Pure White
「こちらで宜しいでしょうか?」 「そうだ。有難う、鷹通」 鷹通が差し出したCDを、泰明は澄んだ瞳を輝かせて受け取る。 「綺麗な絵だな」 青を基調とした水辺の街と月、白い鳥を描いたジャケットイラストを見詰めながら、泰明が微笑む。 その可憐な微笑みも、ゆっくりと瞬きを繰り返す睫長い瞳も、CDケースを持つ爪先の整った白い指先も、見惚れるほど美しい。 「喜んで頂けて良かった。しかし、泰明殿が音楽に興味をお持ちになるとは思っていませんでした」 「可笑しいだろうか?」 泰明が僅かに細い首を傾げると、解き流した翡翠色の髪が、滑らかな絹糸の如く、華奢な肩を滑りながら、さらりと揺れる。 ちょうどそのとき、喫茶店のウェイターが、鷹通の珈琲と、泰明のストロベリーパフェを運んできた。 「いいえ。嬉しい誤算ですよ。これからは、書物の話だけではなく、音楽の話も泰明殿と共有できる訳ですから」 さり気なく、しかし、確かに頬を赤らめつつ、泰明の前に緊張した手付きで、 パフェを置くウェイターの様子を、鷹通は泰明に笑い掛けながらも、やや複雑な気分で眺めやる。 当の泰明は、一向それに気付くことなく、鷹通の言葉に、再びにこりと、何とも愛らしく笑った。 そうして、パフェを口に運び始める。 慎ましく動く唇はパフェよりも甘そうだ。 そんな泰明の姿、表情、仕種の全てが、鷹通の目を捉えて離さない。 毎日見ていても飽きず、却って泰明への愛おしさはいや増すばかりだ。 出逢ったばかりの頃は、ここまで自分が、彼に夢中になるとは思ってもみなかったのに。 そもそも彼が、ここまで無垢で綺麗な心身の持ち主とは知らなかったのだから、仕方ないと言えばそうなのだが。 知ってしまえば、心惹かれずにはいられない。
…そんな個人的な感慨はともかく。 周囲に少しでも注意を払えば、店員のみならず、客からも泰明は注目の的だ。 これだけの美貌の主なのだ、無理もない。 だが、少々落ち着かないのも事実。 何よりも、こう衆目を浴びては、思うように泰明と睦まじくすることが出来ないではないか。 我ながら勝手であると自覚しつつも、早く店を出て、ふたりきりになれる場所に行きたいと思う。 それに… ここは某スタジオにも近い。 あまり長居をしては、例の鷹通にとっての招かざる客が襲来してくる虞がある。 しかし、美味しそうにパフェを食べている泰明を急かすなど論外だ。 今は我慢するしかない。 珈琲カップを傾けつつ、そう自分を制する鷹通。 とはいえ、泰明の稀有な色違いの瞳に微笑まれると、つい口元が綻んでしまう。 泰明の前では、あらゆる作為も計略も流されてしまうのだった。
「そうだ、鷹通」 泰明が残り三分の一ほどになったパフェを食べるのをひとまず中断して、脇に置いた鞄の中から、一冊の本を取り出す。 「お前が一週間前に、読みたいと言っていた論文が掲載されている本が昨日見付かったのだ」 「本当ですか!」 嬉しい知らせに、僅かに淀んでいた鷹通の物思いは跡形もなく吹き払われる。 「ああ、知り合いの医学博士が教えてくれた。だが、この論文に対する国内評価が低い所為か、和訳されたものは見付からなかった。 だから、この本に載っているのは訳無しの原文だが、構わないか?」 「もちろん、構いませんとも。有難う御座います、泰明殿。お手数をお掛けしましたね」 そんなことはないと首を振る泰明に、もう一度感謝を籠めて微笑み掛け、鷹通は差し出された本を受け取ろうと手を伸ばした。 鷹通の手指が、本を持つ泰明の細い指に触れそうになる寸前。
「や〜すあき〜っ!!」 勢い良く扉が開かれて、ドアベルがガランガランと派手に鳴る。 同時に店内に響いた、騒がしいベルの音に負けぬくらい大きく名を呼ばわる声に、 店員の「いらっしゃいませ」と言う声も打ち消されてしまう。 声の主は、店に入るなり、奥の窓際に置かれた四人掛けテーブルに向かい合って座る鷹通と泰明の元へと突っ込んでいく。 「すまない、鷹通。少し待って欲しい」 そう言った泰明が、差し出した本を己の手元に引き戻し、 「や〜す〜あっ…ぶ…っ!!」 再び大きな声で名を呼ばわりながら、背後に迫っていた赤い髪の青年の顔面に真正面から叩き付けた。 「煩い」 冷えた声音で、顔を抑えて蹲る相手をばっさりと切り捨てる。 「泰明殿!」 鷹通が慌てたように声を上げる。 