Blue 〜eden

 

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『やあ、いらっしゃい。あの子もお待ちかねだよ』

 扉が開かれて、顔立ちも声音も優しげで穏やかな青年が現れた。

『あともう少しで、この子も目覚めることが出来ると思うんだ。そのときには、この子の最初の友達になってくれたら嬉しいな』

笑顔で語る白衣の青年の傍らに、青い培養液で満たされた透明な円筒形の容器がある。

 そっと手を置いた指先の向こう側で、長い髪が優雅に水中で揺らめく。

 長い睫に閉ざされた瞳は、どのような色をしているのか。

 焦がれるように、その日を想った……

 

 そうして見たのは、翡翠と黄玉の色違いの瞳。

 最初は訝しげに自分を見返したものだ。

 ほっそりした身体を美しいドレスに包み、その美貌を隠すように、仮面を付けていた。

 それでも、澄んだ瞳の輝きは隠しようもなかった。

 そして、二度目に出会ったときは、刺し貫くような鋭さで睨み付けてきた。

 手の内に捕らわれ、自由を奪われても、その瞳の強さは変わることがなかった。

 どんなときも不思議なほど美しく澄んでいた。

 だが、その瞳が、自分を見詰めるとき僅かに揺らぐ。

 例え、覚えていなくとも、彼の内には確実に、自分の存在が刻み込まれている。

 ならば、彼を得るのは容易いことだと確信していた。

 何故なら、この世で彼を一番理解できるのは、同じ生まれである自分以外にありえないからだ。

 しかし……

 

『あともう少しで、この子も目覚めることが出来ると思うんだ。そのときには、この子の最初の友達になってくれたら嬉しいな』

『ともだち…』

 応えるのは少年の声。

 何処かで聞いたことがある…

が、誰のものか特定できない。

 そのとき、やっと己の瞼が震えるように動くのを感じた。

 微かに開きかけた目に、ぼんやりと映る影は……

 

 光のような黄金(きん)と、海と空の青。

 ようやく思い出した。

 脳内に蓄積されたデータではない。

 己でも良く分からない身体の何処か…奥底に眠っていた記憶がようやく呼び起こされた…そんな感覚だった。

 今でもそれが確かに己の記憶なのか、断言できない。

 しかし、己の眠る容器の向こう側で、父が微笑んでいた。

 そして、その傍らで、容器の外側に手を付いて、真摯に己を見上げる金の髪と青い瞳の少年の姿。

 薄い透明な壁越しからでも、少年の想いが伝わるようだった。

 それは父と同じ…己の目覚めを待つ声だ。

 その声に応えたいと…意識とも言えない何処か片隅で思っていた。

 

 

 揺れが徐々に激しくなってきた。

 時折ぱらぱらと天井の塗料の欠片が落ちてくる。

 しかし、泰明は全く頓着せずに、ひたすら奥に向かって走った。

 途中で数人の軍人や研究者と擦れ違うが、彼らは皆、事態に混乱していた。

間もなく崩れ落ちようとする建物内から逃げ出すことのみに心を奪われ、逆走する泰明を見咎める余裕すらないようだった。

 やがて、まばらであった人気も絶え、件の部屋の入り口が見えてくる。

 扉は開いたままだ。

 最早、自動開閉の機能も働いていないのだろう。

 泰明は躊躇わずに、部屋の中へ飛び込む。

 部屋中を見渡す間もなく、部屋の奥…詩紋の両親の脳が収められた細長い容器の陰に隠れるようにして、壁に寄り掛かっている姿を見付ける。

 アクラムは床に腰を下ろし、傷付いた右肩を左手で押さえながら、苦しげに息を継いでいる。

 乱れて顔に振り掛かる金髪が、僅かに震えていた。

先程別れたときは、傷など物ともしていないかのように、超然と立っていたアクラムだったが、やはり、痛みが無い訳ではなかったのだ。

 改めて、そのことを確認した泰明の胸が僅かに痛む。

 やがて、気配に気付いたか、ゆっくりと巡らされた青い瞳が、泰明の姿を認めて僅かに見開かれた。

「…アズラエル?」

 

 

