Blue 〜eden〜
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硝子窓越しに見える空は、いつも灰色だ。
その空に今、更に濃い灰色の雲が厚く垂れ込め始めている。
間もなく、雲と同じ色の濁った雨が降り出すに違いない。
雨は枯れた大地に降り注ぎ、更に土を枯れさせる。
そうして、浄化されることのないまま、また空へと還っていくのだ。
詩紋は青い瞳を悲しげに翳らせた。
そうして、そう遠くない日のことに、思いを馳せる。
自分の腕の中で、大切な命が消えていくのをなすすべもなく、見守ることしか許されなかったあのとき。
そう、大切だったのだ、例え偽りから始まった生活でも。
詩紋に向かって、掠れた声で紡がれる言葉が、不意に途切れる。
店主の瞳が閉じられ、支える身体の重みが増した。
『っ?!おじさん!おじさん!!』
瞳から溢れだす涙もそのままに、詩紋は店主に必死に呼び掛ける。
微かに支えた身体を揺らしても、反応はない。
『――――ッ!!』
恐ろしい予感に、詩紋が息を詰まらせたそのとき。
路地の入口に人の気配を感じ、詩紋は、はっと振り返った。
まず目に入ったのは、煌く光。
しかし、それは詩紋にとって、僅かな願いをも打ち砕く光だった。
光の主は問う。
『何をしている?』
『あ…』
『様子を見に来て、正解だったな。偽りの生活に慣れ親しんだ余りに、お前は随分惑っているようだ』
彼の主でもある青年は、ふと端整な口元を笑ませる。
『また、それとは別のことにも惑っているようだがな』
『…!そんなことは…!!』
『来るべき時がやって来た。この上は、お前の果たすべき使命を果たせ』
言い当てられて、息を呑む詩紋に、すぐさま笑みを消した青年は、尊大な口調で言葉を紡いだ。
『忘れるな。お前には二つの選択肢しかない。守るか、失うかだ。
お前にとって、何が最も大切なのか、それを思えば、自ずと応えは知れるだろう…』
アクラムの言葉を聞きながら、詩紋は空を見上げた。
翡翠色の髪を靡かせた天使の幻が閃くように現れ、消えた……
奥の扉が開いて、詩紋は、はっとする。
素早く背筋を正し、入ってくる人物に向かって、敬礼をした。
「待たせたようだな」
「いいえ」
悠然と執務室に入ってきたアクラムは、無感動な目で詩紋を一瞥し、机の前の椅子に腰を掛けた。
机の上で肘を付いた手をゆっくりと組み、口を開く。
「此度の作戦、よくやり遂せた。流石は『ジーニアス』隊長だ」
「…いいえ」
心の篭っていない賛辞に、詩紋は目を伏せた。
その様に初めて、アクラムが嗤う。
「望まぬ指令に従うのは、苦痛か?」
「……」
「それも道理か。喜べとは言わぬ。だが、今後も指令には従ってもらうぞ」
「…はい」
「お前にとっては、不本意だろうがな」
そう言って、くっくっ、と喉を鳴らして笑った。
「アズラエルの様子が気になるか?それとも…両親の方か?」
不意に投げ掛けられた問いに、詩紋は伏せていた顔をはっと上げた。
「安心をしろ。お前の両親は生きている。お前が逆らわなければ、これからも生き続ける」
「そう…ですか」
詩紋は、色を無くした顔で呟くように応えた。
「アズラエルの様子は…自分の目で確かめるが良い」
「え?」
「傷の手当があるだろう。既にあれは目を覚ましているが、なかなか強情で手を焼いていたところだ。
お前が行けば、多少は素直になるかも知れぬ」
そう語るアクラムの様子が、見せ掛けではなく本当に愉しそうに見えて、詩紋は意外に思いながらも応える。
「僕は泰明さんにとっては裏切り者です。そんなことはないと思いますが…」
「お前はそう思うか。まあ良い。話したいことがあるのなら、幾らでも話すが良い」
「どういう…ことですか?」
「お前がアズラエルに持ち出す話題に関して、こちらでは一切統制しないということだ。
裏切りに対する言い訳でも、その理由でも、或いはお前が知っている軍の機密情報でも…好きなだけ話すが良い」
アクラムの言葉に、詩紋は青褪める。
それは、アクラムのふたつの考えを示していた。
ひとつは、一度手の中に堕ちた泰明を、もう決して手放すつもりはないと言うこと。
そして、もうひとつは…
詩紋は震えそうになる声を抑えながら、問う。
「将軍は…レジスタンスをどうするつもりですか?」
「そうだな…アズラエルが手に入った今、あの者たちを泳がせておく意味は無くなった」
アクラムが小さく笑い、無造作に言い放つ。
「叩き潰すか」
扉の鍵が開かれる音に、泰明は反応して顔を上げる。
窓際に腰掛けたまま、隙があれば動き出そうと身構えるが、入ってきた人物の姿に諦めて身体の力を抜く。
「まだ、そのようなところに腰掛けているのか」
泰明の姿を認めたアクラムが笑った。
この部屋に入ってくるのはいつもアクラムだけだ。
ゆったりとした動作であるのに、隙が無い。
故に、泰明は未だにこの部屋から抜け出すことが出来ずに居た。
アクラムはソファの背に掛けてある何着かの服のひとつを手に取る。
「着替えぬのか?」
「……」
泰明は服を一瞥したきり、ふいと目を逸らす。
そうして、アクラムの存在を忘れたかのように、窓の色硝子を見詰める。
しかし、その存在を意識しているのは、近付いてくる靴音に、僅かに強張る細い肩からも充分察せられた。