「そんな風に扱っては本が破損してしまいますよ」 「大丈夫だ。手加減はした」 応えながらも、一応本の様子を丁寧に確認し、「問題ない」と頷いてから、泰明は鷹通に本を手渡した。 「…お、おのれ、泰明のみならず、鷹通までが、儂の無事よりも、本ごときの無事を優先するとは…」 恨めしげに呻きながら、蹲っていた青年が身を起こす。 その彫り深い顔立ちの、高い鼻の先は髪の色ほどではないものの、見事に赤くなっていた。 「こぉら、泰明!浅からぬ付き合いの儂に、この仕打ちは無かろう!」 「公共の場で喧しく騒ぐ輩を止めるのに、縁の深い、浅いは、関係ないだろう」 静かにしろと、柳眉を顰めて泰明は言い放つ。 そんな冷たくすら見える不機嫌そうな表情まで美しく、愛おしいと思ってしまうのだから、我ながら病が深い。 (…尤も) 受け取った本を片手に、鷹通はちらりと突然の乱入者を見る。 彼もまた、自分と同じように考えているだろうことは容易に想像できる。 そして、彼こそが鷹通がその登場を危惧していた招かれざる客なのである。 「まぁ〜ったく!相変わらずお前は冷たいのう…」 先程よりは声の大きさを抑え、いやに年寄りじみた口調でぶつくさと文句を垂れつつも、 彼の口元は泰明に構ってもらえる嬉しさに綻んでいる。 「ねえ、あのひとって…」 「もしかして、『スカーレットミーティア』のヴォーカルの雷牙じゃない?」 「そういえば、良く利用してるスタジオがこの近所だって聞いたことある!」 少し離れたテーブルで、こちらの様子をこっそり窺いながら、囁き合う女性客の話を耳に入れた青年、雷牙は、 彼女たちに向かって、ニ、と笑い、ばちんと音がしそうなほど大袈裟にウインクして見せた。 たちまち上がる女性たちの嬉しそうな悲鳴。 今まで雷牙に気付かないでいた他のテーブルに座っている客たちも、何だ何だと窓際のテーブルに目を向け始める。 ただでさえ、並外れて美しい泰明と、知的なハンサムである鷹通は、店中で目立っていたのに、更に注目を浴びる羽目になってしまう。 「天狗!」 流石の泰明も店内のざわめきに気付き、原因である雷牙を厳しく見据える。 「儂は騒いでおらんぞ、泰明!まあ、そう怒るな」 真剣味の足りない宥めの言葉を口にした雷牙と、黙って様子を見ていた鷹通の目がふと合う。 途端、雷牙は不機嫌そうな表情となり、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。 その態度に、鷹通も大人気ないと思いつつ、むっとしてしまう。 しかし、大人気ないと言うのなら、雷牙の方がより当て嵌まる。 彼は鷹通よりずっと長く生きているのだから。 今、巷の若者たちを中心として、最も注目されているインディーズロックバンド『スカーレットミーティア』ヴォーカル、 雷牙の真の正体を知る者は、鷹通、泰明を含めてごく少数だ。 また、言ったところで、この現代でそれを信じる者は、殆どいないだろう。 雷牙が、先ほど泰明が呼んだとおり、異世界『京』で長い時を生きた大妖である天狗であることなど。 かつて、『京』に住んだことのある者だけが、彼の正体を知っている。 悪さが過ぎて、京の陰陽師であった泰明に力を封印され、小さな身体になっていたが為に、雷牙は皆に「小天狗」と呼ばれていた。 泰明だけが「天狗」と呼ぶ。 その頃から、元の姿に戻せとしょっちゅう泰明に纏わり付いていた雷牙だったが、 鷹通と泰明が京から今暮らす現代へと移り住むにあたって、望んで彼らに付いてきた。 今度は、小さな身体になるのではなく、天狗の特徴である背中の羽を隠し、人間として通せるよう泰明に術を施してもらって。 いつか、封じられたままの力を取り戻す為に、付いていくのだと雷牙は泰明に言い放ち、 泰明もそれを信じたが、鷹通は雷牙が現代まで泰明に付いてきた本当の理由を知っている。 それは間違いなく、自分と同じだ。
泰明の傍にいたい。 刻一刻と変化する愛らしい表情と、無垢なまま染まらぬ心を見守り続けたい。 そして、願わくは……