「何やってんだ、友雅!泰明!早くしねえと、潰されちまうぞ!!」

 先を走っていた天真が、なかなか追い付いてこない泰明と友雅を案じて戻ってきた。

 しかし、友雅は反応することが出来なかった。

 泰明が去った方角を見詰めたまま、呆然と立ち尽くすことしか出来ない。

 が、天真はすぐに泰明がいないことに気付いた。

「おい、友雅!!泰明はどうしたんだ?何処にいるんだよ!?」

 血相を変えて問う天真に、友雅は呆然としたまま、呟くように応える。

「彼は…行ってしまった……あの男の元へ…私の手を離れて……」

 言葉にすると、より事実が胸に圧し掛かってきて、友雅は強く眉根を寄せる。

 一方、友雅の答えからすぐさま事情を察した天真は、跳ね上げるように眉を吊り上げた。

 容赦なく友雅の胸倉を掴み引き寄せる。

「馬鹿野郎!!何で引き止めなかった?!」

「引きとめようとしたさ…だが、出来なかった……」

「だったら何で追い掛けない?!追い掛けて引き戻せば良いだろう?!!」

 噛み付くように怒鳴る天真から、友雅は鬱陶しげに目を逸らす。

 強く眉根を寄せたまま、どうにか言葉を紡いだ。

「あの男の元へ戻ること…それが泰明の望みなんだ。他ならぬ泰明の望みを阻むことなど出来ない…翻せるものではないよ…」

「馬鹿野郎!!!」

 かっと目を見開いた天真が、拳を振り上げる。

 その拳をまともに頬に受け、その勢いのまま友雅の身体は通路の壁に叩き付けられた。

「ぐっ…!!」

 そのまま床に腰を落としそうになるのを、天真がもう一度容赦なく胸倉を掴み上げ、友雅の身体を引きずり上げる。

「いい加減に目を覚ましやがれ…!!お前はそれで良いのかよ?!本当にここで泰明を失っても良いと思ってるのかよ?!」

 茶色い瞳を刃物のように光らせながら、天真が責め立てる。

 良い筈がない。

 泰明を失うことを思えば、この胸は打たれた頬よりも耐え難い痛みを訴えるのだ。

 しかし、あれほど固い決意を垣間見せて去った泰明を、取り戻すことが出来るのか。

 思わず強く唇を噛み締めると、血の味がした。

 そんな友雅を見据えながら、僅かに激した調子を抑えて、天真が言葉を継ぐ。

「それに…お前、泰明の望みの前に、泰明の幸せを考えてるのか?そうやって見送って、今の望みを叶えてやることが泰明の幸せになるのか?

俺にはとてもそうは思えない。お前だって、本当は分かってんだろ?何が泰明の幸せなのか。その為に自分が今、どうすべきなのか」

 その言葉に友雅は目を見開いた。

「どうなんだよ、友雅?!」

 叩き付けるだけ叩き付けてから、言葉を切った天真は、友雅を刺すような鋭さで睨み付けてくる。

 不意に、噛み締められた友雅の唇が緩んだ。

「君は私の暴走を止める為に、共に来たのではなかったかい?」

「今は非常事態だ。暴走するときなんだよ」

 友雅の冗談めかした言葉に、にやりと不適に笑んで、天真は手を離す。

「本当は俺が泰明を迎えに行きたかったんだけどな。お前のほうが適役だろ。譲ってやる」

「有難う。お陰で目が覚めたよ」

 言うなり、友雅は身を翻す。

「友雅!」

 天真の呼び掛けに肩越しに振り返ると、物騒な笑みが目に入った。

「絶対に、泰明を連れて戻って来いよ。一人で戻ってきやがったら、ぶっ殺してやるからな!!」

 半ば本気の言葉に友雅は苦笑した。

 しっかりと頷きを返す。

「肝に銘じておくよ」

 

 

