Blue 〜innocence

 

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 イノリの姿が見えなくなると、泰明は訝しげに友雅に問うた。

「どうしたのだ?」

「どうしたのだって、先程イノリが言ったように迎えに来たんだよ。

こんな夜中に黙ってひとりで外出などしないでおくれ。何かあったらどうするんだい?」

「問題ない。万が一の時の備えはしている」

 細い腰に提げた拳銃を示した泰明に、友雅は少々大袈裟に眉を顰め、子どもを諭す口調で言葉を返した。

「それでも、だよ。君が危険な目に合うかもしれないと私たちを心配させることには変わりないのだからね。

皆君を大切に想っているんだ。そんな私たちの身にも、少しはなっておくれ」

 その言葉に、泰明ははっと瞳を見開き、悄然とした。

「すまない。軽率だった」

 従順な反応に、すぐに友雅は表情を緩める。

「分かってくれたのなら、良いよ。では、帰ろうか。皆寝ずに君のことを待っている。帰ったら、皆にも謝るように」

「分かった。そうする」

 頷いた泰明に微笑み返し、友雅は泰明の手を取り、細い指に指を絡めて歩き出す。

 子どものように手を引かれて、泰明は一瞬、何か言いたそうな顔をするが、

心配を掛けたという負い目もあってか、結局何も言わず、友雅に導かれるまま、後を付いていく。

 

 暫くすると、友雅がさり気なく口を開いた。

「ところで、イノリとは何を話していたのかな?」

「…あ、ああ。明後日の作戦にイノリが協力すると言ってくれたのだ」

「ふうん。それはイノリに、レジスタンスに加わる意思があると受け取って良いのかな?」

「良いと思う。少なくとも私はそう受け取った」

「そう。それは心強いね」

「そうだな。イノリが仲間に加わってくれるなら、一般民の同志をより集めやすくなる」

「それだけ?」

「どういう意味だ?」

 首を傾げる泰明に、友雅は笑顔のまま、やんわりと問いの続きを口にする。

「イノリと話したのはそれだけ?」

「それは…」

 問われて泰明は逡巡する。

それだけではない。

 河井のことがある。

 恐らく、河井を殺したのは…

 しかし、そのことは例え、友雅が相手であっても、口にすべきではないだろう。

 少なくとも、イノリに確かな許可を得るまでは。

「…今、ここで言えるのは、それだけだ」

「おや、君は私に隠し事をするのかい?」

泰明の応えに、不意に友雅が振り向いて、握った手を引いた。

「……っ」

「気になるね。君とイノリがどのような秘密を共有しているのか。…妬けるよ」

 引き寄せられ、笑みを宿した碧い瞳に覗き込まれて、泰明は落ち着かない心地になる。

「何を言っている。口に出来ないのは、秘密だからではない」

「君が言うのだから、嘘ではないのだろうけれど…どうしても言えない?」

 問い詰める言葉の割には、友雅の泰明を見る眼差しは優しい。

 甘くすらある。

 だが、泰明の手を握る友雅の力が、ほんの僅か強くなった。

 その甘い脅迫に負けぬよう、泰明はきゅっと唇を引き締めてから、開く。

「言えない」

「そう」

 きっぱりと拒絶しつつ、僅かな緊張の為か、仄かに頬を染めている泰明の様子に、友雅は目を細める。

そうして、あっさりと身を離したかと思うと、技とらしく溜め息を吐いてみせた。

「君は私よりもイノリが大事なのだね…」

「友雅!お前はまだそのような意地の悪いことを…!」

 眼差しの束縛から解放されて、安堵したのも束の間、そのように言われて、泰明は思わず友雅を睨んでしまう。

 すると、友雅はにっこりと笑ってこう言った。

「今ここで、キスをしてくれたら、もう問い詰めるのは止めにするよ」

「!」

 泰明は呆れ顔で友雅を見る。

 ここに至って、友雅が泰明の反応を面白がって、ふざけているだけなのだと気付いた泰明だったが、

友雅は泰明にキスを要求すると、その場に立ち止まってしまった。

 握っていた泰明の手も、やんわりとではあるが、振り解けないようしっかり指に指を絡めて、離そうとしない。

 観念した泰明は溜め息を吐く。

「お前は時折、子どものような我儘を言うな…」

「君が相手だからさ」

 泰明が相手ではなかったら、ここまで我儘にはならない。

 悪びれずに言って、友雅は握っていた手を離し、代わりに細い腰を引き寄せる。

応えるように、友雅の首に腕を回した泰明は、微笑んだ唇に、羽のように軽く己の唇を触れさせた。

「…物足りないな」

「少しは我慢をしろ」

 

