Blue 〜eden

 

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「泰明!!」

 友雅の鋭い呼び掛け。

 泰明は凍りついたように立ち尽くすしか出来なかった。

 気付くのが遅過ぎた。

 幾ら、反射神経が優れていたとしても、これだけの近距離で放たれた銃弾を避けることは不可能だ。

 友雅や天真、詩紋もなす術がない。

 己の身を盾にする時間すらなかった。

 そうして、硬い銃弾が泰明の華奢な身体を貫くかに見えたその瞬間。

「…っ?!」

 強い力で引き寄せられた泰明の目に、金色の残像が過ぎった。

 アクラムだった。

 泰明を狙った弾は、アクラムの右肩を貫き、黒い軍服をじわりと汚す。

 しかし、アクラムは全く動じることなく、取って返すように右手で持った銃を撃ち放した。

 それは部屋の陰に潜んでいた相手の肩を正確に撃ち抜き、その手から銃を離させる。

 撃たれた肩を抑え、よろめきながら姿を現した相手の姿に、詩紋が声を上げる。

「久世中将!」

 将軍の右腕とも言われる参謀中将だ。

「余計な真似を…」

 アクラムの冷たい声音に、中将が苦しげに眉を顰めながらも、顔を上げる。

「…閣下はアズラエルに捕らわれ過ぎています。我が軍の為にも、そして何よりも閣下の為にも、その人形を排除すべきだと…」

 言いながら、中将は息を呑んだ。

 見開かれた目は、アクラムの傷に注がれている。

 近距離から放たれた弾は、その広い肩口を深く穿っていた。

 溢れ出す血。

 それと共に、何かが爆ぜるような小さな音がした。

 生身の人間であれば、ありえない…火花が散る音だ。

 心ならずも、アクラムに庇われる形となった泰明もまた、色違いの瞳を大きく見開いて息を呑んだ。

 突き破られた皮膚の内側から覗く複雑に絡み合った細いコード。

 その内の何本かが千切れて、火花を散らしている。

「何を驚く?」

 嘲るように言い放ったアクラムは、左手で無造作に軍服の右袖を下に纏うシャツの袖ごと破り捨てた。

 傷口が更に露わとなる。

「それは…閣下…まさか、まさか貴方は…!」

「そう、この身体は作られしもの。病で使い物にならなくなった生身の代わりに、祖父が私に宛がった機械の身体だ」

 突きつけられた事実に、その場にいる皆が愕然とする。

「前将軍が…?!それは何時から…まさか、始めから…」

「お笑い種だな。お前たちは利用する為にあると信じてきた人形そのものに従い、支配されてきた訳だ」

 衝撃に立ち尽くす中将に向かって、アクラムは無情に銃の引き金を引いた。

 その銃声で、不覚にも凍り付いていた皆はやっと我に返る。

 中将は言葉もなく、その場に倒れた。

「てめぇ…」

 アクラムに銃口を向けたまま、唸るように呟いた天真だが、その引き金を引くのを躊躇ってしまう。

 それは他の三人も同様だった。

 そのとき、束の間の膠着状態を破るように、不意に部屋のモニターが起動し、暗い室内を照らした。

「ッ!何だ?!」

「これは…軍本部の正門か?」

 映し出されたのは、現在の光景のようだった。

 攻め入ろうとするレジスタンスと、それを防ごうとする軍が、入り乱れて争っている。

 思わず、詩紋が胸元で祈るように拳を握った。

 泰明、友雅、天真も食い入るように映像を見る。

 それを興味の薄い眼差しで見やったアクラムが呟く。

「ああ、突破されるか」

「…っ?!」

 思わずアクラムを振り返ろうとした泰明の視界に、基地内になだれ込むレジスタンスの姿が映った。

 元軍人の仲間を率いた先鋒の頼久が真っ先に目に入り、一般民を率いるイノリ、

全体の様子を捉え、指揮する鷹通、そして、貴族を率いる永泉の姿もあった。

「あの者たちが、ここを制圧するのも時間の問題ということか…」

 まるで他人事のような口調で、アクラムは淡々と言う。

 この映像を泰明らに見せたのは、アクラムだ。

 この男の意図が分からない。

 そして、一体、この男は「何」なのか。

 困惑を深めながら、泰明はアクラムを見詰めるしか出来ない。

 

