Blue 〜innocence〜
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イノリが途中で帰ると言い出したので、泰明はひとりでレジスタンス本部へ戻った。
集合場所である最上階の会議室を覗くと、既に鷹通と詩紋が交渉を終えて戻ってきていた。
「どうだった?」
「ええ、思った以上に、事は上手く運びそうです」
「うん、僕の方も、きちんと話を聞いて貰えましたよ」
泰明が声を掛けると、鷹通と詩紋が笑顔で応えた。
「泰明殿の方は如何でしたか?」
「まだ、協力の確約を取り付けた訳ではないが、手ごたえはあったと思う」
「それは良かった。ところで…イノリ殿は?」
満足気に頷いた鷹通がふと気付いたように、泰明に問う。
「ここに戻る途中で別れた。私が不用意な言動をして、怒らせてしまったのかもしれない」
「そのようなことはないでしょう。きっと何か急な用事を思い出されたのですよ」
心なしか気落ちした風情で、長い翡翠色の睫を伏せる泰明を、鷹通は優しく宥めた。
やがて、幹部メンバーが全員戻ったところで、簡単な報告がなされたが、当初の予想に反して、皆概ね良い成果を得てきていた。
泰明が対面した白川のように、返事を保留にする者が殆どではあったが、何らかの協力は期待できるだろう。
皆の報告を聞き終えた友雅が口を開く。
「…時期が来ているのかもしれないね」
多くの民が、軍の圧政に耐えかねている。
膨れ上がる民の不満や怒りが暴走する前に、レジスタンスが確かな道筋を示すことが出来れば、軍を打倒する大きな力となるだろう。
友雅の言に、皆が表情を引き締めて頷く。
「しかし、こちらも協力すると申し出る者なら誰でも仲間に引き入れる、という訳には行かない。
相手が本当に協力をする気でいるのか、信じるに足る人物であるのかを、確かに見極めてからでなければね。
そこで、新たにここに出入りする人間は、手間を惜しまずに、私たちが直接面談することにしよう。
少なくとも、ふたり以上で面談し、慎重に相手の見極めをすること」
「OK」
「承知しました」
報告と新たな指示が一通り終わったところで、鷹通が話題を変えた。
「さて、もうひとつの急務であるところの、蘭殿の救出の件ですが…」
天真がはっと息を呑み、張り詰めた眼差しで鷹通を見据える。
「明日、将軍が例の特殊軍基地…第四基地から本部に戻るそうです」
「かねてよりの作戦を決行する時が来たということだね」
「はい。軍に新たな動きがなければ、明後日に決行したいと思います。そこで、改めて作戦の確認と、細かな詰めをさせていただきたいのです」
皆が頷くのを待って、鷹通は言を継ぐ。
「まず、基地の視察という名目で、御門の代行として、弟君であられる永泉様に、基地へ赴いて頂きます」
永泉が真剣な面持ちで頷いてから、口を開く。
「この作戦には、蔭ながら御門にもご協力を賜っております。
基地には既に、御門から、代理として私が視察に赴く旨の知らせが行っており、許可も頂いております」
「天真殿には、その視察一行に混じって頂くことになります。その際は、永泉様の護衛役になって頂くのが一番自然だと思うのですが…」
「ああ、分かった。それでいい」
天真がぐっと拳を握り締める。
「そして、もうひとり…敵地潜入には欠かせない方にも、ご同行願わなくてはならないでしょう」
そこで、一旦言葉を切った鷹通は、一瞬躊躇うような間を置いた。
その間を突くように、泰明が躊躇いなく口を開く。
「私だな」
「…はい。軍用サーバーにアクセスできる泰明殿は、基地潜入には不可欠な方です」
「…すまない、泰明」
天真が凛々しい眉根を強く寄せて、苦しげに言う。
その表情には、自分の願いの為に、大切な想い人を敵地へと連れて行かねばならない苦渋が滲んでいた。
そんな天真に、泰明は白い美貌に不敵な笑みを閃かせてみせる。
「何を謝る?私の能力を最大限に生かせる願ってもない機会だというのに」
「…言ってくれるぜ」
天真に負い目を感じさせないよう気遣っての泰明の言葉に、天真は僅かに微笑み、技と素っ気無い台詞を吐いた。
再び鷹通が口を開く。
「永泉様は、あくまでも御門代理として振舞わねばなりませんので、蘭殿救出に表立って動くことは出来ません。
ですから、あともうひとり、ここにいるメンバーのうちの誰かに行って頂く方が良い。
そう…やはり、天真殿と同じく、護衛に紛れるのが妥当でしょうね。そうなると、相応しいのは、友雅殿か頼久殿、ということになりますが…」
「友雅は駄目だ。友雅にはここに残って、敵味方の動き全体を見ながら、都度適切な指示を出して貰わなければ」
「おや、つれないね、泰明。姫君を敵地に乗り込ませるというのに、その帰りをただ待て、と私に言うのかい?
