花  前編

 

「この花はどうしたんだい?」

窓辺に置かれた花瓶に生けられた山吹の花を見て、友雅は部屋の主に問うた。

「貰った」

その問いに簡潔に応え、部屋の主である泰明は窓辺に近付き、嬉しそうに山吹を眺める。

窓から白いカーテン越しに差し込む柔らかな日差しに、彼の翡翠色の髪が艶やかに煌く。

その様に目を細めつつも、友雅の整った眉は、僅かに顰められる。

目の端に捕らえるのは、テーブルの上の花瓶に生けられた花だ。

そろそろ終わりを迎える赤い薔薇。

思い出すのはつい先日のこと。

 

 

その日の夜、互いの仕事を終えた二人は、喫茶店で待ち合わせをしていた。

友雅がテーブルについて間もなく、泰明が真っ赤な薔薇の花束を抱えて現れた。

茶を楽しみながらおしゃべりに興じる女性客(話題の大部分は今近くにいる友雅の事であった)、

商談を進めるビジネスマン、黙々と茶を運ぶウェイター、

ウェイトレス等々、店にいる者全ての視線が泰明に注がれる。

その者自身も花かと見紛う美貌の主が、その華奢な腕に余るほどの薔薇を抱えて店に入ってきたのである。

その眩しさに目を奪われてしまうのは当然のことではあった。

「その花は一体どうしたんだい?」

泰明が近付いて来ると共に強くなる花の香りに面食らいつつ、友雅は思わず訊ねる。

今日は何か特別な日だっただろうか。

泰明が何の意味もなく、自分のために自らその花束を買うことがあろう筈もない。

第一、美しい人に花を捧げるのは自分の役目の筈だ(と友雅は思っている。)。

ということは、誰かから貰ったということだろう。

「貰った」

友雅の予想通りの応えを泰明は返した。

しかし、泰明はその綺麗な顔に不可解そうな表情を浮かべている。

その理由を訊き出すべく、友雅は正面に泰明を座らせ、呆然としていたウェイターに自分の珈琲、泰明の紅茶を注文する。

「誰から貰ったのか訊いても良いかな?」

やんわりと訊ねると、泰明の不可解な表情に、戸惑いが混じる。

「それが…知らない人なのだ」

「知らない?」

友雅は目を丸くする。

「だが、あちらは私を前から知っていると言っていた」

「ふうん」

何となく察しが付いた。

相槌を打ちながら、取り敢えずは泰明の話を最後まで聞くことにする。

「その人はこれからすぐ一緒に来て欲しいと言った。だが、私は友雅と会う約束をしていた…それ故、申し訳ないが断ったのだ」

「え?」

何かがおかしい。

「そうしたらこの花束とその人の携帯番号が書かれたメモを渡されて…今日ではなくてもいいから返事をくれと言われた」

一方、泰明は友雅に話をしているうちに、何かに気付いたようだ。

一瞬息を呑んでから、気まずそうな顔をして俯いた。

「私は断らない方が良かっただろうか?」

「は?」

突拍子もない言葉に、友雅の声が裏返る。

そんな友雅を余所に素早く自分の考えを整理したらしい泰明は、毅然と顔を上げる。

「あれほど必死に来て欲しいと言っていたのだ。きっとあの人は私の力が必要な状況にあるに違いない。

…明日ならば、仕事の合間でも時間を取ることができる。

明日、私はその人に付き合おうと思う」

「ちょっと…ちょっと待って、泰明」

確かに有能な医師として活躍する泰明の力を必要とするものは後を絶たないだろうが……その状況はあまりにおかし過ぎる。

いますぐにでも相手の携帯に連絡を入れようとする泰明を止め、友雅はもう一度相手が言った言葉を確認する。

彼は泰明に薔薇の花束を渡し、「付き合って欲しい」と言ったという。

その「付き合う」という言葉を泰明は、「何処かへ一緒に行く」と解釈していたのだ。

「…泰明、それは多分違うと思うよ」

友雅は優しく穏やかに、泰明に「付き合う」の意味を教えねばならなかった。

例外はあるだろうが、花と共にその言葉を捧げられた場合、「付き合う」とは「恋人になる」という意味であると。

泰明はそのことを聞いて澄んだ大きな瞳を更に丸くして驚いていた。

結局は友雅の察していた通りの経緯だった訳だ。

なんとも気障な(友雅が言えた義理ではないのだが)やり口だが、この薔薇の送り主、相当自分に自信があるらしい。

しかも、赤い薔薇とは何ともあからさまではないか。

友雅は泰明の隣の椅子に置かれた件の花束を眺め、目を細める。

しかし、当の本人であるところの泰明には全く意味が通じていない。

それが相手にとって、或いは自分にとって幸か不幸かは悩むところだ。

友雅が複雑な心境を抱いている一方で、泰明は友雅からもたらされた真実に暫し何か考え込んでいるようだった。

しかし、今度は答えが出なかったらしく、怪訝そうな表情のまま、友雅に問い掛けた。

「友雅、お前に訊くのもおかしなことだとは思うのだが、私は勘違いをしていたのだろうか?」

「?何をだい?」

泰明は生真面目に問いの続きを口にする。

「私はあの人を勝手に男だと思っていたのだが、実は女だったのだろうか?」

「………いや、男だと思うけど」

泰明は少し考え、再び問う。

「では、あの人は私を女だと勘違いしたのだろうか?」

「……さあ、それはどうかなあ」

友雅は肯定とも否定ともつかぬ答えを返すことしかできなかった。

泰明はまた考え、この一件に関する感想を素直に口にした。

「面妖な話だ」

男が男に恋人になって欲しいと言うとは。

「……」

一体泰明は目の前にいるこの自分を何だと思っているのだろうか。

 

