Blue 〜eden

 

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「泰明さん、これを」

 部屋を出る前に詩紋が、上着を差し出した。

 受け取って広げてみると、それは軍服の上着だった。

 襟に赤いラインが入っている。

「将軍直属の親衛隊『ジーニアス』の制服です。それを着ていれば、万一見つかっても多少は誤魔化せると思うから」

「分かった。内ポケットに何か入っているな…軽量型の拳銃か」

「はい。部屋を出てからは僕が先に行きます。泰明さんはその後から、これを持って付いて来て下さい。出来れば、銃口を僕の背中に向けて」

 そう言って、詩紋はにこり、と笑う。

 詩紋が泰明に脅されてやむなく、外への案内をしているのだという体裁を作ろうという訳だ。

「心得た」

 銃を手に持ち、泰明も小さく微笑んだ。

 

 

 基地見回りの下士官から目を付けられたのを幸いと、彼らの制服を奪った友雅と天真は、

鷹通から託された機器も効を奏して、どうにか、基地内部への潜入に成功した。

 しかし、目指す泰明が捕らわれていると思われる本部最奥へ至る道は、まだ遠く、険しい。

 ふたりとも鍔のある軍帽を目深に被り、それとなく容貌を隠している。

 友雅の癖のある長い髪は、ひとつに纏めていても目立つものだったが、

軍人らしい雰囲気を上手く出しているお蔭で、見咎められることは無かった。

「どうする?」

 通路を歩む靴音に紛れる小さな声音で、天真が問うてくる。

 友雅も同じほどの低い声音で言葉を返した。

「さて…この下士官の制服では、動ける範囲も限られているからね…」

「士官の制服を調達するか?」

「それしかないだろうね」

 殆ど唇を動かさずに言葉を交わし、ちょうど擦れ違った上官と思われる軍人に敬礼する。

 その慣れた仕種に、軍人は欠片も疑いを抱かず、横柄に頷いて去っていった。

「…あいつはどうだ?」

「いや、もう少し上を狙いたいね」

 人目に付かぬよう、徐々に奥へと向かう通路を選びながら歩んでいくと、やがて、扉で遮られた通路に行き当たる。

 その手前の曲がり角で足を止めたそのとき、ちょうど扉が開き、軍人が二人出てきた。

「あいつらは?」

「良いね。彼らにしようか」

 小声で確認し合い、ふたりは足を踏み出した。

 

 

