Blue 〜eden

 

− 1 −

 

『やあ、いらっしゃい。あの子もお待ちかねだよ』

 扉が開かれて、顔立ちも声音も優しげで穏やかな青年が現れた。

『あともう少しで、この子も目覚めることが出来ると思うんだ。そのときには、この子の最初の友達になってくれたら嬉しいな』

 笑顔で語る白衣の青年の傍らに、青い培養液で満たされた透明な円筒形の容器がある。

 そっと手を置いた指先の向こう側で、長い髪が優雅に水中で揺らめく。

 長い睫に閉ざされた瞳は、どのような色をしているのか。

 焦がれるように、その日を想った……

 

 

「駄目です、全く取り合って頂けませんでした……」

 皇宮からレジスタンス本部に戻った永泉は、そう言って肩を落とした。

 泰明が攫われた後、すぐさま皇宮に駆け込んだ永泉は、軍に対して正式な抗議を申し入れた。

 御門側の正式な視察の最中に、基地が爆破され、視察団が危険に晒されたというだけでも、大変な不祥事である。

 更に、視察団に加わっていた泰明は、あくまでも表向きは、御門の弟が敢えて同伴させた貴婦人ということになっている。

 その御門の弟にとって大切な女性が、基地爆破のいざこざに紛れて行方不明となったのだ。

 充分な抗議の理由となる。

 しかし。

 

『この度は当基地での不測の事態に、殿下を始めとした視察団の方々を巻き込んでしまったこと、真に遺憾に思っております』

 直に通信画面に出た将軍は、全く表情を変えぬまま、殊勝な言葉を吐いた。

 そんな将軍の姿を、永泉は日頃は柔らかな印象を与える紫色の瞳に、厳しい光を宿して見据える。

「私が求めているのは、謝罪の言葉ではありません。視察団に加わっていたご婦人の行方について知りたいのです」

 将軍が僅かに苦笑した。

『まるで、そのご婦人を我々が隠しているかのような口振りですな』

「そう思われても仕方が無いのではありませんか?」

 将軍はゆっくりと机の上で両肘を突き、組んだ手で顔の下半分を覆うようにしながら、強気に言い返す永泉を、青い瞳で見返した。

『殿下の仰るご婦人の行方に関しては、現在我々は把握しておりません。至急爆破された基地で生存者の探索、確認をさせている最中ですが…

正直、絶望的かと。この件で、無事なのは、爆破前に自力で基地を脱出なさった殿下ご一行のみなのですよ』

「ですが、彼女は…!」

『納得できないお気持ちも分かります。我々も可能性がゼロではない以上、力を尽くして捜索に当たりましょう』

 堂々と泰明を攫っておきながら、よくも抜け抜けと言うものだ。

 平静を装いつつも、永泉は密かに拳を握る。

 そんな様子を知ってか知らずか、将軍は不意にこのようなことを言い出した。

『ところで、今回の事件…まだ、調査中故、断言は出来ませんが、さる叛乱組織の仕業ではないかと、こちらでは考えているのですよ』

「…叛乱組織?とはどのような…」

『さて…そこまで調査が進んでおりませんのでな。もしや、殿下はご存知ではありませんか?その叛乱組織のことを…』

「…!」

 不意を突かれて、思わず息を呑んでしまったことを悟られはしなかっただろうか。

 何とか平静を取り戻して、永泉は言葉を紡ぐ。

「仰る意味が分かりませんが…」

『視察団に参加していたご婦人がひとり行方不明となり、その後に基地が爆破された。

そして、この件で助かったのは、貴殿ら視察団のみ。さて、この事実が一体何を指し示しているのか…』

 永泉の白い顔がさっと青褪めた。

 半分は驚愕の為、もう半分は怒りの為だ。

「閣下は、彼女を…そして私たち御門側をも、疑っておられるのですか?!」

 永泉の激しい口調に、将軍の青い瞳が細められた。

 口元は組んだ手に隠されて見えないが、確かに嗤ったようだった。

『失礼。言葉が過ぎましたな。私も大事な基地を壊滅させられて多少は動揺しているらしい。どうか、ご容赦頂きたい』

 そうして、形ばかりの挨拶の後、通信は切れた。

 