こうして素直に驚きや戸惑い、喜びなどの感情を表に出す泰明。

しかし、以前の彼はこうではなかった。

人形のように冷たく整った顔立ちには何の表情も刻まれず、低いが波璃のように澄んだ響きを持つ声は、いささかの色も纏うことはなかった。

その感情の封を顔の半面に刻まれていた呪いと共に解いたのは、他ならぬ友雅である。

感情を取り戻した今でも、性格なのだろう、泰明は人前で感情を表に出すことに関しては依然として不器用だ。

医者という今の仕事も影響するのか、周りから冷静沈着と受け取られることの多い泰明だが、

感情の封を解いた友雅の前でだけは素直に自分の感情を表に出すことができるようだ。

泰明の幼ささえ感じさせる無邪気な表情。

それを誰よりも多く、そして近くで見ることのできる自分は、泰明にとってかなり特別な人間だと言えるだろう。

しかし、それがどう特別なのかは今もって図りがたい。

彼の師のように、身近な家族のように思っているのか、それとも……

 

(私は泰明を恋人だと思っているけれど)

できれば泰明もそう思ってくれていると願いたいところだが。

しかし、このような状況に対する泰明の反応を見ているとその願いも叶わぬものと思えてくる。

(やっぱり家族かな)

と、切なく思っている友雅の前で、泰明が自分の携帯を手にして、脇に置いたジャケットのポケットの中から何かを取り出そうとする。

「どうしたんだい?」

何となく察しが付きながらも問い掛けた友雅に、真面目な泰明は応えた。

「今の話が友雅の言う通りだとしても、一度この人には連絡を入れねばならぬ。きちんと断らなければ」

相手の携帯番号が書かれたメモを取り出した泰明の前に、友雅は手を差し出した。

「何だ、この手は?」

友雅は泰明ににっこりと笑い掛けた。

「私が話をするよ」

「何故だ?」

「こういう断りはね、第三者から…特に君と実際「付き合っている」人間からする方が効果的なんだ。

相手に別に付き合っている人間がいると分かれば、たいていは諦めてくれる」

尤もらしく教え諭しながら、さりげなく自分と泰明が「付き合っている」状況にあることを主張してみる。

泰明は否定しなかった。

「そういうものか?」

「そういうものだよ。それにね、万が一泰明が最初考えていたような例外的な状況だとしても、私ならすぐ協力できる。

そうしたら、その人も喜ぶのではないかな」

自分は製薬会社を経営しているのだから。

その言葉に泰明は納得したように瞳を輝かす。

「そうか。そうだな。有難う、友雅。宜しく頼む」

「任せてくれたまえ」

手渡されたメモを受け取った友雅は、再びにっこりと微笑んだ。

それはこっそりと二人の様子を窺う女性陣がうっとりするような微笑ではあったが、底知れぬ何かを秘めていた。

 

 

「その花束は持って帰るのかい?」

喫茶店を出てそう問い掛けた友雅に、泰明は花束を大事そうに抱えてこっくりと頷く。

「そうだ。部屋に飾ろうと思う」

「……そう」

優美で繊細な見掛けとは裏腹に女性的ではない性格の泰明は、余り自ら花を買ったり育てたりするということはしない。

花の種類にも詳しくないのだが、自然から生まれるものである花自体は好きで、

こうして誰か(専ら贈り主は友雅だが)から貰えば、大事に部屋に飾るのである。

「何だ、友雅。この花が気に入ったのか?」

ならばやる、と花束を差し出した泰明に、苦笑しつつ友雅は応える。

「いや、いいよ。泰明が貰ったものを私が貰う訳にはいかないだろう?」

しかも、他の男が泰明に贈ったものだ。

どうあっても、有難く頂くという気持ちにはなれない。

この花を泰明が部屋に飾ると言ったことも面白くないと感じているのだから。

それでも、細い腕一杯に花束を抱える泰明を気遣い、荷物と共に花を持ってやる。

「…確かに綺麗だけどね」

これはこの花に勝る美しい花束を泰明に贈らねばなるまいか、と思いつつ友雅が呟くと、

友雅の複雑な胸中に気付く筈もない泰明は嬉しそうに微笑んだのだった。

「そうだな。綺麗だ」



ともやすもどきです。
またもや「もどき」ものです、すみません(汗)。
正確には「泰明に似た人」と「友雅らしき人」の話かもしれません(自らの首を締めてみる…)。
ともやすに関しては他の方々の素晴らしい作品をたくさん拝見(拝読)させて頂いているので、
敢えて書く必要はないかなあ、なんて思ってたのですが……(それ言うならてんやすもそうですが/汗)
それでも書いちゃった自分にびっくりです。
あからさまに現代編です(笑)。
ともやす現代エンディング(いや、ないから)後、彼らの日常の1頁を切り取ってみました的コンセプト(謎)によるお話です。
彼らの職業等、突っ込みたいところは多々ありますが、目を瞑ってやってくださいませ(冷汗)。
前作の反省を踏まえ(?)、レリーズ(封印解除)後のやっすんを書いてみました。
ちなみにこのお話は前作のてんやすもどきとは全く関係ありません(当り前)。
この話が実は元々オリジナル用(Oちゃんとその伴侶殿のエピソードだったり…)に考えたものであったことは秘密です。←言ってるし。

大した話じゃないのに続きます。


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