…とはいえ、行く先が特殊軍基地となれば、知り合いも多そうだ。残念だが、ここは姫君の意向に従った方が良さそうだね」
溜め息を吐いた友雅に、頼久が申し出る。
「私が行きましょう。恐らく私が行く方が、友雅殿が行くよりも素性を知られる危険が少ない。いざとなれば、泰明殿は私がお守り致します」
「では、今回ばかりは姫君の騎士役を君に譲ることにしようか。頼むよ、頼久」
「なっ…!俺だって、泰明が危険な目に遭わないようにすることは出来る!!」
外された天真が、向きになって意見するが、それは他意のない泰明によってあっさり却下されてしまう。
「いや、天真は妹の救出に集中した方が良い。他のことには気を散らすな。
頼久も天真の手助けに集中してくれ。心配せずとも、私は己の身は己で守る」
「そりゃ、そうかもしれないけどよ…」
「…そうですか。余計なことを申しました」
凛々しく断言する泰明に、天真はぼやくように言い、頼久は苦笑しながら、謝罪する。
他の皆も、頼久と同じように、苦笑している。
問題は泰明が実際に自身を守れるか否かではない。
想う相手を何としても守りたいという男としてのプライドの問題である。
しかし、皆に想われている自覚のない泰明がそれを理解できる筈もなく、
皆の反応に、己は何かおかしなことを言ったかと泰明は首を傾げるばかりであった。
鷹通が口調を改めて、話を纏める。
「では、基地潜入のメンバーは、永泉様、泰明殿、天真殿、頼久殿の四名ということで、お願い致します。
万一のことも考えて、頼久殿と天真殿には、ちょっとした変装をして頂いたほうが宜しいかと思います」
「そうだな、一応は」
天真と頼久が頷く。
そのとき、おとなしく話に耳を傾けていた詩紋が疑問の声を上げた。
「あの、泰明さんはどうするんですか?頼久さんと天真さんと同じ護衛役なんですか?でも、そうすると…」
鷹通が困ったように頷く。
「ええ…泰明殿の護衛役としての能力には、勿論問題はありませんが、護衛役として潜入するには聊か目立ち過ぎますね。
泰明殿は護衛役にしては、細身で華奢でいらっしゃいますから」
「そうなのか?」
自分の容姿には全く無頓着な泰明はきょとんとした顔をした。
鷹通が軽く咳払いをして、言を継ぐ。
「そこで、考えたのですが…蘭殿救出後のことも考え合わせるとどうしても、この案しか思い浮かばず……
泰明殿には何度も申し訳ありませんが…」
歯切れ悪く話す鷹通の頬が、赤くなっている。
既に、鷹通から案を聞かされているのだろう、友雅は愉しげな笑みを零す。
「ただ、誤解しないで頂きたいのですが、これは別に私の趣味という訳ではありませんので…!」
「?」
「何度も…ということは…」
「まさか…お前…」
ある一件を思い出した頼久と天真が、首を傾げる泰明より先に、鷹通の言わんとすることを察した。
「また、泰明に女装させんのか?!」
「えぇっ?!」
天真の大声に、当の本人を他所に、永泉と詩紋が驚きの声を上げた。
深更。
ひとり外へ出たイノリは、時折現れる見回りの軍から身を隠しながら、件の通りへとやって来ていた。
やはり、足を踏み入れるときには、一瞬竦んだが、思い切って踏み出す。
人気の全くない路地の一角に、花束が置かれている。
その前に、ジーンズのポケットに手を入れて、イノリは暫く佇んでいた。
やがて、近付いてくる密やかな足音に気付いて振り向くと、見知ったほっそりとした姿があった。
「イノリか」
「…ああ、あんたか。どうしたんだよ、こんな真夜中に」
「これだ」
イノリの問いに、泰明は手にした造花を翳して見せた。
「どうしたんだよ、それ…」
「作った」
「作ったってお前が?いや、聞きたいのはそれじゃなくて、何でわざわざお前がそんなもの作って持って来るんだよ?
