Blue 〜innocence

 

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 鷹通は詩紋を伴い、自分の屋敷に戻った。

 書斎での資料探しの為である。

 詩紋の持っている治癒能力を生かすには、更にその能力を伸ばす必要がある。

 屋敷を出る際に、必要になりそうな資料は、データ化して持ち出していたが、

流石に超自然的なものに関する資料が必要になるとは、そのときは想定していなかったのである。

 

 仕えてくれていた使用人の多くに暇を出したので、屋敷の中は以前よりも人が少なくなっている。

 今も残る使用人の殆どは、この屋敷に代々仕え、自らの意思で、残ることを選んだ頼もしい者たちだ。

 …僅かながら、暇を出されても他に働き口のない身の上の者もいるが。

 書物を開きながら、鷹通は僅かに知的な凛々しさのある眉を顰める。

 軍部の圧政により、軍と結んだ特権階級と、下層階級との貧富の差は拡大している。

 一般民の間でも、働きたくても働けない、働いても充分な生活費が得られない、という人々が増えてきているのだ。

 望んだことではないとはいえ、自分もまた、一般民を苦しめている特権階級の一員なのだと思うと、いたたまれなくなる。

 

 ふと、目の端に、美しい青が映り込む。

 惹きつけられるように顔を上げると、そこに青い空と海の写真集があった。

 泰明に贈った物だ。

しかし、大判の書物なので、気軽には持ち歩けない。

 そこで、全ての決着が付くまでは、とこちらで預かることにしたのだ。

 青い空と海、それらと鮮やかな対照を成す白い雲。

 それらを見詰めていると、この写真集を開いている泰明の姿、表情が、脳裏に鮮やかに甦った。

 澄んだ美しい瞳を更に美しく煌かせ、可憐な唇に仄かな笑みを浮かべて、過去の空と海の記憶に見入る姿。

 その残像に、鷹通は思わず微笑み掛ける。

そうして、決意を新たにして、再び視線を元の書棚に戻した。

 現状は厳しい。

 だからこそ、人々を圧政から解放して、誰もが幸せに暮らせる基盤を整えられるよう、何とかして、道を切り開かなければ。

 あの美しく、優しいひとが、本当の空と海を見て、微笑むことが出来るように。

 

