凛舞

 

「鷹通!」

 黄昏時の行き交う人もまばらな公園。

 頭上から凛と名を呼ばわる声に、夕陽に背を向けるように木に寄り掛かっていた鷹通は読み掛けの本から顔を上げる。

 正面の階段の踊り場に待ち人である泰明のほっそりした姿が見えた。

泰明は踊り場の手摺に手を掛け、そこからひらりと飛び降りる。

細い身体が一瞬空を舞い、危なげなく着地する。

見惚れるほど鮮やかな身動き。

着地すると同時に、こちらへ向かって駆けてくる泰明は、しかし、

いつも会ったときに見せてくれる仄かで可憐な笑顔ではなかった。

 以前、彼の職場で見たことのある凛と引き締まった顔。

 その凛々しくも美しい顔で泰明が鷹通に言い放つ。

「どけ!」

 同時に、鷹通の目の前を黒い靄のようなものが過ぎろうとした。

 泰明が懐に手を入れて、幾枚かの呪符を取り出す。

 事態を悟った鷹通は、本を閉じつつ、泰明の言葉に反して、黒い靄の前に立ちはだかった。

「はっ!」

 手を翳し、篭めた気を靄に向かって放つと、その動きが止まった。

 駆け付けた泰明が、低い呪文を唱えつつ、符を挟むように持った細い指先を閃かせる。

 素早い、しかし舞うように優雅な動き。

 そうして、投げ付けられた呪符が、瞬時に黒い靄を霧散させた。

 

 周囲の空気も清められ、心なしか明るくなったような気がする。

「流石ですね、泰明殿」

 鷹通が微笑んでそう声を掛けると、泰明は少し細い眉を顰める。

「どけと言った」

 不満げに言う泰明の白い頬が、少し上気して膨らんでいる。

 文字通り、膨れているのである。

 その様が幼く、同時に可愛らしくて、鷹通は悪いと思いながらも、笑ってしまった。

「鷹通!」

「…ああ、申し訳ありません、泰明殿。私の反応が遅かった為に、貴方の邪魔をしてしまいましたね」

 何とか笑いを堪えて謝りながら、膨れた頬を指で軽く突つくと、泰明がはっとしたように表情を改める。

「違うだろう」

 鷹通の言葉を否定して、泰明は少し俯く。

「お前はわざとあの靄の前に出た。足止めしてくれたのだろう?」

「逃げる間を逃してしまったので、立ち向かうことにしただけですよ」

 その言葉にも首を振って、泰明は顔を上げた。

「お前の助けがなくても、あれを祓うことは出来たと思うが…

お前が足止めをしてくれたお蔭で、早急に対処できたのは確かだ。

そのことについては礼を言わねばなるまい。有難う、鷹通」

 きっぱりと言った泰明に、鷹通は少し苦笑する。

「余計なお世話でしたね」

「そんなことはない。そんなことはないが…」

 続きの言葉を選びかねて黙り込む泰明を、急かさずに鷹通は見守る。

「ひとりで対処したかったのだ。鷹通の迷惑にならないように…」

 ようやくそう口にした直後、泰明ははっと口を噤む。

 急に、萎れた花のようにしゅんとしてしまった泰明の姿に、鷹通は慌てる。

「どうなさいました?」

「そうだ…鷹通に迷惑を掛けないようにするならば、私があれを別の場所へ追い込むようにすれば良かったのだ…

すまない、鷹通。勝手なことを言った」

「勝手だなどと…そもそも先に勝手なことをしたのは、私なのですよ」

 俯く泰明の顔を掬い上げるように優しく語り掛けながら、鷹通は泰明の手を取る。

 硝子細工のような繊細さを持ったほっそりと滑らかな、しかし、優しい温かさを持つ手。

「…守りたかったのですよ」

「?」

 華奢な手を壊さないように軽く握り締め、鷹通は顔を上げた泰明に向かって微笑む。

「もちろん、貴方はひとりで何でもおできになる方だ。私の助けなど必要ないのかもしれません。

それでも…貴方の為に何かしたいと思ってしまうのです。貴方が…誰よりも大切だから。

貴方にとってはご迷惑かもしれませんが…」

「そんなことはない!」

 やや勢い込んだ口調で否定してから、泰明はゆっくりと照れたように白い頬を染めて唇を綻ばせた。

「迷惑などではない。有難う、鷹通。…嬉しい」

 柔らかな笑顔に釣られるように、鷹通も微笑みを返した。

 

