵画ちっくな斜光線(?)の入ったハイライトシーンのような感じで… …って、お若い方には分からないネタかもしれませんね(苦笑)。 何はともあれ。こうして、平和になった後でも、お互い国の重要人物となっているふたり。 しかも、後世に名を残しちゃってるし(笑)。 ええと、このお話のミソはですね!ハッピーエンドを迎えても、 微妙に「禁断の恋」状態が続いていることなのですよ!! このラストだと、ふたりはお互いの立場上、気兼ねなく自由に逢うことがままならない感じです。 よって、今後とも秘密の逢瀬を重ねて頂くことに(笑)。 ……しかし、後に両国の歴史を勉強なさる学生さんたちは、 彫像にもなっちゃってる(?)英雄ふたりが、のっぴきならない恋愛関係に陥っていたとは、 想像もしないことでしょう、ふふふ…… そこまで、想像を巡らすことが出来るのは、妄想力豊かな腐女子のみ(笑)。 …な〜んて、妄想すると楽しくなってきます♪(アホや) 長編パラレルとなりましたこの「月天譚」。 最後までお付き合いくださった方、お疲れ様でした!!そして、有難う御座います〜っ!! そして、リクエスト下さいました寿様、長らくお待たせ致しました!(汗) こんなラストで御座いますが、宜しければお納め下さいませ…(平伏) さて。 こんなラストじゃ物足りない!ともやすらぶらぶシーンが欲しい!(笑)と仰られる方! …というか、私が物足りない気がしたので、おまけを御用意しました!!→「月下夜話」 タイトルそのまま。夜のふたりの会話…だけ?ですので、やっぱり、御期待に反するものかも……(汗) 前へ 戻る