Blue 〜eden

 

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『何だと!』

『申し訳ありません。あらゆる手を尽くしましたが…我々医師団では力及ばず…どうか、お許し下さい。

それに…これまでの治療で、―――様の体力も限界を迎えつつあります。

この上は、これ以上お身体を痛めつけることなく、残りの限られた日々を穏やかに過ごされるよう心配りをするしか我々には術がありません』

『……諦めよと、そう申すのか?』

『…その通りです』

『もう良い、お前たちは出て行け。誰か、研究室長を呼び出せ』

『はっ』

『…何をなさるおつもりです?』

『最早お前には関係の無いことだ。さっさと出てゆけ!』

 強引に連れ出される幾つもの足音が乱れながら、遠ざかっていく。

 その合間に、嗄れた声音が言葉を落とす。

『どんな形でもよい。ただ、生きてさえいれば。跡継ぎが生きていることを周囲に知らしめることができれば…』

 

 

 規則的なノックの音が響く。

「……誰だ」

 ベッドの上に起き上がっていたアクラムは、視線を脇に横たわる人物へと向けたまま、億劫そうに誰何する。

「久世(クゼ)です。お休みのところ失礼いたします、閣下」

「中将か。まずは入れ。その後で用件を聞こう」

「は」

 扉を開いて、参謀中将が部屋に入ってくる。

 深く腰を折り、敬礼をした後、将軍のいるベッドへと視線を向ける。

 将軍はまだ、上半身に衣服を纏っておらず、その白く若々しい肌を空気に晒していた。

 その傍らには、少女のような美貌の青年が、うつ伏せで横たわっている。

 露になった白い背中を覆いながら、細かな模様を描くように鮮やかに散り乱れる翡翠色の髪。

 垣間見える微かに紅を帯びる肌に、小さな薄紅色の痣がいくつも浮かんでいるのを見咎めた中将の眉が、僅かにしかめられる。

「公私を厳格に分かつお前が、この部屋を訪れるとは、よほどの用件なのだろうな」

 話の先を促しながらも、アクラムの目は中将を見ていない。

 傍らの泰明に向けられたままだ。

強引な眠りに堕とされた泰明は、今も苦しげに眉を寄せている。

その伏せられた滑らかな瞼を縁取る長い睫の陰にとどまる雫を、アクラムは伸ばした指で掬うように拭った。

そうして、やっと視線を中将に向ける。

「どうした?早く用件を言え」

 黙りこんでしまった中将を、苦笑混じりに再度促す。

「…っ、申し訳ございません」

 そこでやっと我に返った中将は、顔つきを改めて口を開く。

「市中の見回りに出している者から気になる報告がありました。曰く…民に不穏な動きあり、と」

「不穏な動きとは?」

「路地裏などで、見張りの軍の目を盗んだ民が集まり、何事かを相談している姿が各所で見られています」

「それがどうした」

「…そのまま放置しておくのは危険です。

民の一人ひとりが考え、その上で団結して、軍に刃向かうこととなれば、幾ら我々でもその勢力を抑えきることは難しいと思われます」

「捨て置け」

「閣下!」

 ゆっくりとベッドから下りるアクラムに、中将は声を高めて呼びかける。

 アクラムはそんな中将に視線を流し、唇の片端を吊り上げて嘲笑した。

「武器を持たぬ民がそれほどまでに恐ろしいとお前は言うのか?たかが民。多少寄り集まって刃向かおうとも我々の敵ではあるまい?」

 そう言い捨てて、ソファの背に掛けてあるシャツを取り上げ、ゆっくりと羽織る。

 シャツに覆い隠される背に流れる金髪を見据えながら、中将は一つ大きく息を吸い、吐き出す息と共に、重い言葉を吐く。

「…確かに、寄り集まった民が、秩序なくそれぞれ暴れるだけならば、充分抑えが利くでしょう。

