Blue 〜eden

 

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 泰明は我知らず息を詰め、身を竦める。

 それは、己の首筋を捕らえる手指の冷たさゆえか、或いは別の理由からか。

 背後でアクラムが小さく笑う気配がした。

「…ッ!」

 直後耳に触れた小さな金属音に、泰明はびくりと華奢な肩を震わせた。

「そう怖がるな」

 今度は、はっきりとアクラムが嗤った。

 知らず瞑っていた目を開くと、首元に何かがあるのに気が付いた。

 そっと触れる。

 金属のような感触の物が、首筋を覆うように掛っている。

 故に、俯いてもそれが何なのか、詳細には分かり難かった。

 指先が、その繊細な輪郭と、そこから幾重にも下がる細い鎖、その所々に繋がれた石の形を伝えてくる。

「これは…?」

「首飾りだ。お前の瞳の色に合わせ、翡翠と琥珀で作らせた。小さいが、皆天然で上等の欠片だ」

 背後から伸びたアクラムの指が、弄ぶように首飾りの石のひとつを摘まんでみせる。

「良く似合う」

「……」

 揶揄を含んだ笑み声に、引かれるように泰明は顔を上げる。

 青い瞳が泰明を見下ろしていた。

「……どういうことだ?」

 困惑のあまり、何処か呆然とした口調で問うと、青い瞳が僅かに細くなった。

「ああ、このままではお前には首飾りが見えぬか。あちらに鏡がある」

 問いに応えずに、泰明の二の腕を掴み、鏡台のある壁際へと連れて行こうとする。

「ッ、必要ないッ!」

 アクラムの腕を泰明は力ずくで振り払った。

 その手で首飾りを外そうとするが、留め金が特殊なのか、上手く外すことができない。

 振り払われた腕を悠々と組んで、アクラムは、苦戦する泰明を愉しげに眺める。

「言っておくが、その首飾りは、私の指紋照合がないと外すことはできないぞ」

「…!何だと?」

「加えて、それは強化金属で作らせてある。見かけは華奢だが、無理に引き千切ろうとすれば、逆にお前の細い指が千切れる」

 泰明は首飾りに掛けた指を外し、鋭い眼差しでアクラムを睨んだ。

 だが、アクラムは怯まない。

 却って愉しげに言葉を継いだ。

「更に加えるなら、その首飾りには小型の発信機が内蔵されている。私の携帯端末と直結したものだ。

つまり、万が一、お前がここから逃げ出すことが出来たとしても、私にはお前の居場所が手に取るように分かる、という訳だ。

お前のような威勢の良い愛玩動物には必要な首輪だ。そうだろう?」

 アクラムの嘲りの言葉を耳にしつつ、泰明は改めて己の迂闊さに、紅い唇を噛んだ。

 そんな泰明の腕を、アクラムが再び掴む。

「行くぞ」

「何?」

 思わず掴まれた腕を引き戻そうとしながら、泰明は柳眉を顰める。

「お前は私をここから出さないつもりではなかったのか?」

 アクラムが小さく嗤う。

 そうして、手繰り寄せるように掴んだ泰明の腕を引き寄せ、半ば強引に立たせた。

「…ッ!」

 そのまま、相手の胸に倒れこみそうになるのを、泰明は寸でのところで堪える。

 きっと顔を上げて、睨みつけようとしたが、かち合った相手の眼差しにその勢いが不意にそがれる。

 こちらを見詰める青い瞳に、常にあった揶揄と嘲りの色が無い。

「見せたいものがある」

「…?」

 初めて見る眼差しの色に気を取られて、気が付けば相手に腕を引かれるまま、泰明は部屋から連れ出されていた。

 不本意だが、こうなっては、相手に従う他は無い。

 おとなしくなった泰明を見て、アクラムがにやりと笑う。

「部屋からお前を出したとて、無論、お前を手放す訳ではない。そのための首輪という訳だ」

 下手な期待は禁物だ。

 もう一度軽く泰明の細い首の飾りへと指先を触れて、そう言うアクラムの瞳は、既に常の色合いに戻っていた。

 そんな相手の視線を跳ね返しつつ、泰明は先程垣間見た眼差しを思い返していた。

 

 真摯で強い願いの篭った眼差し。

 …何処か懐かしい気もする。

 

 泰明は軽く首を振って、ふと浮かんだ不可解な感覚を振り払った。

 

 

