小鳥 後編

 

泰明の指先で遊んでいた小鳥が驚いたように飛び上がり、

今度は翡翠色の頭の上へと移動した。

友雅は泰明を身体ごと引き寄せると同時に、彼の滑らかな頬に頬を寄せ、

唇の端に付いていたクリームをぺろりと舐め取っていた。

こっそりと二人の様子を窺っていた少女たちが「きゃ♪」と、嬉しそうな声を上げる。

「な、何だ!?」

舐められたことよりも、突然友雅の顔が近付いてきたことに驚いているらしき泰明に、

「美味しいね」

腕の中に彼を捕らえたまま、友雅はにっこりと笑い掛けた。

同時に、横目で件の青年の方を見遣る。

この光景は決定的だったらしい。

呆然としている。

すると、友雅に視線の先を追ってか、腕の中の泰明がやっと青年の姿に気付いた。

あ、と小さな声を上げる。

泰明と視線が合った瞬間、青年は弾かれたように、身を翻した。

 

撃退完了。

 

急に逃げ出すように去ってしまった青年の後ろ姿を不思議そうに見送る泰明に、

友雅はどうしたんだい、と知らない振りで問い掛ける。

「あの人なのだ、この前薔薇をくれた人は」

やはり。

泰明はふと思い出したように友雅を見る。

「そういえば、友雅。あの後、あの人と連絡をとって話したのだろう?

あの人が私に言った「付き合って欲しい」とは、

本当にお前が言った意味だったのだろうか?」

「生憎とね。だから、丁重にお断りさせて頂いたよ」

「あの人は納得してくれたのだろうか」

「もちろん、納得してくれたよ」

たった今だが。

友雅の応えに、泰明は再び不思議そうに首を傾げる。

「あの人は何故、私と目が合った途端に、走って行ってしまったのだろう?」

「さあ。急な用事でも思い出したのではないかな」

「そうか」

泰明は深くは考えず、友雅の応えに素直に納得する。

小鳥が泰明の頭から肩の上へと移動してくる。

細い肩に流れる艶やかな髪を啄ばんで遊び始めた小鳥に、泰明の心はまた傾いていき、

青年のことからは自然に離れていった。

 

何にしろ、これでやっと泰明とのデートを心置きなく楽しめる。

先程の状況も充分楽しかったが、せっかくのデートだ。

小鳥と遊んでいる可愛いらしい泰明の姿を眺めているのも良いが、

そろそろ二人きりで過ごせる場所へと移ろうかと、

小鳥を真似て翡翠色の髪を指に巻き付かせながら、友雅が思っていたちょうどそのとき。

懐に入れていた友雅の携帯が震え、着信を知らせた。

その気配にクレープの最後の一口を食べ終わった泰明が、

華奢な手首に小鳥を止まらせて、友雅を見る。

「…ちょっと失礼」

友雅は泰明の細い肩を片手で抱いたまま、僅かに身体を離し、

もう片方の手で懐から携帯電話を取り出す。

貴重な泰明との時間に水を差される形となって、少々不愉快だ。

今のところ、それを表情には出していないつもりだが、

この相手と話しているうちに、不愉快さが表に出てしまうかもしれない。

僅かでもそれを泰明に悟られぬよう、心持顔を背けながら、通話ボタンを押す。

「はい、橘…」

「休日のところ、失礼致します」

この淡々とした声は、彼の優秀な秘書のもの。

悪い予感的中だ。

「…何の用だい?」

「本日、1600から予定されているP社との打ち合わせについてですが…」

明らかに不愉快さの滲む友雅の声音を無視し、秘書は殆ど抑揚のない声で用件に入る。

この男、確かに優秀ではあるのだが、常に無表情で機械的なところがある。

その辺りは以前の泰明と似ているかもしれない。

だが、全く可愛いげがない、という点が決定的に違う。

「…と、言う訳でその打ち合わせに急遽P社の社長も同席することとなったので、

可能ならば社長にも同席頂きたいとの部長の依頼です」

「彼は自分たちだけで大丈夫だと言ったんだよ?

それを急に私にも打ち合わせに参加しろなどと。

相手先の出席メンバーが多少変わったくらいで、少々甘え過ぎなのではないかな?

休日とはいえ、私も暇ではないよ」

いつになく厳しい友雅の物言いに、秘書は一瞬沈黙する。

それから、淡々と呟いた。

「…デート中でしたか」

性能のいい電話は小さな呟きも拾い上げて、友雅に届ける。

いっそ、その通りだと言ってやろうかと思ったが、その前に秘書は冷静に言葉を続けた。

「分かりました。部長には自分たちの力で何とかするよう、

社長のお言葉を伝えておきます」

「そうしてくれたまえ」

そこで、会話は終了する。

電話を切った友雅に泰明は声を掛ける。

「仕事か?」

「いいや」

泰明の澄んだ声に、やや気遣わしげな響きが混じる。

「急な用件のように見受けられたが。行かなくても大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。そもそも、私が出向くほどの用件ではないんだ」

携帯を懐へと戻しつつ、友雅は泰明を安心させるように微笑み掛ける。

「…ならば良いのだが」

泰明は心持ち首を傾げて、依然として気遣わしげに友雅を見る。

その何処となく困った表情までもが愛らしいので、時折本当に困らせてみたくなる。

 

…が、今日のところは止めておいて……

友雅はもう一度、泰明の身体を引き寄せようと、

肩を抱く腕に力を込めようとした。が……

 

ピピピピ…

 