しかし、レジスタンスの存在があります。

先日決行したレジスタンス殲滅作戦も失敗に終わり、それまでの本拠地を撤退した彼らが何処に潜んでいるかも分かっておりません。

今回の民の動きが、もしも、レジスタンスの活動によるものであり、彼らが一致団結して、我らに向かって来るのだとしたら…

統率の取れた集団は、たとえ武器を持たずとも恐ろしいものです。閣下、どうか、的確なご指示をいただけますようお願いいたします。

場合によっては、民の心を和らげるために、食物の支給やいずれかの規制を緩和する方策も…」

「では、叩き潰せ」

 冷たい声音が中将の言葉を遮る。

「私の指示は先日下したものと変わらない。刃向かう者は徹底的に叩き潰せ。軍に逆らえばどうなるか…思い知らせてやればよい」

「しかし、それでは…」

「民の動きにレジスタンスが絡んでいるとのお前の推測が正しいとしても…率いる頭を潰せば済むだけのこと。レジスタンスを率いる橘友雅。

あの男を捕らえよ。捕えた後は、悪戯に人心を惑わした罪で公開処刑にする。民にとっては、よい見せしめとなるだろう。

余計な懸念をする必要はない。何もせずとも、あの男は自らやって来る。わが手の内にアズラエルがある限り…な」

「閣下…」

「異論は聞かぬ。お前のすべきことはひとつだ、久世参謀中将。下された指令を忠実に遂行せよ。身支度を整え次第、私も司令室へ赴く」

 冷えた声音で言い放ち、アクラムは手振りで下がるよう中将に促す。

「承知いたしました…それでは、失礼いたします」

 従うより他なく、中将は一礼をして、部屋を後にする。

 扉を閉める直前、アクラムが再び泰明の眠るベッドへと近づくのが見えた。

 扉の前で中将は、重いため息をつく。

 その眉は険しく顰められたままだ。

「…誰だ」

 ふと近くにある気配に気づき、誰何すると、廊下の角から、癖のある金髪の少年が現れた。

「流山殿か。何故、貴君がここに?」

 鋭い眼差しで問う中将に、詩紋は動揺することなく応える。

「閣下が僕をお呼びになったので。おそらく…泰明さんのお世話をさせる為だと思います」

「泰明…?ああ、アズラエルか」

 一瞬怪訝そうな声を上げてから頷いた中将は、厳しい眼差しを緩めずに、詩紋に問いかける。

「…君もアズラエルに対する思い入れがずいぶんと深いようだ。よもや、あの人形のために、我々を裏切る…などということはなかろうな?」

 押し付けるような問いに、詩紋はわずかに苦笑する。

「僕には何としても守りたい両親がいます。彼らを危険に晒すようなことはできません」

「そうか、そうだな…君のご両親の命はわが軍が握っている。そして、君は優しい。軍属にはふさわしくないほどの優しさだ。

そんな君が、たかが人形を差し置いて、ご両親を見捨てる訳がない…か」

 詩紋は肯定も否定もせずに、中将の言葉を聞いている。

 中将はもう一度重いため息をつく。

 その不意を突くように、詩紋が問いを発した。

「中将。あなたは先ほど泰明さんへの思い入れについて、僕「も」と言われました。それはどういうことでしょうか?」

「……」

 中将は暫し黙していたが、やがて苦悩に満ちた表情で言葉を吐く。

「以前から見受けられたことではあるが…閣下のアズラエルへの執着は、尋常ではない。アズラエルを手中にした近頃は特に……

あのまま、閣下の傍にアズラエルを置いておくのは危険なのではないか…あの人形が、閣下の…

ひいては軍の火種になるのではないかという危惧を、私は拭えぬのだ…」

 そこまで言って、中将は、はっと口を噤む。

「言葉が過ぎたようだ。今の件は、他言無用に願いたい」

「分かっています」

 詩紋が頷くと、中将は無理やり作ったような笑みを返し、指令を果たすべく、その場を後にした。

 

 