 司令室で行われた名ばかりの作戦会議は、すぐに終了した。

 軍の総司令官である将軍が、刃向かう者は全て潰せと命じているのだ。

 会議に参加した幹部の中には、参謀中将のように、将軍の采配に不安を抱く者もいない訳ではなかったが、

面と向かって異論を唱えられる者はいなかった。

 会議の最後に、ふと、将軍の眼差しが右隣に座る人物へと向けられる。

「一応、貴方様もこの会議に参加しておられる身だ。御意見を伺いましょうか?御門」

「形ばかりの礼は不要」

 揶揄めいた言葉に、両脇を警備兵に固められながら、将軍の隣に座す青年が硬い表情で応える。

「このような捕らわれの身で何を言ったところで無意味であろう」

「それは冷たいことだ。貴方が密かに保護していたレジスタンスがこれから潰されようとしているこの時に、一言も無しとは」

 一瞬、アクラムの青い瞳と、御門の濃い藍色の瞳が、かち合い、火花を散らす。

 しかし、迸り掛けた激情を押さえ込むように、御門は目を伏せ、殊更静かな声音で言葉を紡ぐ。

「私が貴殿に申し上げたいのは、ひとつだけだ。この国の民が無用に傷つかぬよう、配慮して貰いたい。

レジスタンスとはいえ、彼らもまた、この国の民だ」

「ほう。では、貴方様の論理では、我々もこの国の民ということになりますかな?」

「無論。そもそも、同国の民同士が争い合うほど、虚しいことはない。それでも、争わねばならぬのなら…双方共に傷は浅いほうが良い」

 御門の言に、アクラムは声を立てて笑った。

 愉快そうに、同時に嘲るように。

 静まり返った室内に、その歪んだ笑い声だけが響く。

「閣下…」

 傍らに控える中将が、何処か苦しげに呼び掛けると、アクラムはぴたりと笑い止んだ。

「気高き理想だ、陛下。しかし…地を這う生き物である我々には、届くべくもない、それこそ、虚言に等しい」

 笑みの名残すらない冷たい声で言い放つと、アクラムは席を立った。

「閣下!何処へ?」

 そのまま背を向けて、部屋を出て行こうとする将軍を、中将が呼び止める。

 振り向かぬまま、アクラムは応えた。

「客人をもてなす準備をな。ああ、人手はいらぬ。親衛隊員がいれば、充分だ。よって、中将に、暫し軍の采配を預ける」

「……は」

「お前が私の命を忠実に遂行してくれることを、期待しているぞ」

 何かを無理やり呑み込むような中将の応えに、温かみのない声音でそう言葉を残して、将軍は出て行く。

 それを敬礼して見送った中将が、続いて残りの幹部が、次々と動き出す。

 御門もまた、護衛という名の監視役に促されて、部屋を後にする。

 廊下の窓から見える灰色の空へと視線を向け、弟とその仲間たちへと思いを馳せる。

(この国の命運は、そなたたちに掛かっている。頼むぞ、レジスタンス。

この国を覆う厚い雲を払い、光を齎してくれ。そして…願わくは、皆無事に…)

 

 