 超心理学、心霊研究、催眠研究、果ては宗教学、脳科学に到るまで、あらゆる分野の書物を片端から紐解いて、

関わりのありそうな情報を改めて探す鷹通の傍らで、詩紋は所在無げに佇んでいた。

 役立ちそうな資料をデータ化しようと、書斎の机に設置してあるパソコンを立ち上げようとしたところで、

やっと鷹通は、詩紋の様子に気付いた。

「…ああ!すみません、詩紋殿。随分と退屈されたでしょう?」

「あっ、いいえ」

「どうぞ、ご自由に書物を閲覧して下さい。宜しかったら、興味のある物はお貸ししますよ」

「有難う御座います。でも、それはまたの機会があったらにします。それよりも今は、僕の能力に関することの方が気になって…

すみませんが鷹通さん、その本を見せて貰っても良いですか?」

「ええ、勿論」

 鷹通は該当する頁を開いたままで、詩紋に差し出した。

「こちらの瞑想法などは、訓練に役立つと思うのですが、詩紋殿ご自身は、どう思いますか?」

「そうですね…でも、結果が出るのに、時間が掛かるんじゃないでしょうか?」

 出来るだけ早く、皆の役に立てるようになりたいのだと言う詩紋に、鷹通は考え深げに言葉を紡ぐ。

「短期間で能力を伸ばす策としては、他に、能力を発揮している時の脳波を調べて、何処の部位が反応しているかを分析してから、

そこに電気的な刺激を与える…というものでしょうか…詳しくはこちらの書物に記してあります。

しかし、私は専門家ではありませんし、何より、この方法は、貴方に負担が掛り過ぎる。

皆の役に立ちたいと言う貴方の決意は尊いものですが、無理はいけません。地道にやっていきましょう」

「……はい」

鷹通の意見に、詩紋は俯いて頷いた。

「とはいえ、こちらも資料として必要となる時が来るかもしれません。データ化して持ち出しましょう」

 そのような会話を交わしていると、不意に、書斎壁面の端末が音を立て、画面に執事の顔が映し出された。

『失礼致します、旦那様。お客様が見えられています』

「客?」

 鷹通は思わず、怪訝そうな声を上げる。

 この屋敷にいること自体が少なくなった自分をわざわざ訪ねてくる客人に、心当たりはなかった。

「客人はどのような方だ?」

『少年です。詩紋殿と同じくらいのご年齢かとお見受けしました』

 その応えに、鷹通はますます首を傾げる。

 傍らで詩紋が不安げに青い瞳を瞬かせている。

「どのような用でいらしたのか、言ってはいなかったか?」

『はい。話は会ってからだと仰って。ただ、瀬里沢からの遺言で来たとだけ…』

 その言葉で、鷹通ははっと息を呑む。

『如何致しましょう?』

「急いでこちらにお通ししなさい」

 そう執事に指示して、鷹通は椅子から立ち上がった。

 

 通されてきたのは、緋色の髪の少年だった。

「あんたが藤原鷹通?」

「ええ、そうです。君は?」

 少年は手にしたマイクロメディアを差し出す。

「瀬里沢信の遺言で、あんたにこれを渡しに来た身内だよ。あんたもジャーナリストなら、知ってるだろ?瀬里沢が死んだってことは」

「…ええ、大変残念なことです。ところで、これは…?」

「瀬里沢が今まで軍に関して集めた情報と、それを一般民の間に効率良く流す為に構築したルート、

その主要な要となる各地区の実質的なまとめ役のリストだ」

「…!」

 それは、レジスタンスの存在を表立たせることなく、一般民に知ってもらう為には、是非とも必要な情報だった。

 瀬里沢の協力が得られなくなった今、一から情報ルートを構築せねばならず、

しかし、それには様々な問題もあって、鷹通の頭を悩ませていたことのひとつだった。

「…このように重要な情報を何故、私に?」

「さあな。貴族を信じるなんて馬鹿げてると俺は思うけどな。でも、これをあんたに渡すことが瀬里沢の遺言なんだ。

自分にもしものことがあったときは、このデータを渡してくれって。

貴族出身ということを差し引いても、今この国の現状を憂えているジャーナリストの中で、あんたが一番公正で信頼できる人間だって言ってた」

「……」

 思わぬ言葉に、鷹通は一瞬言葉を失う。

 瀬里沢が自分をジャーナリストとして、そこまで評価していてくれたとは。

 そのことを知ると尚更、彼と手を携える機会が得られなかったことが、惜しく思われてならない。

 せめて、彼が残した情報を有効に生かすことが自分に出来る最大限のことだろう。

 少年が無造作に差し出すメディアを鷹通は慎重に受け取った。

「有難う御座います。頂いた情報はけして無駄にはしません。お約束します」

 心の篭った言葉に、少年はやや意外そうに目を瞠る。

「あんた、貴族の癖に随分腰が低いんだな」

「そうでしょうか」

 率直な言葉に鷹通は苦笑する。

 そんな様子を、少年は注意深く眺めている。

 意志の強そうな眉と、同じく意志の強さを感じさせる緋色の瞳。

 ふと、彼と目が合って、鷹通の背後にいた詩紋は、睨むような強い眼差しに少し動揺しつつも、軽く会釈をした。

 少年は、固そうな髪を乱暴に掻き混ぜるようにしながら、口を開いた。

「ま、それはいいや。これをあんたに渡せば、瀬里沢の遺言は果たされたことになる。

けど正直、俺の気持ちとしては、こんな重要な情報を貴族のお前に渡して終わりにはしたくない。

俺はあんたのことをよく知らないし、信用してもいないからな。そこで、だ」

 そこまで言って、少年は挑戦的な眼差しで鷹通を見上げた。

「あんたがその情報をどんな風に使うのか、見届けさせてもらいたい。これでも、身内なんだ。それくらいの権利はあっても良いだろ?」

「分かりました」

少年の真っ直ぐな眼差しを受け止めて、穏やかに頷いてから、鷹通は少年に訊ねる。

「君の名前を教えてもらっても宜しいでしょうか?身内…ということは、君はもしや…」

 少年は面倒そうに顔を顰めたが、仕方ないというように口を開いた。

「俺はイノリ。瀬里沢夷乃里。瀬里沢信は俺の兄貴だ」

 