 そんな泰明を、友雅が見詰めていた。

 今まで泰明の澄んだ眼差しが、自分から逸らされることがあっても、ここまで不安を覚えることはなかった。

 その眼差しは必ず、最後には自分の元に戻ってくると、色違いの瞳は必ず自分を映して微笑むだろうと、信じていたのだ。

 しかし今、その自信が揺らいでいることを友雅は自覚していた。

 今までの自分は自信過剰であったのかもしれない。

 苦笑しようとして苦笑できず、改めて自分が余裕を失いかけていることを痛感させられた。

 

 一方、アクラムは泰明の問う眼差しに、薄く笑む。

「私の…いや、前将軍の跡継ぎでもあった孫の病は、流山詩紋。お前の両親と同じものだ」

「え…!」

 詩紋が鋭く息を呑む。

 アクラムは薄く笑んだまま、不意に話題を変えた。

「かつて軍属であったのなら、前将軍を知っているだろう?レジスタンス」

 問われた友雅は、やや硬い表情ながらも、肩を竦めてみせる。

「私はそれほど高い地位にいた訳ではないからね、噂程度だが…支配欲の強い、独裁的な方だったようだね。

当初の跡継ぎであった実のご子息を意に添わないからと、排斥した事件があったことは良く覚えているよ」

「それを覚えていれば充分だ。前将軍は御門一族に成り代わり、己の一族が強力に国と民を支配し続けることを望んでいた。

それを成すには息子は器不足だったという訳だ。早々に排除して、孫に期待を掛けたが…今度はその孫が不治の病となった」

 アクラムは淡々と言葉を紡ぐ。

「その病は遺伝病であると共に、色素の薄い者ほど症状が重くなる。発病の後、瞬く間に内臓を含めた全身が侵され、当時の医者は匙を投げた」

 アクラムの語り口に、違和感があった。

 彼は己の祖父のみならず、己自身のことについてさえ、他人事のように語っている。

「しかし、前将軍は己の血が絶えることが我慢ならなかったらしい。

息子を排斥すると言う形で自ら断ち切ったこともあったというのにな、現金なものだ。

ともかく、ただ一人の跡継ぎを失わない為、前将軍はある研究者を呼び寄せた」

「…!それは、まさか…」

 泰明が鋭く息を呑んだのを見て、アクラムは嗤った。

「そう。模造天使プロジェクトリーダーでもあった安倍博士。お前の生みの親だ、アズラエル」

 呆然と見上げてくる泰明から一瞬目を逸らし、アクラムは己の傷付いた腕を見る。

「尤も当初、安倍博士は渋ったようだがな。作り物の身体を与えてまで、無理矢理生かすなど、哀れだとな。

しかし、将軍の命令は絶対だ。最後には従ったが…いささか取り掛かるのが遅過ぎた」

「どういう…ことだ?」

「当時既に完成間近だったアズラエル…模造天使のように、より人体に近い身体…人工血液、内臓を作り出す時間がなかった。故に…

過去に試作品として作り、放棄された機械式の人体を再利用することになった。

また、そのときには脳にまで病が進行し、移植には耐えられない状態となっていた故に、

脳内の記憶を可能な限りデータ化して取り出し、機械式の脳内の端末にインプットさせた。全て前将軍の指図によるものだ」

 そこまで言って、アクラムは人工の血を流す腕を泰明に向かって突き付ける。

 人ならぬ身を証明する傷口を見せ付けるように。

「故に、この私は本当の意味では、「私」ではない。前将軍の孫に良く似て作られた紛い物だ」

 そう言い放って嗤う。

 それはまるで己自身を嗤っているかのように見えた。

 明らかにされた将軍の正体に、皆言葉を失って立ち尽くす。

 泰明は呆然として、アクラムに見入る。

 何故、彼の存在に引っ掛かりを覚えたのか、その理由が分かった気がした。

 彼と己とは、同じ者の手により造られた、同じ物だったのだ。

 模造天使という名の…

 