「遅かったな」

 詩紋がノックをして部屋に入ると、そう言葉を掛けられた。

「申し訳ありません」

 それだけを言って、伏せていた目を上げると、奥のベッドの脇に、すっかり身支度を整えたアクラムが立っていた。

 アクラムは視線で、帳に覆われたベッドの中を示す。

「少々乱暴に扱った。手当てを」

「…え」

 一瞬遅れて言葉の意味を理解した詩紋は、その場で凍りつく。

 が、衝撃よりも泰明への心配のほうが勝り、意を決して進み出た。

 そうして、帳の奥を覗き込むと、白いシーツと長い翡翠色の髪に包まれて、泰明が寝入っていた。

 垣間見える肩口の、柔らかな白さにどきりとする。

 やや苦しげに眉根を寄せた、それでも美しい寝顔。

だが、それほど目立った傷はないように見える。

詩紋の内心の疑問に答えるように、アクラムの整った指が、泰明の首筋に掛かる髪を軽く払いのけた。

「!」

 白い首筋にうっすらと赤い痣が巻きつくように浮かんでいる。

「これに仕掛けた電流の所為だがな。軽い火傷をしたらしい。あまりに威勢が良過ぎるゆえ、こちらもつい、加減が利かなくなった」

 アクラムは手の中にある華奢な首飾りを弄びながら、独り言めいた口調で言った。

「しかし、この程度の傷ならば、お前の能力で充分に癒せるだろう」

「はい。大丈夫だと思います」

 詩紋は頷きを返したものの、幾ら軽いとはいえ、首飾りのような赤い痣は、滑らかそうな白い肌には痛ましく目に映る。

一刻も早く癒したい気持ちになって、詩紋はそっと手を伸ばし、首筋を覆うように手を翳す。

 そのとき、シーツの蔭に隠された肌に、首筋にあるものとは別の、花弁のような痣が幾つもあるのが目に入った。

「…ッ」

 頭では理解していても、実際に目で確かめてしまうと、より一層の衝撃を受ける。

 詩紋は僅かに口元を引き締め、手が震えてしまいそうになるのを堪えた。

 アクラムはそんな反応を見越して、敢えて詩紋をここに呼んだのだろうか。

 横目でアクラムの様子を伺うと、彼はまったくの無表情で横たわる泰明を見詰めていた。

 その冷たい色の瞳に、何故か灼け付くような熱さが潜んでいるような気がする。

 詩紋がそっと手を離すと、首筋にある痣は綺麗に消えていた。

 小さく息を吐いた詩紋へと、アクラムが視線を動かす。

「アズラエルが目覚めるまで、お前が傍にいたほうが良かろうな」

「え?」

 思わず目を瞠って振り向いた詩紋に、無造作に命じる。

「手を出せ」

 そうして、反射的に従った詩紋の差し出された手に、首飾りと、鍵を渡して寄越した。

「これは…」

「私もアズラエルの目覚めを待っていたいところだが…生憎その暇がない。

故にお前にこれを預ける。アズラエルが目覚めたら、この首飾りを付けて、部屋を出ろ」

「僕に…預けるというのですか?」

 詩紋は呆然として問い返す。

 そんな彼の内心の動揺を見透かすかのように、アクラムは嗤った。

「『ジーニアス』隊長であるお前を信頼するが故だ。その信頼に応えるか否かは、お前に任せよう」

「……」

「ただ…その決断は、お前の両親の運命をも道連れにすることを、忘れなければそれでいい」

 そう言い残して、アクラムは部屋を出て行った。

 詩紋は敬礼も忘れて、背後で扉が閉まる音を聞く。

 硬い表情で、手の内にある首飾りと…鍵を見詰める。

 軽いはずのそれらが、何故か重く感じられた。

 


to be continued
およ?なんだか、あんまり話が進んでいないような…(汗) 朝チュン(笑)場面だけで終わってしまった…ぞ? しかも、姫は人事不省のままだし。 友雅氏も天真も出てこないし…登場をご期待くださった方々には、申し訳ありません。 彼らの出番は次回ということで! ほとんど動きのない今話でありますが、色々とネタは仕込んでおりますので(笑)。 詩紋は今章もちょっとしたキーパーソンとなります。 もうひとつの懸念事項であるところの(?)、やっすんの貞操についてですが、答えはあなたの心の中に♪←何ィ?! …嘘です。これも次回やっすんが目覚めてからの話で。 これも、引っ張る形になってしまいまして、申し訳ございませぬ…(汗) しかしまあ……状況からして、Bくらいまでは行ってますか?(笑) back top