 

「泰明」

 窓辺近くに置いてある長椅子に腰掛け、手にした小さなプラスチックケースを弄んでいた泰明は、名を呼ばれて顔を上げる。

「友雅」

 友雅は優雅に微笑んで、泰明の隣に腰を下ろす。

「大丈夫かい?」

 唐突な問いだったが、泰明は僅かに目を瞠った。

 俯いて、青い硝子の欠片の詰まったケースを再び弄び始める。

「やはり、私は何処かおかしく見えていたのだろうか?」

「目に見えて分かるほどではないけれどね…何か気掛かりそうな様子だ。皆も気にしていたようだったよ」

「そうか。すまない」

「謝らなくて良いよ。それよりも、君の気掛かりが何か教えてもらった方が嬉しいな」

「……」

「我々の動きを知っているかもしれない将軍のことについてかい?」

 そう訊ねてみると、泰明は躊躇いつつも頷いた。

「以前話したように、漠然としたものなのだ。言葉にすることが難しい」

 将軍に関する話題になると、泰明はいつもこのような戸惑いを示す。

「良いよ。思ったままのことを口にして」

 そのことに胸の何処かがざわつくのを感じながらも、友雅は殊更穏やかな口調で、泰明を促した。

 戸惑いを残したまま、それでも素直に頷いた泰明だったが、

暫し、無言でケースを薄い陽の光に翳し、中の硝子の欠片が創る青い揺らめきを見詰めていた。

 急かすことなく、友雅が待っていると、やがてゆっくりと泰明が口を開いた。

「…近頃、このケースを見ていると…この硝子の青を見ていると、何かが引っ掛かる。思い出せそうで思い出せない…そんな感覚を覚えるのだ。

だが、それがあの男のことであるとは断言できない気もする…」

 思いつくままに言を紡いだ泰明は、薄い両の瞼を閉じ、ケースを片手に握り締め、吹っ切るように瞳を開いて友雅を見詰めた。

「すまない。

不確かなことを気に掛けるよりも、確かなことに目を向けると決めていたのに、また、このような埒も無いことを気に掛けてしまって。

だが、口にすることで、楽になったように思う。聞いてくれて有難う、友雅」

「どういたしまして」

 仄かに微笑んだ泰明に、友雅は微笑み返す。

 細い肩を抱き寄せると、泰明は素直に身を任せてくる。

 他に人気のない廊下で、二人並んで窓外に目を向けた。

 人工の木々を覆う空は、灰色でくすんでいる。

 泰明の憧れる空の色彩には程遠い色。

 時折泰明の心を惑わせる不安は、もしや、模造天使として生まれた泰明の出生に根差したもので、

それに、将軍が関わっているのではないだろうか。

 抱き寄せた腕の中にある華奢な身体…ともすれば消えてしまいそうな儚さを漂わせる泰明の存在を確かめながら、友雅は漠然と考えた。

 


to be continued
瀬里沢信=セリ(瀬里)でした。 勝手に性別変えてごめんよ、姉ちゃん(苦笑)。 舞台背景的に女性よりも、男性の方が嵌るような気がしまして。 しかし、姉が兄になると、イノリの態度も変わってきそうですね。 一応、このイノリは、お兄さんのことを尊敬しているようです。 当初の予定では、一話目でイノリの名乗りまで行く予定でした…擦れ込んでおります(汗)。 いやぁ、今回はなかなかやっすんを出せなくて辛かった!!(コラコラ) 後半以降のともやすシーンは、個人的にもオアシスで御座いました♪(笑) さて次回、イノリ合流及び、軍に関する情報を新たに得て、ついにレジスタンスが蘭救出に動き出します! …と宣言しといて、イノリ合流だけで終わったらすみません(汗)。 back top