 

 砂塵を蹴立てて、車が軍第四基地の入口に停まる。

 そこには既に、基地の責任者である将校以下数名の出迎えが整列して待ち構えていた。

 車から永泉が降り立つと、将校が進み出て丁重な挨拶をする。

「ようこそ、いらっしゃいました、永泉様」

「こちらこそ、お出迎え有難う御座います」

 軽く頭を下げて応える永泉の背後に、さり気なく警護役に扮した頼久と天真が立つ。

 ふたりとも黒いスーツに黒いサングラスを掛け、髪も黒く染め、頼久は長い髪をしっかりと撫で付けて首の後ろで纏めている。

 そして…

「こちらの方は…」

 永泉の後に続いて車を降り立った人物に、将校がやや呆然としたような口調で問う。

 白いスーツを纏った、ほっそりと背の高い女性。

 鍔広の帽子を被り、薄く色の入ったサングラスを掛けている為、容貌ははっきりとはしない。

 しかし、白い袖から出ている上質なスーツの滑らかな生地より尚滑らかで白い手の肌理細かさと、

華奢な細身を腰の辺りまで覆う長い黒髪の艶やかさから、その美しさは充分に見て取れた。

 将校を始めとした出迎えに居並ぶ軍人らは、すっかり目を奪われている。

「あ…はい、こちらは私の知り合いのご婦人で…基地の視察に興味がおありとのことで、お連れしました…」

 僅かに頬を染めて紹介する永泉の様子から、将校は永泉が特別懇意にしている女性なのだろうと察する。

 永泉が恐縮した様子で将校に問う。

「申し訳ありません、御迷惑でしたでしょうか?」

「いいえ、そのようなことはありません。永泉様の親しい知人でいらっしゃるなら、心より歓迎いたします」

 将校がそう応えると、永泉はほっと安堵の息を吐いて、再び申し訳なさそうに口を開く。

「有難う御座います…序でに…と申し上げては失礼ですが、この方のお名前は伏せさせていただいても宜しいでしょうか?

出来れば、お顔の方も…」

 奇妙な申し出に、将校は眉を顰める。

「それは…どういうことでしょうか?」

「不審に思われるのも分かります。

ですが、この方は、女の身で軍事基地に興味を持つなどということが世間に知られては恥ずかしいと仰るのです…

我儘を申し上げて申し訳ありませんが、どうか私に免じて…」

 ひたすら恐縮して請う永泉を前に、将校は考える。

 ふと、視線を背後にやると、件の女性が僅かに会釈をし、帽子の下から覗く紅の唇を僅かに綻ばせた。

 その笑みの美しさと品の良さから、身分卑しからぬ女性なのだろうと想像する。

 また、永泉は御門の弟だ。

 彼の願いを頑なに拒否して、下手に波風を立てるのは、得策ではない。

 それに、たかが四五名の視察団だ、一人くらい素性の知れない者、しかも女性を迎え入れたところで、何が出来る訳でもないだろう。

 そう結論付けた将校は、永泉に向かって頷いてみせた。

「分かりました。それでは、今回だけ特別に許可致します」

「有難う御座います…!」

 永泉が心底安堵したような口調で言い、後ろの女性も丁寧な辞儀をした。

 二人の背後に控えた頼久と天真がそれと分からぬようさり気なく目を見交わす。

 白いスーツを着た女性は、実は泰明である。

 蘭救出後、基地からの脱出が、計画通りにいかなかった際には、蘭と入れ替わる為、

女装をして、髪を黒く染め、可能な限り容貌を隠している。

 それでも、滲み出る美しさは隠せなかったが、何とか、泰明の容貌を暴かれずに基地に入ることが出来た。

 取り敢えずは、第一関門突破だ。

 

 しかし。

 将校に導かれて、扉が固く厚い鉄製であること以外は、ホテルの正面玄関とそう変わらない入口から基地に入った視察一行は、

広々としたホールで思ってもみなかった人物と見えることになった。

 泰明を始めとした一同は、思わず息を呑む。

(…将軍アクラム!)