 友雅は前将軍の不自然な死を思い出していた。

 もしや、前将軍は…

 その推測を直に確かめる代わりに、アクラムに向かって問う。

「将軍殿。君は復讐をしたかったのかい?」

 自分を生み出した軍に。

 この世界に。

「さてな」

 うっすらと笑んでそう応えたアクラムは、不意に軍服の懐から携帯端末を取り出した。

 モニターには、相変わらずレジスタンスと軍の攻防が映し出されている。

 司令塔を失った軍に対して、明らかにレジスタンス側が優勢だ。

「では、最後の仕上げだ」

 モニターの様子を目の端に捉えつつ、アクラムが端末のボタンを押す。

 次の瞬間。

 地鳴りのような音が響き、部屋が揺れた。

「何だ?!」

 天真が驚いた声を上げ、詩紋が我に返ったように立ち上がる。

 泰明と友雅は覚えのある感覚に、身構えた。

 そんな彼らに向かって、アクラムは冷たい笑みを浮かべて見せた。

「アズラエル。お前は知らないだろうが、模造天使に関するデータは、お前がかつていた研究所にのみ保存されていた訳ではないぞ」

「何?」

「軍の心臓部である本部、ここにも模造天使のデータは保管されていたのだ。尤も、今先ほど消去の指示を出したが」

 言いながら、アクラムはこの部屋にあるサーバーコンピュータを目線で示す。

 どう反応して良いのか分からず、躊躇う泰明を待つことなく、アクラムは言葉を継ぐ。

「同時に、この部屋の床下に仕掛けている自爆装置も作動させた。あと三十分で跡形もなくこの部屋は崩れ落ちるぞ」

「…っ!」

「何だって?!」

やはり、先程の地鳴りはそうだったのかと、泰明と友雅は同時に、部屋の戸口を振り返る。

この部屋からの唯一の出口は、開いている。

しかし…

僅かな躊躇を見透かしたように、アクラムが言葉を投げる。

「死にたくなければ、そこから外へ出るが良い。罠など仕掛けておらぬ。今となっては仕掛ける必要もない」

 泰明が振り返る。

「お前は?」

 短い泰明の問いに、アクラムが青い瞳を僅かに瞠る。

 そうして、ゆっくりと自嘲の笑みを浮かべた。

「私もまた、模造天使計画の産物。諸共に朽ちるのが似合いの末路だろう?ならば、お前も道連れに、と考えていたが…」

 す、と笑みを消し、アクラムは冷たい表情、冷たい声音で言い放った。

「最早、お前は用済みだ、アズラエル。私の物にならぬお前など要らない。

興味もない。一刻も早く、そこの男共を連れて、私の前から消え失せるが良い。…目障りだ」

 金の髪が翻って、アクラムが背を向けた。

 その黒い軍服の背を見詰めながら、泰明はその場に立ち尽くしていた。

 しかし、その間にも刻々と今いる部屋が崩壊する時は迫っている。

「おい!早くここから脱出しないと不味いぞ!!」

「泰明!」

 天真の鋭い声と、友雅の強い呼び掛けに、泰明は我に返った。

 躊躇っている暇はない。

 まずは、詩紋が奥で倒れている研究者へ、天真が中将が倒れている戸口近くへと駆けていく。

 研究者の様子を確かめた詩紋が顔を上げ、沈痛な面持ちで皆に向かって首を振ってみせる。

「こっちはまだ息がある!」

「じゃあ、僕がひとまず傷を塞ぎます!」

 中将の身体を担ぎ上げながら言った天真に、駆け寄った詩紋が中将の傷付いた肩に手を翳す。

「では、行こう」

 友雅の呼び掛けに、天真、詩紋がしっかりと頷き、次々に駆け出す。

「泰明。君も早く!」

「分かっている」

 泰明が頷きを返す前に、友雅は少々強引にその細い手を引いて、部屋の外へと導いた。

 従って走り出しながら、泰明はもう一度振り返る。

 不穏な震動を繰り返す部屋の内に、アクラムは超然と佇んでいる。

 もう、泰明の視線に応えることはない。

 孤高の王者のような姿だった。

 

 

「鷹通。聞こえるかい?」

 友雅が懐から取り出した小型端末に呼び掛けると、すぐに応答があった。

『友雅殿!ご無事でしたか!泰明殿は?他の皆さんもご無事なのですか?