「流行のものばかり揃えさせたのだがな…ああ、それとも、女物の方が好みか?」
「…っ!」
「ここへ連れてきた時、お前は女物を纏っていたな。そう言えば…あの舞踏会の時もそうか。
確かにいずれもお前の容貌と肢体には良く似合っていた。ここにある物が気に入らぬのなら、用意させよう」
「いらぬ!」
思わず、泰明は鋭く振り返り、言葉を発していた。
「やっと口を開いたな」
アクラムが愉悦に瞳を細めた。
「怒り顔もなかなか良い」
「……」
泰明は白い頬を紅潮させて、アクラムを睨んだ。
そんな泰明に、アクラムは手にした服を投げ渡す。
「ならば、これに着替えることだ。でなければ、無理にでも女物を纏わせるぞ」
渡された服を両腕に抱えて、黙り込む泰明に、アクラムは揶揄混じりの戯言を放る。
「着替えの手伝いが必要か?」
言いながら、整った指先を泰明が纏う服の襟元に伸ばす。
「…ッいらぬ!」
その手を鋭い言葉と共に振り払うと、アクラムは愉快そうに声を立てて笑った。
手を振り払った拍子に、ふわりと舞った細い髪に一瞬だけ指を絡め、アクラムの手は離れていく。
「……」
奇妙な感覚に、泰明は僅かに細い眉を顰めた。
そんな泰明を他所に、アクラムは手付かずの食事が載った盆が置かれた卓に視線を投げる。
「食事も採っていないようだな。毒なぞは入っておらぬぞ」
泰明は億劫そうに口を開く。
「…お前の言うことなど信用できない」
その応えに、アクラムは愉しげに笑い、言葉を続けた。
「毒なぞ入れたところで、体内に浄化作用が備わったお前には効かぬだろう。
食事を採らずとも、活動維持は出来るとはいえ…採った方が、効率的なエネルギー変換が出来る筈だ」
そうして、泰明を見詰め、不敵に笑う。
「このまま捕らわれの身でいたいというのなら、無理には進めぬが。むしろ、そのほうがこちらには好都合」
この男は、何処までも模造天使のことを知り尽くしているらしい。
泰明はアクラムの眼差しを弾くように、睨み返した。
「私を捕らえて、どうするつもりだ」
「ようやくその言葉が出てきたか」
ゆっくりと腕を組みながら、アクラムは目を細めて泰明の姿を眺める。
「そうだな…まずは、その眼差しを私に向けさせること。次にその唇を開かせること。さて、その次は、どうするか…」
「偽りを言うな」
「偽りではないぞ。そう…最初に私が言ったことを覚えているか?覚悟を決めておけ、と。どうだ、覚悟は決まったか?」
「戯言を」
突き放す声音に、アクラムが再び声を立てて笑った。
「まだのようだな。まあ、良い。私も焦る気は無い。何せ、時間はたっぷりとあるのだからな」
「どういう…ことだ」
警戒心も露わに訊ねる泰明を、アクラムは冷たい笑みの滲む青い瞳で見返す。
「こうして、私の手の内に飛び込んできたお前を、決して手放すことはないと言うことだ。
お前は、私だけの籠の鳥となるのだよ。その美しい姿と囀りで私を愉しませる為に、な」
「ふざけるな!」
「良い囀りだ。その怒り顔を見られたことも、思わぬ収穫だった。
だが、あまり欲張りすぎると、後の愉しみが少なくなる。今日は、この辺りで満足しておくとするか」
玩弄する口調でそう言って、アクラムは身を翻す。
「着替えは私が去った後にするが良い。その際に、もう一度傷の手当てを。手伝いに、お前の知る人物を連れてきた」
去り際のアクラムの言葉に、泰明は息を呑む。
アクラムと入れ替わるように部屋に入ってきた金の巻き毛の少年の名を、呟くように呼ぶ。
「詩紋…」
詩紋は泰明の視線を避けるように、青い瞳を伏せた。
アクラムによるやっすんへのセクハラ第二弾。 心持ちパワーアップしてます(笑)。 やっすんの反応一つ一つを、愉しんでいるおやかた様(笑)って、なんかやらしいよねえ!! と思っているのは、私だけですか?(苦笑) ちなみに、アクラムがやっすんに着替えを勧める…もとい、強要するシーンは、 かの有名な「天空の城ラ○ュタ」のム○カとシ○タのシーンを何とな〜くイメージしていたり… アクラムのほうが下心たっぷりですが(笑)。 ですが、この後、友雅氏がパ○ーみたいに、飛行機に乗って助けに行く訳ではありません、念のため(笑)。 …というか、友雅氏以下レジスタンス面々の出番が無くて申し訳ありません(汗)。 あくやすシーンが愉しすぎて、長引きました!!(自白) せめて、あくやす好きの方々には喜んでいただけると良いのですが(笑)。 ちなみに前回、某様からご質問いただいた、やっすんの入浴と着替えは、アクラムが手ずからしたのか否かについてですが、 一応入浴(シャワー)は自動機械にさせ、お着替えは手ずからしたのだと思われます。 今まで見え隠れしていたアクラムのやっすんへの執着を思うと、例え部下でも、やっすんには触れさせないのではないかと。 なので、部下に着替えを手伝わせるのは、やっすんのお肌を隠してからということで、ひとつ! ということは、必要以上に触れてはいなくても、やっすんのお身体はバッチリ観察したっぽいです、アクラム… 何ていやらしい!!(笑) そんなこんなで、じわじわとやっすん包囲網を狭めていくアクラム。 やっすん貞操の危機は継続中です!!(だから違うって) 次回は、ずれ込んでしまった(苦笑)詩紋とやっすんの対話です。 そして、軍とレジスタンス間にも新たな動きが。う〜ん、頑張れ、皆!!(頑張るのは私じゃ!) back top