Blue 〜innocence〜
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この世に綺麗なもの、真に無垢なものなんてない。
大して長くは生きていないが、そんなことは、周りを見回してみれば、すぐに分かる。
皆、軍に怯えて暮らしてる。
自分と自分の家族を守る為なら、隣人をも陥れる。
親しかった友人も軍に売る。
仕方のないことだ。
今、この国を支配している軍がそれを強いているのだから。
この国で生きていく為には、そうするしかない。
しかし、どうしても割り切れないものを感じるのだ。
頭では分かっていても、どうしても許せないことがある。
「あんた、河井(カワイ)さんだろ?河井勇(イサム)さん」
「ああ、確かに僕が河井だが、君は…?」
黄昏時の暗がりに紛れて声を掛けると、相手が怪訝そうに眉を顰めるのが見えた。
それには構わずに、ゆっくりと近付きながら、更に問いを重ねる。
「じゃあ、瀬里沢って知ってるよな?瀬里沢信」
「瀬里沢…!」
その名を聞いた瞬間、相手の表情が強張る。
「知らない訳はないよな。一度は『盟友の契りを交わした』仲だもんな」
狭い路地に零れる家の明かりを過ぎって、更に近付いていくと、明かりで顔が見えたのだろう、相手がはっと目を瞠った。
「!君は…!」
応える代わりに、銃口を突き出す。
乾いた破裂音が響いた。
後ろを振り返らずに、素早く路地を出て、明かりの多い通りの人波に紛れる。
ならば、こちらも、自分の信念に従って動くだけだ。
例え、この手を穢しても。
懐に入れた黒い拳銃が固く、重かった。
「昨夜、また、フリージャーナリストが一人、殺されたようです」
知的な顔を曇らせ、固い声で鷹通が告げた言葉に、集まった皆が表情を引き締める。
「誰だ?」
「こちらを御覧下さい」
性急に訊ねる天真に応えて、鷹通は手元の端末を操作し、壁面のスクリーンに一人の男の顔を映し出す。
「河井勇。
先日亡くなった瀬里沢氏ほど強硬で表立った主張はしませんが、軍事体制を批判する革新的なジャーナリストのひとりだった方です」
永泉が愁いを帯びた声音で言う。
「こちらもまた、軍の仕業なのでしょうか…?」
「分かりません。しかし、その可能性はあります。彼は一時期、瀬里沢氏と組んで、活動をしていたことがあるのです」
「では…」
「いや、そうと結論付けるには証拠が少ない。
だが、誰が手を下したにせよ、我々にとって同志となり得る貴重な人材を失ったことは確かだね…」
口調は常の柔らかさを保ちながらも、厳しい内容の友雅の言葉に、皆が一瞬沈黙する。
先程友雅が告げた内容も含めて、皆一様に、自分の考えをどう纏めて、口に出すべきかを考えているようだった。
一番に、口を開いたのは、鷹通だった。
「先程友雅殿が仰った…軍が、我々レジスタンスの存在を知っているのではないかというお話ですが、私は解せません。
客観的に見て、我々の組織はまだ未熟で小さく、政治の根底を覆すほどの力はありません。軍にとっては脅威にすらならない存在です。
しかし、だからこそ、軍が我々の存在を知れば、後顧の憂いを絶つ為に、殲滅しようとするのではないでしょうか。
軍が未だ我々に手出しをしてきていないということは…」
「その件は、確かに杞憂であるかもしれないけれどね…或いは、レジスタンスの存在を知っているのは、軍のごく一部の人間なのかもしれない。
これは私の勘だが、知っているのは、上層部の人間ではないかという気がするのだよ、例えば…」
「将軍ですか」
「おや、君もそう思うかい?」
「馬鹿な!」
ふいに頼久が口にした人物の名に、鷹通が驚愕と疑問の入り混じった言葉を発する。
「現将軍は軍の、引いてはこの国を動かす実権を握っているといっても過言ではない人物です。
そんな人物が、反対勢力の存在を知っていながら、放置することなどありえないのではありませんか?」
「さて…将軍がどういう意図で、危険分子である我々を自由に泳がせているのかは分からないがね…
案外、我々に何処までのことが出来るのか、興味を持っているのかもしれないな」
言いながら、友雅は、傍らに座る泰明を一瞬見遣る。
(或いは、将軍が興味を抱いているのは、レジスタンスという組織ではないのかもしれないが…)