こんな…見も知らない奴の為に…」
「河井の為ではない。また、残された河井の妻子の為でもない。敢えて言うのなら、己の為だ。
河井の死を残念に思う己を宥める為に、献花をしに来た」
言いながら、泰明は跪き、河井の妻が捧げた花束に添うように、己の花を置いた。
朧な灯りに映える白い指先。
その行為は、当り前のように人の命が失われていくこの世界で、
せめて自分の目に届く限り、失われる命を悼み、その重みを噛み締めようとするかのように見えた。
それが泰明の言うただの自己満足なら、ここまでのことはしないのではないだろうか。
見ない振りをして、人の死に無頓着である方が、遥かに楽であるからだ。
河井のように、ただ、自分と自分の大切な人々だけを気遣い、守るだけの方が。
しかし、今目にしている泰明の行為は、イノリには、とても優しく、尊いものに思えた。
目前にある事実をあるがまま、目を逸らさずに、まっさらな心で受け入れている。
そのとき、跪いたまま振り向いた泰明が、すい、と手に残した花をイノリに差し出した。
献花をするかどうか、訊かれているのだと気付いたイノリは、覇気のない口調で応える。
「いや、俺はいい。俺には…その資格がないから……」
「…そうか」
元々無理強いするつもりはなかったのだろう、泰明はあっさりと差し出した花を引いた。
イノリの言葉をどう受け取ったものか、夜の暗がりで、その肌の白さだけは際立っていたが、細かな泰明の表情までは良く見えない。
だからなのだろうか、言うつもりのなかったことが、イノリの口から零れ出る。
「ここで死んだ奴は…河井は、お前がここまでしてやるような奴じゃないんだ。
こいつは、自分と自分の家族可愛さの為に、兄貴を軍に売ったんだ。
仲間だった兄貴の居場所を軍に教えて…その所為で兄貴は殺された。だから、俺は……」
「イノリ…」
名を呼ばれて、イノリは、はっとして口を噤む。
見詰められている気配。
きっと泰明は、綺麗な色違いの瞳を驚きに瞠っているに違いない。
目を合わせるのが怖くて、イノリは俯く。
しかし、泰明はイノリの告白に対して、深く追及しなかった。
代わりに、イノリの耳に落ち着いた涼やかな声音が触れる。
「過ぎたことは変わらない。やり直すことも出来ない。
だが、己の為したことに胸が痛むのならば、逆らわずにその痛みを認め、受け入れれば良いと思う。
時には辛くとも、そうすることにはきっと意味がある」
そうして、次には、間違えずに、己の心に従って、動けば良い。
言いながら、泰明はもう一度イノリに花を差し出した。
思わず顔を上げると、路地に零れる淡い窓灯りに、イノリを見上げる泰明の顔が白く浮かび上がっていた。
淡い笑顔にも似た柔らかな表情。
澄んだ宝石のような瞳は灯りに煌き、花弁のような唇は僅かに撓められて柔らかな曲線を描いている。
そんな泰明を見ていると、この世にはないと思っていた綺麗なもの、真に無垢なものを信じたくなってしまう。
同時に、泰明のように振舞うことは、ただ無垢なだけではなく、毅くなくてはできないことだとも感じた。
真に無垢であるということは、ただ穢れを知らないということではなく、
穢れの中にあっても尚、清らかさを失わないでいられることではないだろうか。
本当に綺麗なものは、汚泥の中でこそ、より輝くものなのかもしれない……
イノリは戸惑いつつ、花を受け取る。
そうして、躊躇いながらも、その花を死者に献じた。
そうすると、ほんの僅か、胸がすっと軽くなった気がした。
単なる自己満足に過ぎない行動だとは思うが、それでも良いという気になる。
「そうだ、泰明。これからのレジスタンスの活動予定はどうなってるんだ?」
つい先程とは打って変わった張りのある声で問うイノリに、泰明はやや驚いたようだったが、
素直に、明後日に天真の妹を救出する作戦を決行することを伝えた。
「そっか。じゃあ、明後日には俺も、本部に行く。そん時に、俺にできることがあれば、言ってくれ」
そう言うことで、イノリは、レジスタンスの存在を認め、そのメンバーに加わる意思を伝えたのだった。
帰る為に泰明が立ち上がると、イノリが言った。
「これからひとりで帰るのか?夜は物騒だぜ。何なら俺が送ってくよ」
「いや…」
急に壁が取り払われたかのようなイノリの気安い口調に、少々面喰いつつも、泰明は首を振った。
その泰明の耳がちょうどこちらに近付いてくる耳慣れた足音を捉える。
同じく、足音に気付いて振り向いたイノリは、軽く肩を竦めた。
「何だ、迎えがあったのか。じゃ、俺が送ってく必要はねえな」
「お邪魔をしたかな?」
泰明の迎えに現れた友雅が、穏やかに問う。
「いや、話はもう終わった。詳しいことは泰明に訊いてくれ。じゃ、またな、泰明!」
威勢良く友雅の問いに応え、最後に泰明に声を掛けて、イノリは路地の入口に佇む友雅の脇を擦り抜けて駆け去っていった。
そんな訳で、次回よりやっと、蘭救出作戦に入ります。 冒頭に、「ともやすちょこっとらぶ」(笑)もありで。 そして、作戦では、やっすんの女装再び。 ↑で鷹通自身が言っているように、彼の趣味ではありませんが、作者の趣味ではあるかもしれません(笑)。 あ、でも、私はやっすんの女装は好きですが、女装ネタ自体はそんなに好きでもないです。 だって、やっすんは女装であろうと男装(?)であろうと、 綺麗でかわゆいのには変わりありませんからね!!(いつものが出た/笑) それはともかく、今回は敵地潜入が目的なので、「ray」でのような華々しい女装にはならないと思います。 なので、過度な期待は禁物です(苦笑)。 いのやすの件は、もうちょっと長引かせようかと思ったのですが、 収拾が付かなくなりそうだったので(苦笑)、この辺りで纏めてみました。 イノリってあんまり、マイナスの感情を長引かせないタイプだと思いますしね。 物足りない方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません(汗)。 back top