花月夜 「綺麗だね」 「ああ」 月明かりの下、庵の簀子に腰を下ろした友雅は、清酒に満たされた盃を片手に呟く。 瓶子を持って酌をしていた泰明が、それに静かに相槌を打ち、 庵の庭を鮮やかに彩る満開の枝垂桜を見遣る。 友雅は泰明に招かれて、北山近くの安倍家所有の庵へと来ていた。 本日の調伏の礼として良い酒を貰ったので、庵の庭にある桜の鑑賞も兼ねて、 呑まないかという誘いだった。 泰明からの誘いを断る理由など友雅にはない。 それにしても、泰明にしては珍しい大人びた誘いではあった。 が、そこで艶っぽいことを期待するのはまだ早過ぎるだろう。 貰った酒を前にふと友雅のことを思い出した、おそらくそれだけのことだ。 それでも、自分こそを招いてくれたことが友雅にとっては喜ばしいことだった。 自分もなかなか謙虚になったものだ。 今宵の月は明るかった。 篝火で照らさずとも、庭に咲く枝垂桜の美しさが充分に眺められる程に。 そして、友雅の隣にいる人の美しさも際立たせるほどに。 清雅な月明かりに照らされ、桜は春の夜風に花枝を僅かに揺らしつつ、 微かな香りをこちらまで漂わせてくる。 白い花々は自らが淡い光を放っているかの如く仄かに輝き、優雅に枝を垂れている。 その様はしなやかな女人の腕が、揺らめくのにも似た艶やかさ。 まさに優艶の美だ。 しかし、友雅の目は専ら、桜よりも優艶に光り輝く傍らの佳人に向けられている。 暫し、庭の桜に見入っていた泰明がやっとその視線に気付いた。 「友雅は何故、私の方ばかりを見ているのだ?」 今、「綺麗だ」という言葉を口にしていたのに、と首を傾げる。 少し考え、持っていた瓶子を高坏に置いて友雅に身体ごと向き直り、 戸惑いがちに問い掛けた。 「友雅は桜が好きではないのか?」 「何故?」 友雅も手にした盃を置いて、立てた肩膝の上で頬杖を付きつつ、 目を丸くしながらも面白そうに泰明を見詰め、逆に問い返した。 「私はあまり人の心には詳しくない故、はっきりしたことは言えないのだが、 何かを「綺麗」だと思うことと、 それを「好きだ」と思うこととは別なのではないかと思ったのだ、だから…」 「私が桜を「綺麗だ」と言っても、好きではないかもしれないと?」 泰明は生真面目に頷く。 「もしそうなら、私は友雅を無理に誘ったことになる」 それではあまりに申し訳ない、と心なしかしゅんとしている可愛らしい様子に、 友雅は思わず軽い笑い声を立てた。 いきなり笑われた泰明は驚いて澄んだ色違いの瞳を丸くする。 「とも…」 「泰明」 更に問いを重ねようとする泰明の言葉を、笑いを治めた友雅がさり気なく遮った。 「寒くないかい?春とはいえ、そのような薄着では冷えるだろう」 「大丈夫だ。問題な…」 泰明の返事を待たず、友雅は彼の細い身体を引き寄せる。 片手で軽々と泰明の身体を己の立てていない方の膝の上に乗せるように引き寄せて、 包むように抱き締めた。 「ほら、やっぱり身体が少し冷えている」 「友雅」 友雅の笑みを含んだ言葉に、問いを遮られた泰明が不満げに名を呼んだ。 それがまた可愛らしくて再び笑みが零れる。 指に絡む絹糸のような泰明の髪を弄びながら、友雅はようやく彼の問いに応える。 「何かを「綺麗だ」と思うことと「好きだ」と思うことは別…… 確かにそういう場合もあるかもしれないね。けれど、心配しなくてもいい。 私は桜が好きだよ。光り輝く月もね。 ……ああ、でもこのような月夜は少し苦手かもしれない」 「?何故だ?」 「君が綺麗に見え過ぎて、私も素直になり過ぎてしまうからさ。こんなに明るい月夜は特にね」 この降り注ぐ月の光によって、抑えていた想いが露になってしまいそうだ。 そう言って、友雅は髪に触れていた手をゆっくりと上げて、 月明かりに仄かに輝く泰明の白い頬を包むように触れる。 酒の所為か、頬と目尻が淡い薔薇色に染まっているのが、常に比べて一層艶やかで麗しい。 今宵の月が明るいのも、花が咲き誇るのも、この泰明の美しさに誘われてのことかとさえ思えてくる。 