泰明は薄紅色の唇を引き結んで、翡翠と橙、二色の瞳で空を見据えて、皆の会話に一心に耳を傾けている様子だ。
その顔色が、心なしか常よりも白く見える。
そんな泰明の何処となく張り詰めた様子を、友雅だけではなく、その場にいる皆が、言葉に出さずとも気に掛けていた。
友雅の言葉に、頼久が生真面目に頷く。
「たった一度ではありますが、将軍にはお目に掛かったことがあります。
真意の読めない方でしたが、言葉を交わしている間中、自分の考えや感情などの全てを悟られているのではないかという不安を覚えました…
こうして、阻まれることなく、軍を抜け出して、レジスタンスに加わった今となっても、その感覚は拭えずにあります。
また、友雅殿の仰るように、あの将軍には、敵の存在を掌握した上で放置し、その動きを見て愉しむ節があるように見えました」
「それで、時折、こっちの力を試すようなちょっかいを掛けてくるって訳か。お前みたいだな、友雅」
「よしてくれたまえ。私はそこまで悪趣味ではないよ」
それまで黙していた天真が、殊更軽い口調で言ったのに、友雅が大袈裟に眉を顰めてみせる。
永泉と詩紋が小さく笑い、緊張に張り詰めていた場の空気がやや和む。
泰明もほっと小さな息を吐いた。
気を取り直したように、頼久が言葉を継ぐ。
「そのような行動を取るのは、いざとなれば片手で握り潰せる相手であればこそだとは思いますが…」
「私も将軍とはお話したことがあります。
あくまでも私の印象ですが、あの方には確かに、友雅殿や頼久殿の仰るようなことを好む危うい面が感じられました…」
永泉の口添えに、鷹通が考えを纏めるように、眼鏡に手を掛ける。
「実際に将軍に会ったというお二人もそのような印象を受けられたということは、友雅殿の勘もあながち的外れではないということですか…
ならば、このことも想定した上で、今後のレジスタンスの方針を練った方が良さそうですね」
「けど、実際どうする?」
天真の問いに再び皆が考え込むが、それには友雅があっさり応えた。
「方針は特に変えずとも良いんじゃないかな?ただ、このことを、ここにいる皆が胸に留めていればいい。
相手が我々の力を侮って、わざわざ猶予をくれるというのなら、却って都合が良い。せいぜい有効利用して充分な力を溜めておこう」
「そうですね、我々のすべきことは最初から決まっている」
頼久、鷹通、永泉が納得したように頷き合う。
しかし、皆よりやや遅れて頷く天真の茶色い瞳に、迷いと苦悩の色を読み取った泰明は、心を決めて、口を開いた。
「そのことと平行して、すぐにも打って出る準備をした方が良いと私は思う」
皆の視線が泰明に集中する。
「泰明…それは、つい先程確認した方針とは真逆の意見だよ」
「分かっている。だが、天真の妹のことがある」
窘めるように言った友雅に頷いてから、泰明は驚いたように目を瞠る天真を真っ直ぐ見詰める。
「先日の一件で、天真の妹は、既に己の意思を奪われた状態で、軍の手足となって働いていることが分かった。
それも表沙汰とはならない、裏の暗殺部隊の一員としてだ。
記憶にも干渉されているとなれば、一刻も早くその身柄を取り戻して、軍に施された洗脳を解かないと、自身を取り戻すことは難しくなる。
また、己の意思とは関係ないところで、罪を重ね続けることにもなる。彼女を取り戻すに関しては、急を要する」
恐らく一番懸念していたのだろうことを指摘されて、天真の瞳に浮かぶ苦悩の色が濃くなる。
「そんなことは言われなくとも分かってるさ!けど、それは個人的な事情だ。
妹が…蘭が、軍の暗部に深く喰い込んでいるかもしれないと分かった今、俺一人が勝手な行動をする訳にはいかない。
今の状態で、下手に軍に手を出せば、例の将軍の気が変わって、レジスタンスを叩き潰す行動に出るかもしれないだろうが…」
激しそうになるのを抑えるように、強く拳を握り締め、押し殺した声音で天真が言う。
そんな天真を見詰め、それから、傍らの友雅、頼久、鷹通と、周囲の仲間を順に見遣りながら、泰明は言葉を紡ぐ。
「天真の妹が、軍部に深く喰い込んでいると分かったからこそ、ことは天真個人の事情ではなくなる。
レジスタンス全体の問題として、当たるべきだ。
そもそも、レジスタンスが結成されたのは、軍事体制下で喘ぐこの国の人々を救う為ではなかったのか?