雷牙は鷹通の存在を無視したまま、ジーパンの後ろポケットから何かを取り出す。 「ところで、再来週の土曜日に、ライブをやるんじゃ。ほれ、これがチケット。 入口で名を言えば、最前列でステージが見られるようクラブのスタッフに言ってあるからな」 「天狗…」 「何じゃ、最前列では不満か?なら、そのまま楽屋に来て、ステージ袖から見るか?」 「そうではない」 テーブルの上に置かれたチケットを見詰めて、泰明は困ったように細い眉根を寄せる。 「私はお前のやっている音楽にあまり詳しくない。良さも分からない。 そのような者に貴重なチケットを渡すよりも、本当にお前の音楽が好きで聴きたいと願っている者に渡したらどうか?」 「だが、儂はお前に来て欲しいんじゃ!!」 「……」 「儂はお前に、儂のステージを見てもらいたい。今は儂の音楽が分からなくても構わん。 儂だって初めはそうだった。物事の良さなんてものは幾度か触れないことには分からないもんじゃ」 身を屈め、テーブルの上に乗り出すようにして、真摯な口調で言う雷牙を、泰明は見上げる。 それから、花弁のような唇をほんの少したわめた。 「分かった。では、このチケットは有難く受け取らせてもらう。お前のやるらいぶとやらを心して見よう」 泰明が浮かべたのは、綻びかけた蕾が僅かに花弁を震わせるような、ごくごく淡い笑みだったが、 見た者の魂すら奪っていきかねないほどの凄まじい破壊力を持っていた。 正面切って微笑み掛けられた雷牙はもちろん、脇で見ていた鷹通も、 偶然泰明の笑みを目にしてしまった周囲の者たちも皆、一瞬その場に凍り付き、惚けたようになってしまう。 異様に静まり返ってしまった周囲の様子を気に掛けることなく、泰明はチケットを手に取り、首を傾げた。 「このチケットは…一人分か。鷹通の分のチケットは無いのか?」 問い掛けに、はっと我に返った雷牙は、顔を赤くすると同時に、器用に嫌そうな顔をする。 「あと一人分のチケットくらい用意できなくはないが…鷹通はロックは好かんだろう?ライブにも興味が無いと思うが」 言いつつ、鷹通をちらりと見る。 鷹通には、雷牙の魂胆が手に取るように分かった。 概ねライブ後に、泰明とふたりきりのデートと洒落込みたいのだろう。 それを許す訳にはいかない。 しかし、鷹通はその場での口出しは控える。 自分が口を開くのは、もう少し後だ。 案の定、泰明が首を傾げたまま、雷牙に問い返した。 「だが、お前は先ほど、最初はろっくの良さが分からなくとも、幾度か触れるうちにその良さが分かるようになると私に言ったではないか。 鷹通にもそうなって欲しくはないのか?」 「う…確かにお前にはそう言うたが……」 「私にはそうなって欲しくて、鷹通にはそうなって欲しくないのか?何故だ?何故、鷹通は駄目なのだ?」 「…いや、別に儂は鷹通が駄目だとは……」 泰明の純な問いに、雷牙が追い詰められたところを見計らって、鷹通は口を開く。 「確かに私は、ロックという音楽に馴染みはありませんが、興味はあります。雷牙殿のなされる音楽であれば尚更です。 もし、ご迷惑でなければ、私も泰明殿と共に貴方のライブにお伺いしたいのですが…」 「泰明殿と共に」という辺りをさり気なく強調して、鷹通はにっこりと微笑む。 想い人の手前、鷹通の要求を撥ね付けては、雷牙の男としての面子が立たない。 雷牙は渋々といった様子で頷いた。 「…分かった。今度鷹通のチケットも持ってきてやる」 「有難う御座います」 泰明が嬉しそうに鷹通に言う。 「楽しみだな、鷹通」 「ええ」 ささやかな勝利を得て微笑む鷹通と、邪な思惑を阻止されて不機嫌な雷牙。 一瞬目を見交わしたふたりの間に火花が散る。 「まあ♪三角関係よ…!」 三人の様子を興味津々眺めている女性客たちが、嬉しげに囁き合うが、そんなことに構ってはいられない。 一方、泰明は事態が納得できるものとなったことに、満足した様子で、残りのパフェを食べ始めた。 ひとり納得できない雷牙は、いつもどおり、泰明にちょっかいを掛ける策に出る。 「何のパフェを喰っとるんじゃ?ん?何だ、これだけ除けてあるのは。嫌いなのか?なら…」 言いながら、グラスの中に入っていたさくらんぼをひょいと摘まんで口の中に入れた。 「あ!」 泰明が目を見開いて、さくらんぼの消えた雷牙の口元を見る。 雷牙の口の中から飛び出て揺れているさくらんぼの軸を見詰めながら、悲しげに呟く。 「最後に食べようと取っておいたのに…」 大きな瞳が、次第に潤み始めるのを見て、雷牙は慌てた。 「そ、そうじゃったか…!」 しかし、もう後の祭りだ。 