今度は泰明の携帯の機械的な呼び出し音が鳴り響いた。

その音に驚いたらしき小鳥が、泰明の手元からぱっと飛び立った。

「はい…ああ、私だ。…ああ…ああ…分かった。すぐ行く」

短い通話を終えた後、泰明は顔を上げた。

「友雅、すまないが…」

「…仕事かい?」

「ああ。急患らしい」

応える泰明の表情は凛と引き締まって、

先程までのこちらの心まで蕩かすような愛らしさは、欠片も窺えない。

有能な医者の顔だ。

(この表情も美しくて好きなのだけれど)

突然のデートの終了に溜息が零れそうになるのを抑えつつ、友雅は微笑む。

「せっかくの休日だったけれど、仕方ないね」

「すまない」

もう一度そう言って、泰明は友雅の腕の中から立ち上がる。

「待って、泰明。送って行くよ」

泰明の家の前に停めてある自分の車で送って行こうと立ち上がった友雅に、

泰明は首を振った。

「そう言ってくれるのは嬉しいが、家に戻っている時間がないのだ。

途中でタクシーを拾っていくことにする」

「…そう」

「では」

泰明は小鳥が飛んでいった木々の方に、

別れを告げるようにちらりと視線をやってから、身を翻す。

そうして、一歩踏み出し、思い出したように振り返った。

「短い時間だったが、今日は友雅と散歩が出来て楽しかった。

また、二人でこういう散歩ができればいいと思う」

泰明の言葉にやや、意表を突かれた友雅だったが、すぐにゆったりと微笑んだ。

「…そうだね。私も楽しかったよ。また二人で散歩に行こう」

一瞬だけ、可愛らしい笑顔を垣間見せてから、

泰明は家へ戻るのとは反対の大通りに接した公園出口へと去っていく。

遠くなる華奢な後ろ姿を切なく見送る友雅の背後から、鳥が枝を揺らして飛び立つ音がした。

泰明の後を追うように飛んでいく鳥は先程の小鳥なのだろうか。

 

どちらにしろ、友雅の小鳥はこの腕の中から飛び立ってしまった。

 

堪えていた溜息が零れる。

泰明と一緒にいるときには気にもならなかった人々の視線が急に煩わしくなった。

会話までは聞かれていないだろうが、密かに、しかし熱心に二人の様子を窺っていた少女たちと目が合う。

そんな彼女たちに、友雅はにっこりと魅惑的な笑顔を振舞い、動揺した彼女たちが視線を外した隙に、ゆっくりと身を翻す。

表面上はあくまでも余裕を保ったまま、車を取りに戻ろうと歩き出しながら、友雅は再び懐から携帯電話を取り出した。

そうして、電話を掛けた先は彼の有能なる秘書の携帯だった。

「私だ。先程の私の言葉はもう伝えたかい?」

「いいえ。今、お伝えするところでした」

「そう。それなら、代わりにこう伝えてくれるかい?

これから私も社に向かうから、打ち合わせの資料を用意しておくように、とね」

「P社との打ち合わせに参加なさるのですか?お忙しいのでは?」

「急に予定が変わったんだよ。

それはともかく、今回の打ち合わせは我が社にとって、重要なものなんだろう?

これは是が非でも、上手く纏めなくてはならないね」

俄然、やる気を窺わせ始めた社長の言葉に、秘書はまた、一瞬沈黙する。

再び、ポツリと呟いた。

「振られましたか…」

「……」

図星を刺されて思わず、沈黙する。

「分かりました。先程の言葉に代わって、今の言葉を確かに部長に伝えておきます」

「…宜しく頼むよ」

淡々とした秘書の声に僅かに哀れむような響きがあるような気がする。

気のせいだと…思いたい。

どうも、泰明に関することになると常より感情が露出しがちになる。

気を付けなければ、と友雅は改めて思う。

 

とにかく、これから泰明のいない休日を一人寂しく過ごすよりも、

仕事で忙しくしている方が余程ましであることははっきりしている。

 

これはもしかして、不純な動機で泰明を散歩へと連れ出した報いだろうか。

 

一人公園の出口へと向かいながら、ついそう考えてしまう友雅だった。



友雅氏、薔薇の贈り主には勝ちましたが、仕事には負けちゃいました、という話。
「小鳥」、「薔薇の贈り主」、「仕事」をキーワードに(まんまや…)お送り致しました。
詰まんないオチですいません……(毎度お馴染み?)微妙に仕事に対する姿勢が違う二人です。
前回は「花」でしたが、今回は「小鳥」にやっすんをなぞらえてみました♪
「ほっぺにちゅう」から少しは二人の仲は進展したんじゃないかと…いや、むしろ後退か?
でも、ベタベタ度(何やそれ)は前回より増したかと思います!
人前であろうがなかろうが、臆面なくベタベタしとりますな、まったく。←?
もちろん、やっすん無意識で、友雅氏は意識的に(笑)。
…蛇足ですが、↑の友雅氏の「美味しいね」は、二つのことに対しての台詞だったりします。
一つはクレープに対して。もう一つは…………まあ、何ていやらしい!!
これだから三十路は!!(?)←いやらしいのはおまえ(葉柳)じゃあっ!!(怒)
いや、しかし…こんな友雅氏はOKなんでしょうかね?
友雅ファンに叱られないかなあ、どきどき…

こんなんでも欲しいと思って下さる方、いらっしゃいましたら掲示板まで一言お知らせ下さいませ……
漏れなく葉柳の感謝の言葉が捧げられます(いらねえ…)。


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