Blue 〜knot

 

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 やがて、耳慣れた足音が近付いてきて、天真はようやく、泰明を抱き締めていた腕を解いた。

「…悪い」

「いや…」

 僅かに顔を伏せ気味にして、呟くように謝る天真に、泰明は首を振る。

 振り返ると、予想したとおり、友雅が立っている。

「残念ながら、瀬里沢氏は助からなかったよ。急所を撃たれていた。

念の為、盗まれたものは無いかと、部屋の中を見て回ったが、荒らされた形跡はなし。

犯人は最初から、彼の命を奪うことが狙いだったのかな?」

 確かめるような問いに、天真がすいと進み出る。

「天真…」

 気遣わしげに声を掛ける泰明に、首を振ってみせ、天真は顔を上げた。

「瀬里沢が撃たれたすぐ後に、俺が現場に到着したんだ、家探ししようにもそんな余裕はなかっただろう。

けど、犯人は予め瀬里沢を始末することだけを目的に送り込まれたんだと思う」

 そう応えた天真は、改めて自分が見聞きしたことを友雅に報告する。

 瀬里沢を撃った犯人が、妹の蘭であること、しかし、彼女は天真の呼び掛けに応えず、明らかに尋常ではない様子であったこと…

その背後にはやはり、軍が潜んでいるのではないかということ。

 淡々とした天真の報告は、今まで行方不明だった唯一の肉親が絡んでいるにも拘らず、

あくまでもレジスタンス主要メンバーとしての立場に徹したものだった。

 表面的にでも冷静でいないと、肉親の情に押し流されてしまいそうだからなのかもしれない。

 その証拠に、こうして傍にいるだけでも天真の張り詰めた気が伝わってくる。

「分かった。では、本部に戻って、早急に皆と今後の対策について話し合おう」

 天真の報告に頷きながら、友雅は、拾ってきた天真の携帯端末を差し出す。

「サンキュ」

 ところが、それを受け取ろうと天真が手を伸ばすと、すいと端末を持った手を動かして、天真の手を避けた。

「…何だよ」

 眉を顰める天真に、友雅は苦笑して肩を竦めてみせる。

「これを受け取る前に、君はまず、その傷の応急手当をすること。

深くはない傷だとしても、利き腕だろう?手当は早くするに越したことはないと思うけどね」

「あ、ああ…」

 友雅に指摘されて、やっと気付いたように、天真は己の傷付いた腕を見下ろす。

「私がやる」

 すかさず、泰明が歩み寄って、天真の傷付いた腕を取った。

「いててて!痛いって!もうちょっと、優しくして…」

「我慢をしろ」

 手早く止血をしつつ、やっと常の調子を見せ始めた天真に、泰明は少しだけ安堵する。

 問題は山積しており、心から安堵することは不可能だったが。

 ふと、友雅と目が合った瞬間に、泰明の澄んだ瞳が僅かに揺らぐ。

 だが、その揺らめきはすぐに治まり、強い光へと取って代わった。

 それは闘い続ける意志を秘めた光だ。

「それでは、頼久と少年のところに向かおうか」

「そうだな」

 天真の手当を終えた泰明は、友雅の言葉に頷いて、早足で歩き出す。

 その後ろに従うように歩き出しながら、怪訝そうな天真に、友雅が説明する。

「君が事件に巻き込まれている間に、泰明も事件に巻き込まれていたのさ。街で出会った少年の家族が軍に襲われたらしい」

「そうだったのか」

 はっと目を瞠る天真に、友雅は優雅に微笑んでみせる。

 しかし、その瞳に笑みはなく、代わりに刃のような鋭さが潜んでいる。

「気の所為ならばいいのだがね…レジスタンスの拠点がある情報都市に程近いこの街に、瀬里沢氏が移り住んでいた。

そして、その瀬里沢氏を、ちょうど君たちがこの街を訪れた時に、突如現れた君の妹が、撃った。

どうも、拍子が合い過ぎているとは思わないかい?」

「…軍が俺たちの動きを知っているって言うのか!?」

「可能性はある。だが、この件について詳しく話すのは、本部に戻って皆を集めてからにしよう」

 今は何処に人目があるか分からない状況だ。

 顔色を変える天真にそう言って、ひとまず話を切り上げた友雅は、歩く速度を速めながら、ちらりと横目で天真を見遣った。

「ただ…もしそうであるなら、今回の件は、我々レジスタンスに対する軍からの挑戦ということになる」

 