もちろん友雅もその美しさに誘われたものの内に含まれる。 しかし、そんな艶やかな自分の姿に気付く筈もない泰明は、友雅の言葉の意味が分らず、目を瞬いた。 「何を言っている?酔っているのか?」 「そうかもしれないね」 酒にではなく、君に。 そう囁き掛け、友雅はゆっくりと顔を近付けて、泰明の柔らかそうな唇へ触れようとする。 泰明は友雅が何をするつもりなのか見極めようと、大きな瞳を見開いている。 その無垢な輝き。 いつもならその瞳に負けてしまう友雅も、このときばかりは違った。 明るい月夜。 咲き乱れる桜。 そんな美しい情景に囲まれた庵の中、友雅と泰明は二人きりだ。 今宵はこれ以上ないほど雰囲気が良い。 少々やりにくいが、せっかくのこの機会を逃す訳にはいかない。 そうして、ゆっくりと二人の唇が重なり合おうとしたその瞬間、 バサバサバサ… 「わっ…!!」 「友雅!」 突如鳥の羽ばたきが友雅の耳を打ち、驚く間もなく顔に翼が襲い掛かってくる。 思わず泰明から手を離すと、狂暴な鳥は悠々と舞い上がり、 空中でひらりとひとつの結び文へと姿を変えた。 手の中に落ちてきた文に、素早く驚きから立ち直った泰明は納得したように頷く。 「お師匠の式神だ」 「ははは…そう…」 ………またか。 いいところで邪魔をされた友雅は、乾いた笑いを漏らす。 泰明の師匠の弟子可愛がりぶりは、まさに一人娘を溺愛する父親の如くである。 過去の浮薄な行いが祟ったか。 それとも可愛い愛弟子を奪られたくないが故か。 友雅はそんな泰明の師匠に大変に警戒されている。 少しでも泰明と良い雰囲気になると、こうして決まって邪魔が入るのである。 今回は大丈夫かと思っていたが……油断した。 師匠からの文を開いて読んでいた泰明が顔を上げ、嬉しそうに言う。 「先程、お師匠の仕事が終わったそうだ。今、この庵に向かっている途中らしい」 「…今夜は元々お師匠様も来る予定だったのかい?」 「そうだ。言っていなかったか?」 「…聞いていないよ」 少々憮然とした友雅の応えに、泰明の柳眉が少し下がる。 「すまない。きっと言い忘れていたのだ」 「…いや、謝らなくて良いよ」 これは、この状況に思い至らなかった友雅自身の落ち度である。 「友雅とお師匠は一緒にいるとき、いつも楽しそうにしている。 だから、私と二人で酒を呑むよりも、お師匠も入れて三人で呑む方が良いと思ったのだ」 大好きな師匠と友雅の仲が良いのが嬉しいのだろう、 泰明は咲き零れるような可憐な笑みを浮かべながら、そんなことを言う。 笑顔の裏で火花を散らし合う二人の真の姿に、純粋な泰明が気付く筈もない。 「…そう。君の気遣い、とても嬉しいよ」 あくまでも本音は隠したまま、友雅は泰明に微笑み掛ける。 泰明も嬉しそうに微笑み返す。 それから、ふと真面目な表情になり、友雅の顔を見詰めた。 「友雅、目の下に傷が」 「え?」 泰明が示した場所に触れてみると、確かにそこには小さな傷があり、 僅かに血を滲ませていた。 小さな痛みもある。 そんな友雅の顔を覗き込むようにして、 泰明は目尻近くにある傷の具合を診る。 「おそらく、お師匠の式神の爪が掠ったのだろう。それ程深いものではない」 「そう、それは良かった。きっと放っておいても治るだろうね」 …技とだな。 笑顔で泰明の言葉に応えつつ、内心で式神の使い手に悪態を吐く。 そんな友雅を前に、泰明は一瞬小首を傾げて考える仕種をした。 「放っておいても問題ないのだろうが…」 そう言って、すいと腰を上げ膝立ちになると、正面から友雅の肩に捕まるようにしながら、 友雅の顔に自らの顔を寄せた。 ふわりと泰明の纏う菊花の香が漂う。 「?やすあ…!!」 寄り添ってくる華奢な身体を抱き支えつつ、 怪訝そうに泰明と目を合わせようとした友雅は、突然のことに絶句する。 友雅の目元にある傷を、椿の花弁のような舌で舐めた泰明は、そんな彼に顔を近付けたまま、 「こうした方がもっと治りが早い」 と満足げに微笑む。 