「閣下」

 将校以下、軍人らがアクラムに向かって、一斉に踵を合わせて敬礼する。

 彼らを冷たい眼差しで一瞥したアクラムが、こちらに気付き、美しいが何処か嘲りを含む笑みを浮かべ、永泉に話し掛けた。

「これは、殿下。お久し振りですね。ご健勝のようで何より」

「…は、はい。お蔭様で。お邪魔致しております、閣下」

 表情が強張ってしまいそうになるのを堪え、永泉は何とか平静を装って応えた。

 それに気付いているのか否か、アクラムは底の知れない笑みを浮かべたまま、会話を続ける。

「基地の視察ですかな?」

「は、はい。御門の代理で私が参りました」

「ええ、存じておりますよ。さしたる見所のない基地ですが、どうぞゆっくりと御覧になっていって下さい」

「有難う御座います」

 不意に、アクラムが小さな笑みを零した。

「先程は一体何に驚いておられたのですかな?」

「い、いえ…閣下は疾うに本部へお戻りかと思っておりましたもので…」

「ああ、そうでしたか。予定を変更したのですよ。少々気に掛かることがありましたのでね」

「そ、そうでしたか」

「予定より遅れましたが、これから、本部に戻るところです。満足なもてなしも出来ずに申し訳ない」

「いいえ、どうかお気になさらずに」

 そのとき、アクラムが流れるように永泉の背後へと視線を向けた。

「ところで、そちらのご婦人は?」

「あ…こちらは、私の知り合いの…」

 永泉が先程と同じ紹介をする間、アクラムはずっと泰明を見詰めていた。

 目を合わさぬよう、帽子の下で俯いていた泰明だったが、それでも尚、視線の強さを感じる。

 何故か息苦しい。

 永泉が紹介を終えるのに合わせ、泰明が僅かに会釈をすると、アクラムが微笑した。

「お美しい方だ」

「…!」

 思わず息を呑んで顔を上げた瞬間、目が合ってしまった。

その青い瞳に、直接瞳を射抜かれた気がして、泰明は咄嗟に目を逸らす。

 見抜かれてはいない筈だ。

 しかし…

 早まる鼓動を制御できずに、泰明が思わず唇を噛み締めたそのとき、アクラムが視線を外したのを感じた。

「それでは、私はこれで失礼致しますよ」

「は、はい。お気を付けてお帰り下さい」

 随人を従えたアクラムは、永泉らの脇をゆっくりと擦り抜け、玄関へと去っていく。

 黒い軍服に眩しいほど映える金の髪を背に揺らす後姿を目の端で見送りながら、泰明は小さな息を吐いた。

「では、永泉様。こちらへ」

 将校に促され、視察一行は、アクラムとは反対方向へ再び歩き出す。

「…大丈夫か?」

 それとなく気遣わしげな眼差しを向けてくれていた皆を代表するように、天真が背後から囁き掛けてくる。

 それに僅かに頷いて応えながらも、泰明は訳の知れない胸騒ぎを覚えていた。

 


to be continued
前半は「ともやすちょこっとらぶ」改め、「ともやすそこそこらぶ」となりました(笑)。 しかし、某所で予告していた「意地悪な友雅氏」というより、「子どもっぽい友雅氏」だな、こりゃ(苦笑)。 既成事実(?)としては、軽いキスだけだし。 書いてる本人はとっても気恥ずかしかったのですが、御覧下さる方には期待外れかも知れません、すみません…(汗) ちなみにうちの姫が仕掛けるキスは大抵軽いです(笑)。 そして、後半…6話目にしてやっと、蘭救出作戦決行です。 やっすんは謎の(?)貴婦人として基地潜入! しかし、こちらもやっとの(苦笑)アクラム登場によって、嵐の予感? まあ、アクラムが出てきたとはいっても、今回はあまり表立っては動かないのですが。 裏では…どうかなぁ?(思わせ振り) back top