 

 出発してから十分に満たないうちに、頼久は目的の路地に辿り着いた。

「…ッ誰?!」

 路地の入口に立ったとき、少年らしい高い声が、やや震えて小さいながらも、鋭く誰何してきた。

「源頼久と申します。泰明殿と志を同じくする者です。泰明殿の依頼でこちらに参りました」

 そう名乗ってから、頼久は路地に足を踏み入れた。

 まだ、警戒されているかもしれないと思ったが、構わずに、少年の近くまで歩み寄る。

「怪我人がいるのだと聞き及んでおります。まずは、その方の手当てをさせていただきます」

 少年の前に跪き、怪我人を引き取ろうと腕を伸ばす。

 が…

 俯いた少年が僅かに首を振った。

「……」

 その意味を悟った頼久は、上げた腕をゆっくりと下ろす。

 俯いたままの少年が、固く目を閉じた初老の男を支える腕に力を込める。

 建物と建物の間に挟まれた暗がりの中でも煌く金の髪に遮られて、その表情は窺えない。

 しかし、見えずとも、今の少年の心情は容易く想像できる。

 頼久は目を伏せ、静かに立ち上がった。

 

 

 路地の入口に佇む背の高い青年の姿を見付けて、泰明は怪訝そうに柳眉を顰める。

 足を速めて近付いていくと、青年が藍色の髪を揺らしながら振り返った。

「どうしたのだ、頼久…」

 振り向いた頼久の沈痛な表情に、泰明は問い掛けの言葉を途切れさせる。

 後からやってきた友雅と天真も何かに気付いたように表情を改めた。

 泰明は佇む頼久の脇を通り過ぎて、路地に入る。

 そこでは詩紋が息絶えた店主の身体を抱えたまま、ぼんやりと虚空を見詰めていた。

「詩紋」

 目の前に跪いて名を呼んでみるが、反応がない。

「……」

 間に合わなかった無念さに心を塞がれつつ、見るともなく詩紋に抱えられた店主の顔を見た泰明は、

その目を閉じた表情が穏やかであることに気が付いた。

 少なくとも店主は苦しまずに逝けた…そして、それはきっと詩紋のお蔭なのだ。

そう考えるのは…そして、そのことに僅かでも救いを見出そうとするのは、欺瞞なのかもしれない。

しかし…

視線を動かした泰明は、ふと詩紋の白い頬に幾つか掠り傷があるのを目にし、思い出した。

そういえば、詩紋のこの傷を手当するのが、己の最初の目的だった。

振り返ると、頼久が心得たように、携えてきた薬箱を差し出してくる。

「どうぞこちらを」

「有難う、頼久」

 受け取った薬箱の中から手早く消毒薬を探し出し、清潔なガーゼに沁み込ませる。

 手を伸ばして、小さなガーゼをそっと、頬の傷に押し当てると、不意に詩紋が大きく瞬きをした。

 

「…あ……」

 ぼんやりとしていた眼差しが、泰明の上に焦点を結ぶ。

 詩紋の目に真っ先に飛び込んできたのは、仄かに光輝く翡翠色の髪の天使の姿だった。

「沁みるか?」

 綺麗な宝石のように澄んだ瞳を気遣わしげに瞬かせて、天使が…いや、泰明が問う。

その言葉の意味を、理解するのに数瞬の時を要する。

それから、慌てて首を振った詩紋だったが、その拍子に目尻から零れて、頬を転がり落ちるものがあった。

「―――ッ!」

 どうしよう。

 傷が沁みる訳ではないのに。

 泰明の所為ではないと伝えなければならないのに。

 それなのに、上手く言葉が出てこない。

 涙が止まらない。

「違…ッ…すみませ……」

 嗚咽を堪えながら、何とか言葉を紡ごうとするが、出てくるのは意味を成さない言葉ばかり。

 泰明は黙って、そんな詩紋の傷の手当を続ける。

 頬に触れる細い指先が柔らかくて優しくて、ますます涙が溢れ出てきてしまう。

 