「ところで、泰明殿。あの黒い靄のようなものは…?」

「人々の雑多な陰の気が寄り集まって出来た念の塊だ。

明確な意思を持たぬ雑霊の類だが、ちょうどそれが周囲の人間に、悪さを働いているところに出くわして…

放っておけなかったのだ」

 

 この現代で泰明は、陰陽師として働いている訳ではない。

 しっかりとした別の職を持っている。

 しかし、常に呪符を持ち歩いて、時折こうして見過ごせない霊を祓ったりしている。

 京にいた頃の癖が抜けず、どうしても気になってしまうからと泰明は言うが、鷹通はそこに彼の優しさを見ていた。

 多くの人々が行き交い、雑多な思考が交錯する現代。

 それらがあまりにも多過ぎる故に、そこにある淀みを見てみぬ振りをすることも実は容易い。

 しかし、泰明はそれをしない。

 周囲に害を為す淀みに気付けば、自分の出来うる限りそれを清めようとする。

 習い覚えた技で以って。

何よりもその純粋な心で以って。

だからこそ、少しでも彼の助けになりたいと思う。

 

…守りたいと思う。

 

泰明が身を屈めて、懐から取り出したときに落とした符を拾う。

夕日に映えるその白く細い指先の動きについつい見惚れてしまう。

「何を読んでいたのだ?」

「え?…ああ、本のことですか」

 首を傾げた泰明の問いに意表を突かれ、一瞬何のことかと考えてしまった鷹通は、悟った後に照れ笑いをする。

「これですよ」

 小脇に抱えていた本を泰明に見せる。

 そのタイトルを確認した泰明の瞳が輝く。

「私もこの本を探していたのだ。何処で見付けた?」

「先日、行きつけの古書店で…」

 興味津々で本に見入る泰明の姿に、鷹通はくすりと笑い、

「お貸ししますよ。もう一通り読んでおりますから」

とその洋書を泰明に差し出した。

「良いのか」

「ええ」

「有難う、鷹通」

泰明はにっこり笑い、白い手を伸ばして本を受け取る。

 そうして、待ち切れない様子で、その場で本を開いた。

 嬉しそうな笑顔も、開いた本の文字を辿る整った指先もとても綺麗だ。

きっと幾ら眺めていても飽きない。

 

 だが、今は…

 

 鷹通はそっと文字を追う泰明の細い指先を捉え、引き寄せる。

「本も良いですが、今は私とお話しませんか?せっかく一緒にいるのですから」

 やんわりと言うと、泰明は我に返ったように顔を上げた。

惜しむでもなく、本を閉じ、

「そうだな。すまない、たか…」

言い掛けた泰明の言葉が途切れる。

捉えていたままの指先に、軽く口付けた鷹通が目を上げると、泰明はきょとんとした顔をしている。

 そこで、今度は僅かに開いたままの唇に口付ける。

「…!」

 夕陽色に染まる空気の中。

ようやく、泰明の白い頬が夕陽よりも紅く染まって、鷹通は嬉しそうに微笑んだ。


ぷち七葉制覇其の五は、たかやすです! 少しアクティブな要素を入れたら、長くなりました(苦笑)。 ちなみに、話の長短は愛の差によるものではありません、念のため(笑)。 タイトルの「凛舞」(輪舞じゃないよ/笑)は、やっすんの挙措を例えてみた言葉なのです♪(また、造語かよ!) 自分が貸してあげた本に、ほんの少し妬きもちな鷹通が、気を逸らせてしまったやっすんにも軽いお仕置き…という話…か? お仕置きになってないという突っ込みは甘んじて受けます(笑)。 だって、やっすんが相手だもの!! ちょっと鷹通が、友雅氏っぽくなっちゃったかな〜(汗)。 でもらぶらぶな…というか、やっすん相手には(笑)ふとした拍子に、誰でもこういうことをしたくなる筈!!(力) 途中までは真面目で戯言なしなのが鷹通です。 でも、フェミニスト。きっと。多分(曖昧)。 戻る