突然、通信電波が遮られて、貴方がたの居場所が分からなくなり、心配していたのです』

「それはすまなかったね。私たちは大丈夫だよ。ところで、君たちは今、何処にいる?」

『本部内に突入したところです。今はこうして通信出来るようになったので、すぐにそちらに向かうことが出来ます』

「いや、せっかくだが、すぐに引き返してくれ。あと三十分で…いや、もう二十分だな。本部の最奥にある研究施設が自爆する。

それに伴って本部の建物自体も倒壊する可能性が高い」

『え?!それはどういう…』

「すまないが、事情を説明するのは後回しにさせてくれ。時間がない。今すぐ仲間をこの建物の外へ。私たちもすぐにそちらに合流する」

『分かりました』

 友雅に手を引かれて走りながら、ふたりの会話が耳を素通りしていくような感覚を泰明は覚えていた。

 代わりに脳裏に繰り返し蘇るのは、最後に見たアクラムの後姿だった。

 

 あの男は、残された最後の模造天使データと共に、滅びていくつもりなのか。

 超然と立ち尽くして。

 

 …たった独りで?

 

 不意に泰明は立ち止まった。

「泰明?」

 友雅が怪訝そうに振り返る。

 そんな友雅を、泰明は悲痛な眼差しで見返した。

「すまない、友雅。私は戻る」

「何を…言っているんだい?」

「…すまない。お前は私が造り物であることを厭わず、触れてくれた。

大事にしてくれた。私もずっとお前の傍にいたいと願っていた。だが…すまない。私は戻らねばならない」

 言って、泰明は友雅に掴まれた手を強引に振り解く。

「馬鹿なことを言わないでくれ!危険だと分かっている場所に君を残していくことなど出来る訳がないだろう!!」

 何より、泰明をあの男の元に行かせたくはなかった。

泰明を手放したくはない。

そんなことは耐え難いのだ。

 一瞬愕然とした後、彼には珍しいほどの険しい表情と声で言って、友雅はもう一度泰明の手を掴もうとする。

 その腕を躱した泰明は、逆に腕を伸ばして、友雅の襟元を掴んで引き寄せた。

「やすあ…!」

 思わぬ行動に碧い瞳を見開く友雅に、泰明は口付ける。

 触れるだけの軽い口付け。

 

 以前にもこのようなことがあった。

 

 そう思い出す間もなく、泰明は突き放すように、友雅から手を離す。

「私を愛してくれて有難う、友雅」

 淡く、しかし、限りなく美しい微笑み。

 その残像を友雅の胸に刻み付けて、泰明は華奢な身体を翻す。

 辛うじて伸ばした友雅の指に、大きく翻った翡翠色の髪が触れる。

 しかし、それは儚く指の間を擦り抜け、細い背と共に遠ざかっていった。

 

「泰明!!!」

 


to be continued
なな、何とーーっ!!姫がまさかの心変わり?! …なんて、わざとらしく驚いてみたり(笑)。 アクラムの正体がやっと明らかになりました。 既に察してくださっていた方もいらっしゃいましたが、そういうことだったのです(笑)。 そして、ラストのともやす別離シーンは、シリーズ開始当初から思い描いていた場面のひとつだったので、 やっと書くことが出来て嬉しいです♪ 思うように書けたかと言えば、ちょっと自信がない感じですが(苦)、今の私にはこれで精一杯。 めでたい場面じゃありませんが(苦笑)、ろまんちっくじゃありません?(言ってろ) ちなみに、同じような場面があったのは、ず〜〜っと前です。 この舞台設定での一番最初の話、と言えば思い出してくださるでしょうか。 次回が一番のクライマックスになるかと思います。 宜しければお付き合いくださいませ。 しかし、今回は友雅氏の「泰明!!」で始まり「泰明!!!」で終わってますな。 31歳、必死です(笑)。←お黙り! back top