 詩紋から渡された軍服は、細身の泰明には少し大きかったが、何とか不自然でない程度に着こなすことが出来た。

 鍔で目元を隠すように軍帽を目深に被り、その中に、長い髪を纏め上げて収める。

 そうして、促す詩紋の後に従って、部屋の外へと出た。

 厚い絨毯を敷き詰めた廊下を歩む。

「泰明さん、そこに監視カメラがあるんです。少し左側に寄って。そうすれば死角になって映らないから」

 詩紋の注意に従いながら、角を曲がる。

「人がいないな…」

 ふと気付いて呟くと、詩紋が振り向いて口元だけで微笑んだ。

「ここは将軍専用の居住スペースですから。元々、多くの人間が出入りできるようにはなっていないんです」

「そうか」

 泰明が頷くと、詩紋は再び前を向いた。

その細い肩が、心なしか強張っている。

 可能な限り彼を巻き込まぬよう、努めねばならない。

 彼には、守るべき存在がある。

 この居住スペースを抜けたら、詩紋と別れようと、泰明は改めて心に決める。

 それから、また幾つかの角を曲がると、センサー付の扉が行く手を塞ぐ場所へと辿り着いた。

「居住スペースを出ます。ここからは行きかう人も増えますので、気を付けて」

「分かった」

 詩紋がセンサーに、指紋照合をさせて扉を開き、向こう側の安全を確認している間、泰明は手前の廊下の角に身を隠す。

「大丈夫です」

 詩紋の呼び掛けに応えて、足を踏み出し、居住スペースを出る。

 そこはもう、絨毯を敷き詰められた床ではなく、合金製の材質が剥き出しとなった無機質な床となっている。

 泰明の背後で、扉が元通りに閉まる。

 詩紋が確認したように、辺りに人の気配はないように感じられた。

 が…

 泰明は、帽子の蔭で、僅かに色違いの瞳を細め、すいと詩紋の前に出る。

「そこにいろ!」

「えっ?」

 詩紋に一言告げるや否や、泰明は飛ぶような勢いで駆け出す。

 一見無人と思われる廊下。

その曲がり角の向こう側に、ほんの僅かに人の気配が感じられる。

軍内部の者ならば、気配を殺す必要などない。

ならば…

駆け出すと同時に、手にした銃の引き金に手を掛ける。

しかし、それを引く前に、伸ばされた黒い軍服の腕に、銃を握った手首を掴まれた。

「…っ!」

「泰明さ…!!」

「動くな」

 驚いて、助けに駆け寄ろうとした詩紋の側頭部に、硬い銃口が押し付けられる。

 もう一人いたのか。

 瞬く間に抵抗を封じられた詩紋の様子を、辛うじて目の端に捉えるのが精一杯だった。

 掴まれた手首を引き寄せられる。

それを力ずくで振り払おうとした泰明は、次の瞬間、大きく目を見開いた。

緊張で硬くなった四肢から力が抜け、銃が手から滑り落ちる。

 最初に目に入ったのは、今はしっかりと纏めてある青緑色の波打つ髪。

 僅かに微笑んだ整った口元。

 そうして、軍帽の鍔の蔭に隠されていた碧の瞳が優しくたわめられるのが見えた。

「…っ…あ!」

 殆ど声も出せずに、引き寄せられるまま、泰明は身を投げるように相手にしがみ付いた。

 その細い身体をしっかりと受け止め、応えるように抱き締めてくれる力強い腕。

 泰明の被っていた軍帽が落ち、翡翠色の髪が軽やかに背に流れ落ちる。

「…泰明」

 安堵したように名を呼ぶ声音が耳を打ち、背に流れる髪ごと細い背中を撫でられる。

助けを待っていた訳ではない。

 むしろ、自ら敵の手の内に飛び込むような危険な真似は、決して冒して欲しくないと願っていた。

 だが…

 言いようのない思いが一気に溢れ、胸が塞がれたような心地となる。

「友雅…」

喘ぐように名を呼びながら、泰明は友雅の広い胸に顔を埋めた。

「おとなしく助けを待っている姫君ではないのは、分かっていたつもりだけれどね…君とこんなに早く逢えるとは思っていなかった」

 しかし、冗談めかした友雅の言葉に、泰明は我に返る。

「友雅!何故、来たのだ?!将軍は、お前の命を狙っているのだぞ!

敵に捕らえられたのは、私の失態だ。そんな私の為にお前がここまでやって来る必要は無かった筈!」

 顔を上げて厳しい口調で言い募ると、友雅は苦笑した。

「つれないね。まあ、君ならそう言うだろうことはある程度、予想していたけれど…私がここまでやって来たのは、自分の為だよ。

君が傍にいなければ、私は自分を保つことが出来ない。我慢の限界だった。だから、来たのだよ」

 そう言って、微笑んだ唇で、泰明の左の目元に口付ける。

「…っ!」

 その途端、口付けられた目尻から、玉のような涙が転がり落ち、泰明は驚いて目元を拭おうとする。

 すると、もう片方の目からも雫が転がり落ちた。

「随分気を張っていたんだね…不安な思いをさせて、すまなかった。大丈夫だよ。間もなく、他の皆も追い付く筈だ」

 微笑む友雅の顔が滲んでよく見えない。

 瞬きをすると、涙の雫は止め処なく溢れてくる。

 上げ掛けたまま、行き先を迷って止まってしまった手を、友雅の手が握る。

 澄んだ瞳から零れる透明な雫玉を掬い取るように、友雅はもう一度泰明の目元に口付けた。

 

 

 一方、詩紋は銃口を突き付ける相手を確認して、再び驚く。

「天真さん…」

「まだ、動くなよ。まずは俺の質問に答えてもらおうか。何で泰明と一緒にいる?

