緋焔
人ならぬ力。
人ならぬ美貌。
人の手で創られた人よりも優れた人形。
初めて目にしたとき、龍神の力とは別に欲しいと思った。
しかし…
「無駄なことを…」
笑みを含んだ揶揄に、その辺りに僅かに残る穢れを祓っていた陰陽師が、翡翠色の長い髪を翻して振り返る。
「…鬼か」
唐突な敵の出現に動揺することなく、札を手に戦闘態勢を取るほっそりとした姿は、以前のままだ。
だが、瞳の輝きが違う。
異能を示すかのごとく左右色違いの、玻璃のように澄んで、事実をあるがままに映し出していただけの瞳は、
その色彩と透明さを損なうことなく、今は内側から溢れるような光を宿している。
「幾度、穢れを祓ったとて同じこと。無駄なことだ」
こちらの放った嘲弄に、美しい陰陽師は毅然と応える。
「こちらが四神を全て取り戻すのも間もなくだ。お前こそ、無駄なあがきは止めて退くが良い。さもなくば…」
「…さもなくば、戦うか、この私と?お前一人で?」
龍神の神子を守る八葉でもある陰陽師、泰明の言葉にアクラムは含み笑った。
向き合う白い美貌の反面を覆う痣はそのままのように思えるが…
「気に入らんな」
呟いてアクラムは無造作に手を翳した。
「…!」
突風と共に襲い掛かる能力に、泰明は手にした符で素早く結界を張る。
しかし、その能力は相手を傷付ける類のものではなかった。
故に、能力を内包した風は、結界を通り抜け、
そのまま泰明の全身を巻き上げるように嬲り、その頭上の空気に紛れるように消えていった。
「…?」
泰明は無意識のうちに風から頭を庇うように上げていた腕を下ろす。
そのときにはもう、泰明自身が呪を掛けなおした偽りの痣は消えていた。
「…やはりな」
冷たいながらも、どこか悔しげな、そして寂しげな呟きが泰明の耳に届く。
それが誰のものか考える間もなく、気付けば、触れるほど間近に敵の姿があった。
「…ッ?!」
反応を返す前に、両の手首を強く掴まれた。
手に残る数枚の符がはらりと地に落ちていく。
すかさず蹴りを入れようと、弾かれるように膝を振り上げたが、防がれる。
華奢な外見の割に、意外に手応えがある。
これは以前と変わっていないか。
秀麗な唇に薄く笑みを刷いたアクラムは、掴んだ細い手首を捻り上げるように引き寄せた。
痛みに耐えるように、泰明の紅い唇が強く噛み締められる。
しかし、声は上げない。
それに再び微笑んだアクラムは、そのまま自らの腕の中に閉じ込めるようにして細い身体を抱き締めた。
「…何を?!」
全身の動きを封じられ、何よりも唐突な敵の行動に驚いたのだろう、泰明が初めて動揺した声を発した。
「さあ、これでお前の身体も、命すらも私の手の中だ」
半ば脅すように囁き掛けると、強く抱き締めた華奢な身体が微かに強張るのが分かった。
「…愚かなことよ。
以前のお前ならば、このように瞬く間に四肢の動きを封じられるような隙を見せることなどなかっただろうに」
言って、片手で細い腰を抑え付けるように抱いたまま、もう片方の手で泰明の華奢な頤を掴む。
そうして、無理矢理顔を仰向かせ、呪いのあった辺りを白く長い指で辿った。
「…?」
その思いも寄らぬ優しい触れ方に、泰明が怪訝そうに柳眉を顰める。
「…そう、だからこそ、欲しいと思ったのだ。造り物だとて、恥じる必要はない。
強い能力と美しさを兼ね備えた…お前はただの人間よりも優れた道具だった」
「私は道具ではない…!」
傲慢な囁きに、鋭い反発の言葉が返った。
同時に無形の力が走る。
「ッ…!」
紐を切られた仮面が滑り落ち、アクラムの白い素顔が明らかとなる。
そのとき、己がどのような表情をしていたのか、アクラム自身にも分からなかったが、
澄んだ瞳を煌かせてこちらを睨み据える泰明の表情が一瞬揺らいだ。
それでも、泰明は怯むことなくアクラムの青い瞳を見据え、言葉を継いだ。
「以前の私はそうだったかもしれない。しかし、今は違う。私は人になった。
造り物だという事実は変わらないが、人の心を得ることが出来たのだ。今の私は、意志のない道具ではない」
「そうだな…今のお前は最早、道具としての価値もない」
泰明の思わぬ反撃を内心面白く感じながらも、アクラムは否定の言葉を投げ付ける。
「そうか、お前に隙が出来たのは、無駄な心などを得た所為か。せっかくの反撃が手緩いのもその所為か?
よもや、私が傷付くのを憚ったというのではあるまいな?」
「お前がこれ以上、何かを仕掛けるつもりなら容赦はしない」
「言うことだけは勇ましいが、今のお前に私を倒すことができるか?」
嘲るように言いながら、アクラムはふと、目を細めた。
掴んだままの泰明の顎をさらに引き寄せ、触れ合うほど間近でその瞳を覗き込んだ。
「…想う者がいるだろう?」
「……」
「その者がお前に心を与え、その顔の呪いをも解いた。そういうことか…?」
「お前には関わりのないこと」
アクラムの言葉を撥ね付け、泰明はアクラムの視線を避けるように、長い睫毛を伏せようとする。
瞬間、腹の底から焦燥に似た怒りが沸き上がる。
その凶暴な感情に導かれるまま、アクラムは目の前の花弁のような唇に噛み付くように口付けていた。
色違いの瞳が驚愕に大きく見開かれ、腕の中の細い身体が明らかに強張る。
抵抗の為にその身体に力が込められる寸前、ふいにアクラムは突き放すように泰明を解放する。
泰明は一瞬身体をよろめかせたが、すぐに体勢を立て直した。
素早く攻撃態勢を取りながら、敵を睨み据えようとした泰明の瞳が、再び戸惑うように揺れる。
「お前は一体…?」
今の己は一体どのような表情をしているのか。
泰明の白い手首に、己の掴んだ痕が痣のように残っている。
しかし、それはすぐに消え去るだろう。
その顔にあった呪いよりも儚く、跡形もなく。
それを惜しむ自分をも嘲るように、アクラムは整った唇の両端を吊り上げる。
「決着はもうすぐだ。焦ることはない。そのとき、全てを滅ぼそう。お前も…お前の愛する者も……」
「させぬ」
毅然と宣言する清冽な眼差し。
愚かなひとの感情を得て、道具としての価値を失った人形。
なのに何故、今も尚、欲しいと思うのだろう。
「ならば、お前が私を滅ぼすか…?」
応えを聞かずに、アクラムはその場を去った。
声にならぬ想いだけが、届くことなく蟠る。
今更、何をしたところで、お前を得ることは叶わぬ。
ならば、滅びた世界と共に、お前の骸を抱き締めよう。
それすら叶わぬというのなら…
他ならぬお前の手で、お前を得られぬ私を……
滅ぼして……くれるか?