「おい、聞いたか?御門が軍に…」

「おう、聞いた聞いた。奴ら、強引に御門を捕まえて幽閉したんだって?」

「今でこそ、お力はないが、数百年もの間、この国を統治なさってきた貴いお血筋の方に、なんと言うことを…」

「私たちの生活は…どうなるのかねえ?御門がそのような目に合っているって言うことは、やっぱり…」

「冗談じゃねえ!軍がこの国を支配するようになって、俺たちの生活はどんどん悪くなってる。これ以上悪くなって堪るもんか!」

「だけど、このままじゃ…」

「御門が治められてた頃は、こんなじゃなかったぜ!俺たちはもっと自由に暮らしていけた。

それが今じゃ、生活の仕方や口にする言葉も何もかも、統制されて…もう息が詰まりそうだ!」

「しっ!そんなことを言うのはお止し!もし、軍に聞かれたら……」

 一般民が住まう地区の路地裏の蔭で、囁くような声音での噂話の最中。

 思わず声を荒げかけた若者を年長の者が制する。

 慌てたように、件の若者を含めた全員が一旦口を噤み、辺りの様子を窺う。

 今の言葉を聞き咎める者はいないようだ。

 一先ず、安堵の息を吐く一同だったが、その表情は晴れない。

 止めはしたが、皆軍を批判した若者と同じ気持ちなのだ。

 その内の一人が、ふと思い出したように口を開いた。

「そういや、御門の噂と一緒にさ、気になる噂を聞いたんだけどよ…」

「ああ、あれか?俺はガセだと思うけどな……」

「だが、もし本当だったら、どうする?」

「どうするって…それこそ、お前はどうするんだよ?」

「今のままじゃ、俺たち皆何一つ自由にならないまま野垂れ死んでくだけだ。

なら、いっそのこと、そいつらに…賭けてみても良いかもしれない」

「おい、滅多なことを言うもんじゃねえよ!」

「そうだよ、もし噂が本当だとしても…御門を抑え込んだ軍に敵うわけ無いだろう?」

「じゃあ、皆このままで良いってのかよ!」

「これ!また!」

 再び激した若者が声を張り上げ、それをまた、仲間が制しようとした、そのとき。

「おい、お前たち!何をこそこそと話している!!」

 鋭い叱咤の声が飛び、けたたましい靴の音を立てながら、軍服の集団が路地に駆け込んできた。

「ひっ!」

 瞬く間に囲まれて、噂話をしていた街の人々は、怯えて身を竦める。

「おい!お前たち、何を話していたんだ!!」

 彼らに厳しく問い詰めながら、軍人の一人が、ベルトに挟んでいた鞭を引き出す。

 それがびしりと、路地の石畳を打ち、囲まれた人々は一層身を縮めた。

「な、何も…」

「嘘を吐け!!何かよからぬ噂話でもしていたのだろう。吐け!!吐かぬというのなら…」

 軍人の両手に握られた鞭が撓う。

 その顔に酷薄な笑みが浮かぶ。

 同じ笑みに顔を歪めた別の一人が、すらりとサーベルを抜いた。

 そのとき。

「や、止めろ!!」

 取り囲まれた集団とは別の方から、制止の声が上がった。

 剣呑な表情で、軍人らが振り向く。

 路地の入口に立っていたのは、数人の若者だ。

 彼らは軍人の冷たい眼差しに怯みながらも、勇気を振り絞って言葉を発した。

「武器も持たない、丸腰の一般民を相手に得物を振りかざして…恥ずかしいと思わねえのか?!」

「…そうだ!何かと言やぁ、力ずくで俺らを従わせようとしやがって!」

「その武器は一体何の為にあるんだよ?軍は何の為にあるんだよ?!俺たちみたいな一般民をただ脅して、苦しめる為だけにあるのかよ?!」

 勇気ある若者の言葉に励まされたように、次々と他の皆も軍に対する批難を口にし始める。

 思わぬ相手からの思わぬ反撃に、軍人らは、一瞬呆気に取られていたようだったが、我に返ると、その瞳を怒りで刃物のようにぎらつかせた。

「たかが一般民風情が、良くも言ってくれたものだな!」

「我らの崇高な理想も分からぬ愚民共め!!」

「ひとり残らず、叩きのめして、血祭りにあげてやる!!」

 言葉と同時に、黒い鞭が唸りを上げ、サーベルの銀の光が閃いた。

「わぁっ!!」

 その場にいた人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。

 それを軍人らが追いかける。

 路地の出口を塞ぎ、手にした得物を振り上げる。

 逃げ遅れた人々が、恐怖に身を竦ませたそのとき。

 