雷牙の口からぽろりと零れるのは、さくらんぼの軸と小さな種のみ。 「すまん…泰明」 「もう良い」 泰明は潤んだ瞳のまま、雷牙をきっと睨む。 その子供のような表情もまた、凶悪なほどに愛らしいのだから、手に負えない。 「悪かった、泰明!ちょっとした出来心だったんじゃ!泣くなよぉ…」 「泣いてなどいない!」 「泰明殿」 困り果てる雷牙と、そんな雷牙を膨れて睨む泰明を交互に見て、鷹通は泰明に優しく声を掛けた。 「これからもうひとつパフェを注文しましょう。私がご馳走しますよ。 そうですね…今度はチョコレートパフェは如何でしょうか?さくらんぼも付いておりますよ」 「ちょこれーと…」 鷹通の提案に、興味を引かれたように泰明が振り返る。 潤んだ瞳に、宥めるような笑みを向けてから、鷹通は店員を呼ぶ。 そこに負けてはならじと雷牙が割り込んだ。 「こぉら!抜け駆けするな、鷹通!!泰明を泣かせたのは儂の責任じゃ! 儂も泰明にパフェを奢るぞ!!店員、プリンパフェも追加だ!!」 注文しながら、泰明の隣の椅子にどっかと座り込む。 「せめてもの罪滅ぼしじゃ。思う存分喰っていいぞ!」 やや機嫌が回復したものの、依然細い眉根を寄せて、泰明が呟く。 「これからふたつもパフェを食べることなど出来ない…」 「何、残りは儂が全部喰う!!何だ、まだ不満か?なら、ここの支払いも全て儂が持つ!!」 勢いのままにそう言った雷牙は、任せておけと己の胸をどんと叩いた。
結局。 泰明が先程まで食べていたストロベリーパフェと鷹通の珈琲の支払いまですることになった雷牙。 「ご馳走様です」 「……おう」 自ら口に出したこととはいえ、損な役回りを担うことになった雷牙は、鷹通の礼に応えつつも、悔しげにぼやく。 「どうにも、儂ばかりが報われていない気がするぞ…」 「そんなことはないでしょう」 鷹通が思わずそう応えると、雷牙は怪訝そうに鷹通を見る。 「どういうことじゃ?」 それには応えず、鷹通は視線を雷牙の隣の泰明へと向ける。 雷牙も釣られるように、傍らを見遣った。 泰明はすっかり機嫌が治った様子で、目の前に並べられたふたつのパフェを交互に口にしている。 その脇に置かれているのは、今日鷹通が泰明に貸したCDだ。 このように泰明が音楽に興味を持つようになったのは、音楽活動をしている雷牙の影響に因るところが大きいだろう。 しかし、その確信を鷹通は敢えて口にしない。 恋敵を喜ばせる義理はないからだ。 横を見れば、雷牙は鷹通に問うたことなどすっかり忘れた様子で、 片頬杖を付きながら、幸せそうにパフェを食べる泰明に見入っている。 鷹通もまた、泰明に視線を戻す。
刻一刻と変化する愛らしい表情を目に焼き付けるために。
ふたりの視線にようやく気付いた泰明が、少し照れたように、滑らかな頬を僅かに染めて笑う。 無邪気な笑みに、鷹通と雷牙は同時に微笑み返した。
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結局は、やっすんが最強で最高♪というお話でした(笑)。 お分かりのことと思いますが、タイトルの「Pure White」とは、やっすんに対する形容です。 可愛らしい文字にしたら、可愛らしいお話になるかなあ…と期待して、今回もいつもと違うフォントにしてみております。 本当に可愛らしいお話になったかは謎です。やっすんの愛らしさには気を配りましたけども(笑)。 でもこのフォント…ちょ、ちょ〜っと、漢字が読み難い部分があるかしら?(汗) 雷牙(天狗)のバンド名は「緋色の流星」という意味です。 何故そんな名前かと言うと、「天狗」とは「あまぎつね」とも読み、 「彗星」或いは「流星」を指すとも言われているからです。「緋色」は単に天狗のアニメ版の髪色で。 それだけの意味です(苦笑)。 本当は「彗星」にしようとしたんですが、英語にすると、どうにもカッコが付かなくて、 「ブフッ」と笑ってしまいそうになるので「流星」に。 穏やかで基本的に冷静な鷹通と、暴走気味で墓穴を掘り易い(笑)天狗とでは、やっすんを巡って争った場合、 勝負にならない感じもするのですが(苦笑)、ここは敢えて、同等の立場になるよう苦心してみました。 …ま、最悪、ふたりがやっすんにメロメロであるのが、御覧下さる方に伝わってればいいや(笑)。 戻る