「良くも抜け抜けと…!」

「とんだ濡れ衣だ!基地の爆破は、あいつらの自作自演じゃねえか!!」

「それで、結局、泰明殿については、はぐらかされてしまったのですね…」

「はい、そうです。申し訳ありません…」

「泰明は…泰明は無事なのか?!ちくしょう、軍の奴ら!蘭だけじゃなく、泰明まで!!」

 永泉の報告を聞いて憤慨し、焦る一同を、友雅が静かに宥める。

「落ち着きたまえ。気が立っていては、思わぬところで足を掬われる。見落としてはならないものを見落とすことにもなる」

 落ち着いてはいるが、底冷えがするほどの気迫を孕んだ声音に、その場は一瞬にして静まった。

 そんな一同を前に、友雅はゆっくりと腕を組む。

「基地爆破の件は確かに濡れ衣だが…敵はこちらの予想以上に、我々レジスタンスのことを把握しているのかもしれない。

少なくとも、永泉様に探りを入れるくらいにはね」

 永泉が顔色を変える。

「ではやはり、将軍は既に、レジスタンスと御門の繋がりを見抜いて…?」

「確信を得るまでには到っていないとは思うのですがね…」

 そうでなければ、今までのレジスタンスの活動を黙って見過ごしていた理由が分からない。

 しかし、同時に、あの将軍の考えを常識的な範囲で測るのは危険だという予感もあった。

「とにかく、急いで体制を整えよう。整い次第、打って出る」

「良いのか?まだ、泰明が何処にいるのか分からないってのに…」

 問いを発した天真に、友雅は口元だけで微笑んで見せた。

「心配しなくて良い。泰明の居場所なら分かっているよ。泰明は間違いなく…」

 腕組みを解いた友雅の指先が、モニターに表示された軍本部を描いた地図の中心を弾くように叩く。

「将軍の元にいる」

 

 

「夢か…」

 身を起こした青年は、目の前で煌く金の髪を煩わしげに掻き上げ、自嘲の笑みに整った唇を歪めた。

 過ぎ去った時は、戻すことなど出来ない。

 元より戻る気も無い。

「今はただ、欲しいものをこの手で掴むだけだ」

 誰にとも無く呟いて、身を凭れ掛けさせていたソファから立ち上がる。

 ソファの背に掛けていた黒い軍服の上着を無造作に羽織りながら、部屋の奥にあるベッドへと近付く。

 天蓋から吊るされた帳を片手で分けると同時に、横たわっていた人物の長い翡翠色の睫が震えた。

 象牙色の艶やかな瞼が、そっと開く。

 現れる翡翠と黄玉の瞳に、アクラムは笑み混じりの言葉を投げた。

「思ったよりも目覚めるのが早い」

「…?」

 色違いの瞳が訝しげにアクラムを見返す。

「ッ…!!」

 次の瞬間、弾かれるように身を起こし、アクラムから身を離そうとする。

 が、左肩を走る痛みに、強く細い眉根を寄せた。

「無理に動くと、傷に障るぞ」

「……」

 それでも、目が覚めた泰明は、ベッドの上で精一杯アクラムから距離を取った。

アクラムの美貌を注意深く見据えながら、周囲の状況を探っている様子だ。

 その間も、薄紅色の柔らかな唇は閉ざされたままだ。

閉じ込められた仔猫のように警戒する姿に、アクラムは笑った。

 そうして、相手の探っている応えを与えてやる。

「ここは、軍本部。その居住スペースにある将軍専用の私室のひとつだ」

「!!」

「ようやく私が誰なのか、分かったようだな。しかし、思えば、こうして、顔を突き合わせたのは初めてか…

ここに到るまでの経緯も思い出したか?」

 思わず、といったように、硬い表情で傷付いた左肩を抑えた泰明は、新たなことに気付いたように、目を瞠り、己の姿を見下ろした。

 その肩先から翡翠色の長い髪が滑り落ちる。

「ああ、見れば分かると思うが、傷の手当の序でに、入浴と着替えをさせた。下らぬ見せ掛けの髪の色も落としたぞ」

 一度言葉を切ったアクラムは、愉しげな笑みに口元を歪めた。

「作り物にしては、美しい身体だった。いや…作り物であればこそ、と言うべきか?」

「…ッ!!」

「そう硬い顔をするな。先程言ったように、入浴と着替えをさせただけだ。それ以上は触れてはいない…今のところは」

息を呑み、表情を強張らせる泰明に、アクラムは玩弄するように嗤う。

「また訪れる際には、どうするか分からぬがな。それまでに覚悟を決めておくと良い。今は、もう暫く休むことだ、アズラエル」

 そう言葉を放って、アクラムは身を翻した。

 