真っ直ぐに友雅の目を見詰め返す泰明の様子には何の含みもなく、 そんな彼の瞳に呆然とした自分の顔が映っているのが見えた。 そこでやっと我に返った友雅は、細い身体を抱いたまま素早く辺りを見回す。 「?どうしたのだ?」 「いや、もしやお師匠様がいらっしゃったかな?と思ったものだから」 「きっともうすぐだ」 泰明は無邪気に微笑む。 先程のような式神は現れなかった。 友雅はほっと安堵の息を吐く。 どうやら、今の場面は師匠には勘付かれてはいないらしい。 或いは気付いてはいても、泰明から仕掛けたことだけに防ぎようがなかったのか。 もし、後者ならこれからなかなか厳しい闘いが待っていることになる。 先程の余韻を愉しむ間もなく覚悟を固める友雅の腕の中で、ぴくりと泰明の肩が震えた。 「お師匠が来た。迎えに行ってくる」 内心ぎくりとした友雅を余所に、喜びも露にそう言うと、 泰明は友雅の腕の中から抜け出し、簀子を急ぎ足で歩いて行った。 「やれやれ」 そのうきうきした後ろ姿を見送りつつ、友雅は呟く。 そうしてふと、先程泰明が触れた目尻の傷の痛みがなくなっていることに気付く。 触れてみると、そこは滑らかで血はおろか傷自体も跡形もなく消え去っていた。 泰明が何らかの術を施したらしい。 流石は音に聞こえた陰陽師、というところだろうか。 同時に、先程の行為が二人の間では初めての口付けらしきものであったことにも気付いた。 そのときの感触も甦り、今更ながらそれを充分に愉しむ余裕がなかったことを少々口惜しく思う。 「…やれやれ」 ついさっきまで傷のあった場所に触れたまま、友雅は苦笑しながらもう一度呟いた。 まだまだ先は長そうだ。 しかし、そうして焦らされることも愉しいと感じている自分がいる。 (お師匠様が最大の難関ではあるけれど) いつかはこの関門も突破してみせる。 こちらへ渡ってくる二人分の足音を耳に聞きながら、友雅は挑戦的に微笑んだ。 |
300hitキリリク小説で御座います。 さおり〜ぬ様、御申告+リクエスト、誠に有難う御座いました♪ 大変お待たせいたしました(汗)。 えと、リクエストは「天然やっすんに振り回される友雅氏」ということでしたが、い、いかがでしょうか? 何だか、別の人に振り回されてる感がしなくもないんですが……(汗) 今回のテーマは「月」、「夜桜」、「初めてのちゅう♪(もどき)」でした♪ ともやすは現代編続きだったので、今回は京編にしてみました。 初めてのちゅうはやっすんから♪(死)…って、この二人、まだここまでの関係だったんですか!?(驚愕) …という突っ込みは置いておいて(置くな)。 とある小説のイメージアルバムに入ってる歌詞で、 「苦手なもぉのは月の夜ぅ♪君が綺麗に見え過ぎて♪僕は素直になり過ぎるぅ♪」 …というのがあるんですよ。(これ知ってる人がいたら凄いな……) あまりの気障っぷりに「これは使える!!」←?とばかりに今回使ってしまいました。 この台詞読み返す度に葉柳は「ぷっ」(笑)と噴いてしまいます…… ついでにちょっくら艶っぽさを演出してみようと頑張ったものの、見事に玉砕です。 桜の描写とか…何か綺麗というよりホラーちっく…?(汗) ま、ホラー(グロ除く)と美は紙一重ということで御了承頂け…ないですかねえ……?(不安) 何より、またもや、微妙にリクエストに合わない仕上がりになってるような気が…!(汗×10) 全くもう!どうしてオイラはいつもこうなんだ!!(叱咤) さおり〜ぬ様、こんな代物ですが宜しければお持ち帰り下さいませ…… (本人は書いてて面白かったです…←自己満足) もちろん返品可ですので!! …最後にこれだけは声を大にして!300hit有難う御座いました!! そして、ここまで御覧頂いた方々にも感謝です♪ そして、色々な事情(?)を経て、ななな、なんとっ!! さおり〜ぬ様に此方の作品のイメージイラストを描いて頂きました!! もう、是非是非御覧下さいっ♪→ 戻る