 黒い影が、次々と頭上から降って来た。

 

 路地に降り立った影は、飛鳥さながらの素早さで、軍人らが振りかざす武器を取り上げ、打ち倒していく。

「な、何者だっ?!」

 リーダー格と見られる襟に徽章のついた軍服を纏った男が、懐から拳銃を取り出そうとする。

 その腕を、風のように駆けてきた藍色の髪の青年が打ち据え、銃を取り落とさせる。

 次いで、死角から現れた茶色の髪の少年が、振り上げた脚を男の胴に叩き付ける。

 強烈な蹴りを見舞われた男は、もんどり打つように地面に転がり、そのまま昏倒した。

「おいおい、手応えがねえなあ…」

 蹴りを入れた少年、天真が呆れたように呟いた。

 敵が取り落とした銃を拾う頼久に、苦笑を向ける。

「二人掛かりで倒す必要は無かったかもな」

「そうだな。だが、銃を使わずに済んだのは幸いだったな。お蔭で敵の加勢を防ぐことが出来た」

 頼久が落ち着いた声音で言う間に、軍人らは一人残らず、他のレジスタンスメンバーの手によって、倒されていた。

「この者たちはどうしますか?」

「ん〜、そうだな。今の段階であまり大事にするのは不味い。

取り敢えず、身動きできないように縛り上げて、そこの死角になる辺りにでも転がしとくか」

「分かりました!」

助けられた街の住民が呆然と見守る中、レジスタンスの面々は、手際よく敵を縛り上げて、移動させていく。

倒した男の銃の型式を確認した頼久は、男が運び出されていく際、その襟の徽章も確認した。

「階級は伍長だな」

「何だ、やっぱり小物か」

 天真の言葉に、今度は頼久が苦笑する。

「私も軍にいた頃は、下士官の軍曹だったぞ」

「伍長よりは上じゃねえか。それに、お前は権力を笠に着て、弱いものいじめなんてしねえだろ」

 頼久は思わずと言ったように、凛々しい眉根を寄せ、溜め息混じりに言葉を返した。

「当り前だ」

「けど、少なくとも、こいつらは逆に、権力を笠に着るのが当り前だと思ってるんだろうな」

 運ばれていく黒服の男たちを見ながら、天真は笑みと苛立ちの混じった声音で呟いた。

そのとき、やっと我に返った街の人々が、天真に声を掛ける。

「……あ、あんたらは…?」

 天真はくるりと振り向いて、快活に笑った。

「あんたたち、怪我はしていないか?」

「あ、ああ。大丈夫だ。有難うよ」

「そりゃ良かった」

「けど…あんたらこそ、大丈夫なのかい?助けてもらっておいてなんだけれど、軍に逆らったりしたら、後が怖いよ?」

 不安そうに言う街の住民に、天真は殊更軽い口調で言葉を返す。

「ああ、それについては心配ご無用。元々覚悟は出来てる」

「え?」

「覚悟がなければ、このような行動に出ることはできません」

 天真に続いて、頼久が凛と引き締まった口調でそう言った。

 彼らふたりに従う男たちも皆、一様に何らかの決意をその表情に漲らせている。

 人々は驚きに目を瞠る。

 その内の一人、軍に最初に意見した若者が、恐る恐る口を開いた。

「…なあ、あんたら、もしかして……?」

 その問い掛けに、頼久と天真は不敵に微笑んだ。

 


to be continued
前回からの続きのあくやすは、こんなオチで(笑)。 しかし、色々ともったいぶった理由をつけつつ、高価な首輪…もとい、 首飾りをやっすんにちゃっかりプレゼントしてるアクラムは、なかなかオイシイかもしれません(?)。 やっすんが着る服も厳選しているようだし。 じわじわと攻めるアクラムに、姫も戸惑い気味。 んで、再びレジスタンスの動向です。 青龍組しかメインキャラは出てきませんけども(苦笑)。 大きな一歩を踏み出す彼ら。 軍打倒、及び姫救出を目指して、突き進みます!! …と言いつつ、次回は再びあくやすに戻ります。 あくやすがお好みでない方には、申し訳ありません。 とはいえ、この話のベースは、あくまでも、ともやすでありますので、 真のあくやす好きの方にも申し訳ないかもしれない…(汗) back top