『お前は本当に優しい…良い子だよ……』

 

 脳裏に店主の言葉が甦り、詩紋は店主の亡骸を両腕で強く抱き締めた。

 

 

「御苦労だったな、ラン」

 広い部屋の執務机で、端末を操作しながら、青年は目の前に立つ少女をそう労った。

 聊かも心の篭っていない言葉だったが、少女もそれに負けず劣らず心の篭っていない無機質な言葉を返す。

「途中で邪魔者が現れたため、ターゲットの生死を確認するまではし遂せませんでした。申し訳ありません」

「構わぬ」

 不意に、青年が整った唇に笑みを載せる。

 立ち上がり、執務机を回って、少女へとゆっくり歩み寄る。

 その広い肩先に振り掛かる金の髪が、室内灯の光を弾いて煌いた。

「その邪魔者に、お前は何か感じなかったか?」

 そう少女を見下ろしながら尋ねてくる青年に、少女は無表情のまま応える。

「いいえ」

「あの邪魔者…森村天真は、ラン…お前の兄だった者だ」

「あに…」

 青年の言葉を呟くように復唱した蘭はしかし、すぐに乱れのない淡々とした口調で言葉を紡ぐ。

「私はアクラム様の道具として、新たに生まれ変わった者。今の私には関係ありません」

「そうか」

 蘭の応えに、アクラムは嘲笑する。

「脆いものだな、肉親の絆など」

 蘭は応えない。

 ただ、無機質な眼差しを真っ直ぐに目の前の秀麗な容貌の青年に向けているだけだ。

 そんな少女を嘲笑うような、哀れむような眼差しで見返しながら、アクラムが問う。

「お前に望みはあるか?」

「我が主人たるアクラム様の命に従うことが私の望み」

「……」

 その応えに、アクラムの唇から笑みが消える。

 主人の表情の変化には構わずに、蘭は言葉を紡ぐ。

「全てはアクラム様の望みのままに」

その言葉にアクラムは、くっくっと喉を鳴らして笑い出す。

「忠実な部下を持って幸いなことだ」

 投げ出すように言い捨て、手を振って蘭を下がらせる。

 細い背中が扉の向こうに消えるのを待たずに、アクラムは扉に背を向け、執務机に戻った。

「…単なる人形が良くも言うものだ」

 嘲る口調で呟き、ホログラムを起ち上げる。

「私の望みか…」

 笑みを含みながらも、何処か虚ろに響く声で、独りごちつつ、映し出された立体映像へ手を伸ばす。

 煌く翡翠色の髪が揺れる。

白い肌が輝く。

映し出される美しい幻に触れることなく、指は虚しく擦り抜けたが、ただ一度見えた記憶が、その感触を鮮やかに思い出させてくれる。

「お前が今抱く望みは、お前自身のものか?それとも…作られたものか…?」

 こちらを見ていない澄んだ色違いの瞳を見詰めながら、アクラムは呟いた。

 次いで、その唇にゆっくりと愉悦の笑みを刷く。

「いずれ見えた時に、その応えを教えて貰おうか…」

 

 アズラエル…

 

 焦がれるように囁く声が、広い部屋を充たす乾いた空気に溶けていった。

 


the end? or...
お付き合い有難う御座いました(平伏)。 「Blue 〜knot〜」はひとまず閉幕で御座います。 某様のリクエストにお応えして(?)、ラストはちょっとストーカーちっくなアクラムさまに締めていただきました(笑)。 とはいえ、薄暗い展開続きで申し訳ありません…んが!今後もますます薄暗くなって参ります(汗)。 シリーズとしての話も終盤戦に突入し、着地点もそろそろ見えてきた感じです。 現段階では一応、あと二章で完結させる予定ですが、実のところ、まだまだ先は長いです(苦笑)。 一章自体が、今までに比べて凄く長くなりそうな予感がひしひしと…(笑) やっすんの可憐さや、ともやすらぶらぶその他(笑)の息抜き要素も交えつつ、書いていきたい所存であります。 今後とも宜しくお付き合い下さいましたら、幸いです♪ top back next