 帳が下され、視界が塞がれる。

 遠ざかる気配と扉が開く音。

 次いで閉まった扉に鍵が掛けられる音を耳にして、泰明は傷の痛みを堪えながら、帳を引き摺るようにして、ベッドから滑り下りた。

 毛足が長く足先が埋まりそうな絨毯に意表を突かれて、足が縺れそうになるが、どうにか踏み止まる。

 肩の傷の痛み以外は、身体に違和感は無い。

 そのことに小さく安堵して、まずは部屋の扉に駆け寄る。

「駄目か…」

 コンピューター制御によるロックならば、脱出可能かもしれないと考えたのだが、この部屋の扉は、鍵穴式だ。

 今は殆ど見られない旧式だが、流石に泰明でも、この鍵穴に合う鍵無しに、扉を開けることは不可能だ。

 将軍は泰明を「アズラエル」と呼んだ。

 ならば、恐らく泰明のコンピューターに直接干渉出来る能力も把握しているだろう。

 だから、旧式のロックシステムであるこの部屋に、泰明を閉じ込めたのだ。

 扉に両手を突いて、溜め息を吐いた泰明は、改めて扉を見る。

 鍵穴式に相応しく、扉は古式ゆかしい木材に、素材を模して作られている。

 次いで、ゆっくりと身体を反転させ、部屋の内部を観察する。

 貴族である鷹通の邸宅にも負けず劣らずの贅沢なつくりの部屋だ。

 天蓋付の柔らかなベッド、革張りのソファ。

 壁を飾る豪華なタペストリ。

見たところ、カメラなどの監視装置は無い。

 先程、本人が言った、将軍の私室というのは嘘ではないのだろう。

 傷付いた肩は、丁寧な手当てを施され、着替えさせられた衣服も柔らかで着心地が良いものだ。

 予想外の待遇に、泰明は戸惑わずにはいられなかった。

 また、先程将軍の素顔と対面して更に、その青い瞳に既視感を感じるようになった。

 そのことにも、戸惑っていた。

 

 あの男は、一体どのようなつもりで己を攫ったのか。

 あの男は…己の何なのだろう?

 

 分からないことは他にもある。

 泰明は窓際に歩み寄る。

 色とりどりの硝子に覆われた嵌め殺しの窓からは、外の様子を窺い知ることは出来ない。

 窓の両脇に腰掛けのように設えられたスペースがある。

 この部屋では唯一敷物のない、固い場所に、泰明は腰を下ろす。

「詩紋…」

 膝を抱えて、呟く。

 脳裏に、彼が向けた銃口と、彼の悲しげな表情が甦った。

 彼と話がしたかった。

 何故、仲間を裏切るようなことをしたのか、その理由を知りたい。

 何よりも、あの悲しげな表情の理由を知りたいのだ。

 しかし、幾ら待遇が良くても、所詮己は捕らわれの身だ。

今、己にできるのは、時を待つことだけだ。

 詩紋は今、この軍本部内にいるのだろうか。

 そして今、レジスタンスの皆はどうしているのだろうか。

 今…

 泰明は窓に嵌められた色硝子の青を見詰めながら、心もとなげに呟いた。

「友雅……」

 


to be continued
Blueシリーズ最終章スタートです! 皆の姫君やっすんを攫われ、直談判してもはぐらかされ、濡れ衣まで着させられそうになり焦る一同。 そんな彼らを、最年長者の落ち着きで宥める友雅氏でしたが…やはり、いつもより余裕が無い感じです(苦笑)。 一方、捕らわれの姫君は目覚めたと同時にアクラムと御対面。 貞操の方は何とかセーフのようです(笑)。 しかし、アクラムのさり気ないセクハラ(?)発言に、惑わされています(ごめん、でも書いてて愉しかった/笑)。 もう暫く、軽いセクハラ混じりの(笑)アクラムとやっすんの対話は続きます。 まだ、書きたかったシーンに到ってないのでね!(笑) 次回は、詩紋も登場予定。 レジスタンスメンバーはアクラムの魔の手から、やっすんを奪還できるのでしょうか? そして、やっすんはこの先、自らの貞操を守りきることが出来るのか?!(笑)←違。 シリーズ最後の連載です。 気合入れて行きたいと思いますので、どうぞ宜しくお付き合い下さいませ♪ top