天真の妹一人すら、救うことが出来なければ、目的を達成するのも難しいと言わざるを得ないだろう。
そして、このレジスタンスの存在意義もなくなる」
「…手厳しいね」
息を呑んで泰明の言葉に聞き入る皆の中、友雅が苦笑した。
「君のことだから、いずれそう言い出すだろうとは思っていたけれど…つまりは、こちらから仕掛けてみようという訳だね?」
「勿論、正面からぶつかり合うには、時期尚早だ。
しかし、天真の妹の居所を探し出して、そこから連れ出すことは、今の私たちでも可能ではないかと思う。
むしろ、組織が抱える人数が少ない今こそ、為し得ることではないだろうか?」
泰明の言葉に、友雅が微笑んで頷き、集まる主要メンバーを見遣る。
「さて、我らが姫君から、今後の方針に若干変更を加えるよう提案がされた。守りの準備を整えつつ、同時に攻めにも出ようというものだ。
異論のある者、不可能だと思う者はいるかな?」
「ありません」
「やりましょう」
やや呆然としている天真を除いた皆が、決意を秘めた表情で頷いた。
手元にある端末を操作しながら、再び考え込んだ鷹通が、口を開く。
「まずは、蘭殿の救出ですね。しかし、動くのはまだ、待ってください。蘭殿の居場所を把握しないといけません」
「分かった」
「ただ、今現在、彼女の居場所についての、手掛かりが全くない状態なのが厳しいですね。
軍のサーバーに侵入するにしても、軍に機密に関わるデータを引き出すのは容易ではありません…ですが、何とかやってみましょう」
「私も手伝う。言い出したのは私だ」
「有難う御座います、泰明殿。それに、貴方の仰ったことは尤もなことですよ」
鷹通が微笑んで応え、頼久、永泉も次々に頷く。
最後に友雅が笑って、天真に声を掛ける。
「君はどうだい?我々の新たな方針に不満はあるかな?余計なことだと思うのなら、遠慮なく言ってくれたまえ」
天真は、我に返って友雅を見て、泰明を見た。
泰明が僅かに花弁のような唇を綻ばせる。
「…不満なんてない。余計なことだとも思わない…助かる。皆、有難う」
僅かに俯いて、一言一言噛み締めるように、言葉を紡いだ天真は、集まる皆に頭を下げた。
「詩紋」
会議の最後に、友雅は集まった一同の中で、一番年齢の低い少年の名を呼んだ。
「はい」
返事をして居住まいを正す少年に、穏やかに言葉を紡ぐ。
「今の会議の様子から、我々が何を目的とした組織で、何をするつもりなのか、充分に理解できたと思う。
その上で、君にもう一度訊きたい。我々と共に、軍と闘う覚悟はあるかい?」
「はい」
「時と場合によっては命を懸けることになる。君にはそれは重過ぎるのではないかと思うのだが…」
「僕が皆の足手纏いになるんじゃないかと心配してるんでしょうか?」
「そうじゃないよ。正直、こちらとしては、君の協力を喉から手が出るほどに欲している。
君の治癒能力は、訓練次第では、レジスタンスを支える大きな力のひとつとなるだろうからね」
「僕の能力が役に立つのなら、是非、使って下さい。貴方達の活動に、僕も協力したいんです」
「だが、詩紋…お前は優し過ぎる」
脇から静かに、泰明が口を挟んだ。
「レジスタンスの一員となって闘うということは、人が傷付くのを目前にする機会が増えることにも繋がる。
見るだけではない、己自身が人を傷付ける事態になることも大いにある。それはお前にとって、辛いことではないのか?
それでも、お前は闘い続けることが出来るか?」
問う泰明の声音は凛と厳しいが、澄んだ色違いの瞳には、気遣いの色がある。
詩紋はそこで初めて戸惑う様子を見せた。
「それは…本当を言うなら、僕は誰とも闘いたくなんかない。誰かを傷付けたり、傷付けられているのを見るのは嫌です。
だけど…今は、たくさんの、闘いたくても闘えない人たちが、一方的に傷付けられている。そんな光景を見る方が、僕はずっと辛い…
だから、そんなことがなくなるよう、僕の能力が少しでも役に立つならば、僕は闘います。例え、その為に敵対する誰かを傷付けることになっても」
揺れる自分の心の内を見詰めるように、言葉を紡いだ詩紋は、やがて顔を上げ、真っ直ぐに、泰明と友雅、次いで他のメンバーを見た。
「この僕の願いを叶えるには、貴方達と共に行動するのが一番良いと思ったんです。どうか、僕をメンバーに加えて下さい」
そう言ってから、何かに気付いたように、あ、と小さな声を上げ、詩紋は悄然と俯いた。
「良く考えたら、随分自分勝手な理由ですね…こんな僕じゃ、皆の仲間にはなれないでしょうか…」
「いや、合格だ」
笑みを含んだ友雅の言葉に、詩紋は、はっと顔を上げる。
「そこまでの覚悟があれば充分だ。君を新たなレジスタンスメンバーの一員として迎えよう。皆も良いだろう?」
「ああ」
泰明が頷き、他の皆も頷いた。
詩紋は改めて表情を引き締め、声を張って挨拶をした。
「宜しくお願いします!」
to be continuedBlueシリーズ第6弾、開始です。 サブタイトル「innocence」は、言わずもがな「無垢」という意味で用いております。 やっすんにぴったりなフレーズのひとつですね♪…というのも言わずもがなですかね(笑)。 今回の話は、イノリ登場と蘭奪回がメインとなります。 しかし、後者の方が、比重が高くなりそうな予感がします…ごめんよ、イノリ(苦笑)。 そのことを象徴(?)するように、この一話目では、冒頭のみの登場になっておりますね、しかも名無し(汗)。 あとは、前章の補足というか(蛇足?)。好戦的な姫は好きです♪←それこそ蛇足なコメント。 恐らく、この章が今までで一番長くなると思います。 どのくらいの長さになるかは、予測不能です(何せ、現時点でストーリーの進行が予定よりずれている/汗)。 なるべくサクサク進むよう頑張りたいと思いますので、宜しければ、最後までお付き合い下さいませ! top