 泰明の姿を認めたアクラムの瞳に浮かんだ驚愕の色は、一瞬で消え去った。

代わりに、無機質な色に取って代わる。

「何故、戻ってきた?」

泰明は無言で、アクラムの傍らまで歩み寄る。

アクラムが僅かに唇の端を吊り上げて、問う。

「私の物にはならないのではなかったか?」

 嘲るような問いに、泰明がやっと形良い唇を開く。

「そうだ。私は誰の物にもならない。私は己で考え、己の意思で戻ってきた」

「愚かな…」

「愚かでも構わない。私は己が一番後悔しない選択をしたつもりだ」

 言いながら、アクラムの傍らに膝を付く。

 傷付いた肩に手を伸ばそうとすると、

「触れるな」

冷たい拒絶に一瞬動きを止める。

が、構わずに触れた。

「放せ」

「私もお前に何度もそう言った。だが、お前は聞かなかっただろう」

 故に、私もお前の言を聞き入れる義理はない。

 自分と負けず劣らずの淡々とした泰明の返答に、アクラムは苦笑する。

 泰明を捕らえて、私室の一部屋に閉じ込めにしていたときのことを言っているらしい。

「なるほど、あのときの意趣返しという訳か」

 それには応えずに、泰明はアクラムの肩から垂れ下がっている袖の残骸を破り取り、それを使って手早く止血をする。

「無駄なことを…」

 口ではそう言うアクラムだったが、最早、泰明の腕を振り払う力もないらしく、されるがままだ。

 手当てを終え、腕を下ろすと、泰明はアクラムを真っ直ぐに見詰めた。

「お前のことを思い出した」

 僅かにアクラムの青い瞳が揺れる。

 しかし、アクラムはその瞳を伏せながら、泰明の眼差しから逃れた。

「だから、どうしたと言うのだ。お前が思い出したのは、私ではない。私の原型となる前将軍の孫だろう」

「それでも、私はお前の中に懐かしさを感じる」

「……」

「その記憶のせいなのか、或いは、父の…安倍博士の手により生み出された者同士であるからなのか、それは分からない。

ただ、お前を独りで死なせてはならないと、そう思った。だから、戻ってきたのだ」

 アクラムが僅かな嘲笑に唇を歪める。

「そうして、私の道連れとなって、ここで命を終えるつもりか」

「…そうだ」

 一瞬躊躇い、それでも泰明は、はっきりと頷いた。

 そして、己の考えを整理するように、言葉を紡ぐ。

「戻って来た理由は他にもある。間もなく、レジスタンスは軍部を打倒して、御門一族と共に新たな国作りへと踏み出すだろう。

人々が皆、笑顔でいられるような、明るく自由な国を目指してゆくに違いない。

今ある軍は解体され、後ろ暗い研究やそれによる産物も全て排除、もしくは負の遺産として封じられることだろう。模造天使もそうだ。

本来、暗殺の為のアンドロイドなど、あってはならないものだからな。私もまた、新しい時代を迎えるために、消え去るべきものなのだろう」

 一度言葉を切って、泰明は小さく息を吐く。

「模造天使であることを己の内に封じて、生きていくことも出来るのではないかとも思ったが、

組み込まれ、教え込まれた技術は、この身体に染み付いている。この手は拭いようのない血に穢れているのだ。

いつ何時、その本能とも言うべき力に振り回されないときが来ないとも限らない。

また、模造天使の存在を知った誰かが、私を利用しようと図る可能性もある。どちらにしろ、私は存在しないに越したことはない。

故に…お前が模造天使の全研究データと共に、滅びる選択をしたのなら、私も共にあるべきだと、それが私の務めだと、そう確信したのだ」

「務め…か…」

 アクラムが小さく笑う。

「大した理由だ。恐れ入る。私とは大違いだな」

「お前は違うのか?」

 泰明が意外そうに、瞬きをする。

 こんなときですら、無邪気に見えるその様子に、アクラムは苦笑する。

「私は、元凶となった「祖父」の作り上げたものを、私も含めて全て破壊したかっただけだ。

その衝動はオリジナルの記憶データにも刻まれていたものだったが、ごく小さいもので、それを「私」がここまで大きく育てた。

それが私を「私」たらしめていたものだと言っていい。一方、オリジナルの記憶の中で強く刻まれていたのは、アズラエル…お前のことだった」

「私の?」

「呆れるほど、お前に夢中だったようだぞ。その記憶は、お前の目覚めを待つ弾むような期待と僅かな不安に満ちていた。まるで…」

 恋のようだと言い掛けて、アクラムは口を噤んだ。

 告げても詮無いことだ。

 過ぎた言葉の代わりに、別のことを口にする。

「…私がお前に執着するのは、同じ生まれであるが故と思っていたが……ここに至って分からなくなった。

存外、オリジナルの記憶に振り回されていただけなのかも知れぬな…」

「…?」

 泰明は首を傾げる。

「何故、お前はオリジナルと己自身の記憶を無理に分けようとするのだ?

区別できないというのなら、そのオリジナルの記憶もまた、お前自身なのではないか?だからこそ、私はお前に懐かしさを感じるのだ」

 アクラムは薄く微笑んだ。

「さあ…どうだろうな……」

 呟くように言い、傷を負った肩を抑える。

「痛むのか?」

 気遣う泰明の不意を突くように問う。

「だが、お前が本当に共にありたいと願うのは、私ではないだろう?」

 泰明が小さく息を呑む。

 初めて色違いの瞳の澄んだ輝きが揺らいだ。

「私の気持ちなどは問題ではない」

「それだけとは限らぬ。お前を失えば、あの男はさぞ落胆するだろうな…私には願ってもいないことだが」

 泰明がきゅっと紅い唇を噛む。

「友雅は…大丈夫だ。私がいなくとも、きっと私などよりもっと相応しい誰かを見付けられる。

むしろ、私がいないほうが、幸せになれるに違いない」

 迷いを振り切るようにきっぱりと断言した泰明に、アクラムは僅かに苦笑し、顔を上げた。

「…あの男も苦労をする」

「?…どういう…」

 怪訝そうに問いながら、アクラムの仕種に釣られるように、泰明が振り返ろうとした、そのとき。

「泰明!!」

 最も恋しいひとの声に、泰明は目を見開いた。

 


to be continued
うおぉ、何か予想外に長引いておりますが(汗)、多くともあと2話で完結する予定です。 あ…でも、また書き起こしたいネタが舞い込んできたら、伸びるかも…(苦笑) 茫然自失状態に陥った友雅氏に、喝を入れるのは、この状況ではやはり天真が適役ということで。 天真に殴られるのは、当サイトでは二度目の友雅氏ですが、結構殴られてる気がするのは何故なんだろう?(笑) 個人的にはとっても書き易い場面でした、ごめん、友雅氏(とファンの方/汗)。 一方、やっとアクラムと穏やかに向き合うやっすん。 しかし、やはり我らが姫は自分の価値を分かっておらず、無意識に犠牲的精神を発揮している様子(汗)。 息を吹き返して(?)、ラストに登場した友雅氏の踏ん張りどころはこれから! 危うく前回と同じラストになりそうでしたが、辛うじて回避出来て、一安心。←言わなきゃいいのに…(苦笑) back top