お前が泰明をここまで連れ出したんだよな。一体どういうつもりだ?」

「……」

 容赦なく問い詰める天真の様子には、一欠けらの親しみも感じられなかった。

 それはそうだろう。

 泰明が捕らえられたのは、自分の裏切りの所為。

 最早、自分は彼にとって「仲間」ではないのだ。

 詩紋は無言で、目を伏せた。

 しかし、その緊張は長くは続かなかった。

「天真!待ってくれ」

 友雅と共に現れた泰明が、天真に今までの経緯を簡潔に説明する。

「そうか…お前も家族を人質に取られてたのか。事情も知らずに、責め立てて悪かったな」

 敵への怒りと詩紋への痛ましさがない交ぜになった表情で謝る天真に、詩紋は首を振る。

「僕が軍に従って、泰明さんを傷付け、捕まえたのは事実ですから」

 そうして、改めて泰明を見上げる。

「友雅さん、天真さんがいるなら、もう大丈夫ですね。じゃあ、僕はこれで」

「詩紋」

 泰明はじっと詩紋を見返す。

 その真っ直ぐな眼差しが少し苦しかった。

「僕のことなら大丈夫。心配しないでください。どうか無事で…」

 微笑んで一礼し、詩紋は背を向けて歩き出す。

 これで良い。

 あとは、自分ひとりでやるのだ。

 しかし。

「待て、詩紋!」

 泰明の凛とした声が、詩紋の足を止め、振り返らせる。

 そんな詩紋に向かって、泰明は細い、しかし不思議と頼りなげではない手を差し出した。

「お前も行こう。私はお前と一緒に行きたい。行こう。お前の両親も一緒に」

「え?」

 驚く詩紋を、視線でその場に留めながら、泰明は背後にいる友雅と天真に言う。

「友雅。先程は責めるようなことを言ってしまって、すまなかった。やはり、今の私にはお前と天真、二人の力が必要だ」

「謝らなくていいよ。君が望むのならば、私はそれを叶えるだけだ。全て姫君の御心のままに…」

「どうせ、敵の本拠地のど真ん中まで来たんだ。俺も構わないぜ。毒を喰らわば皿までってヤツだ」

「感謝する」

 肩越しに振り返り、友雅と天真に微笑むと、泰明は視線を詩紋へと戻す。

「将軍は、お前がこうして私を逃がす手引きをしたことを知っているだろう。

戻れば、無事には済むまい。だから、お前の両親を助け出して、私たちと共に行こう」

 詩紋は青い目を瞠りながらも、首を振る。

「そんな…無理です。そんなことをすれば、貴方たちを更に危険な目に遭わせることになる…」

「私一人なら、難しかっただろう。だが、今は、私の他に、友雅と天真がいる。加えて、他の仲間たちも間もなくやって来ると言う。

ならば、お前の両親を助け、連れ出すことも可能なのではないかと思う。どうだろうか?天真、友雅」

「おう」

「君が言うのなら、意地でも可能にするしかないだろうね」

「では行こう。詩紋、お前の両親は何処にいるのだ?」

 仲間の同意に勢いを得て、泰明は詩紋に訊ねる。

 詩紋は依然として迷っているように見えた。

 友雅はやや蒼褪めた顔色で黙り込む詩紋をそれとなく窺う。

 泰明の求めに応じることに異存は無い。

 だが、詩紋にはまだ何か、打ち明けていない秘密があるような気がする。

 やがて、詩紋が思い詰めた表情で、顔を上げた。

「分かりました。貴方たちを、僕の両親のところへ連れて行きます。ただ…お願いです。何を見ても、驚かないで欲しいんです」

「詩紋?」

 思わぬ言葉に泰明は、細い眉を寄せる。

「こっちです」

 泰明の問うような眼差しから逃れるように、詩紋は身を翻した。

 


to be continued
取り敢えず、姫と王子(?)再会です。 なので、少しばかりらぶらぶさせてみました(笑)。 御覧くださいます方には、物足りないかもしれませんが(苦笑)、まだ、敵地のど真ん中ですからね。 籠の鳥生活に、無意識のうちに弱っていたらしいやっすん。 ここに来て、やっと常の調子を取り戻し、詩紋を外へと誘いますが、当然のことながらスムーズには行きません。 次回は、詩紋の最後の秘密が明らかとなります。 back top