月天譚 3

 

 淡々といつもと変わらぬ手順で、戦装束を身に付ける。

 他の将軍が皆、厳しく防御に優れた甲冑を身に付けている中、

泰明の戦装束は、防具と言えば、革製の胸当てと腕当て、脛当てのみの無防備で身軽なものだ。

 

その出で立ちに、防御力と威厳の点で異議を唱える将軍もいたが、泰明は取り合わなかった。

泰明には動きが制限される甲冑よりも、こちらの方が遥かに戦い易かったのだ。

そして、「攻撃は最大の防御」の言葉を体現するかのように、泰明はその身軽さ、素早さを武器に、勝利を得てきた。

戦場でひらめく泰明の装束は、神の纏う天衣(てんね)の如く、

どんな厳しい甲冑を纏う幾多の将軍よりも輝く威厳に満ちていた。

 

その戦装束を纏った泰明は、次いで肩に降り掛かる翠色の髪を手早く纏め上げる。

しかし、最後の仕上げである仮面を無造作に取り上げたところで、一連の動作がぴたりと止まった。

静かに仮面の表を返し、恐ろしい伝説の聖獣を象った面を見詰める。

罪人を喰い殺す、醜悪な容貌の聖獣。

そんな聖獣に対する恐怖を以って、神宮は人々に、罪を犯すな、清くあれと教え込む。

だが、罪を犯す人々は絶えず、造り上げた恐怖は、最早意味を持たない。

 

もし、この聖獣が実在したならば、己自身が真っ先にその腭(あぎと)の犠牲となることだろう。

…淀んだ悩みに塗れてしまった神の子である己こそが。

 

面を見詰めたまま、泰明はひっそりと自嘲の笑みを零してから、物思いを振り切るように首を振る。

しかし、その細い眉は僅かに寄せられたままだ。

泰明はそっと、胸当ての上から己の胸を抑える。

 

…胸騒ぎがするのだ。

 

 

「泰明殿」

幕舎内に入ってきた永泉に声を掛けられ、我に返る。

「どうなさいましたか?もし、ご気分が優れないようでしたら、本日は陣で待機なされては?」

気遣う永泉に首を振る。

「いや、大丈夫だ。問題ない」

全てを振り切るように立ち上がり、

「行くぞ」

月天将の仮面を纏う間際、凛と言い放つ。

「はい」

幕舎を出て行く真っ直ぐ背筋の伸びた月天将の後ろ姿に、安心したように微笑み、

永泉、水天将は自らの愛用の剣と、月天将の剣を携えて、後に従った。

 

「月天将と水天将の御出陣だ!!」

「あの頼もしいお姿を見る度に、興奮してしまうな」

「此度も敵軍を蹴散らしてやろうぞ!!」

「おう!負けるものかよ!!」

彼らの崇める将軍の登場に否応なく、士気の高まっていく兵士たち。

その熱気の中、黒馬に跨った月天将は、水天将から剣を受け取り、鞘から抜き放つ。

言葉を発する代わりに、その切っ先を天へと掲げた。

陽光に白銀の光を放つ刃の煌き。

「参る!!」

水天将の優しげながらも、鋭い声が出立の合図だ。

天をも轟かすような鬨の声が響き渡り、天軍は出陣した。

 

 

一夜のうちに、森を抜けた奇襲の一行は、予定通り、天軍が通る道の両脇の木々に紛れ、

彼らがやって来るのを今や遅しと待ち受けていた。

「緊張しなくても良い。この奇襲は必ず成功するさ」

隣でひたすら額の冷汗を拭う歳若い兵士に、友雅は落ち着いた声を掛ける。

友雅の言葉に青年は頷き、一層息を潜めながら、必死に道の向こうを窺う。

その懸命な様子を眺めながら、友雅はこの奇襲が失敗に終わったときの逃走経路に思いを巡らす。

せめて、歳若い者たちだけは生きて、この場から脱出させなくては。

彼らまで身勝手な自分の戦いの犠牲になることはないのだ。

 

(月の君…)

 

冷静に先読みをする一方で、ただひとりを恋い焦がれ、欲する心は止まる術を持たぬまま、ひたすらに気は逸る。

 

まだか。

 

 

そのとき。

天軍の掲げる幾つもの旗の先が、道の向こうから現れた。

傍らの青年が、思わず身を乗り出すのに、

「まだだよ。落ち着いて」

自らにも言い聞かせるように、声を掛ける。

 

隊列を組んで道を進む軍の姿が次第に明らかとなる。

先頭を進む優しげな美貌の少年は、水天将か。

そして、彼と馬首を並べて先頭を行く仮面の将軍。

 

あれが……月天将。

 

傍らの青年兵が、緊張のあまり唾を飲んだようだった。

噂の将軍は意外にも随分と細身のようだ。

しかし、仮面の恐ろしさの所為ばかりではなく、軍勢を率いていくその姿は、他を圧するほどの気迫に満ちていた。

一分たりとも隙のない姿に、間合いを計りかねる。

焦る間にも、隊列はゆっくりと進み、今しも目前を月天将が通り過ぎようとしたとき。

 

毅然と前を向いていた仮面が、僅かに俯く。

 

それを隙だと頭が判断する前に、友雅は嚆矢となる矢を放っていた。

「な、何だ?!」

「きっ、奇襲だっ!!」

いきなりの襲撃に動揺が走る天軍に立ち直る暇を与えず、樹上に身を隠していた奇襲の精鋭たちが、

道の両脇から軍勢を挟み撃ちにするように、手持ちの矢を雨と降らせる。

同時に、木々の間に上手く身を潜めていた騎馬の者たちが、一斉に剣を抜き放ち、草木をなぎ倒すような勢いで飛び出す。

彼らは皆、軍の隊列の半ば部分を狙って切り込んでいった。

矢が尽きた射手らも、素早く樹上から降りて、

樹の根元の叢に隠すように繋いであった馬を駆り、次々と突撃に加わっていく。

混乱の為か闇雲に刃を振り回す目前の敵を切り捨てながら、友雅は真っ直ぐに軍の最も先を目指した。

 

月天将へ向かって。

 

 

「落ち着け!!」

「敵は少数です。まずは体勢を整えなさい!!」

月天将と水天将は動揺する軍勢を何とか抑えようとしていた。

揺るがない二将軍の声に、浮き足立つ軍勢が徐々に静まっていくかに見えたそのときだ。

 後方の軍を抑えることに意識が向いていた二将軍は、

前方から近付いてくる喧騒に紛れた殺気に気付くのが一瞬遅れた。

 「泰明殿!!」

 水天将と同時に、己に向かう殺気に気付いた月天将だったが、僅かに遅かった。

 それでも、幾度も闘いを乗り越えてきた勘で、致命傷を狙った刃を寸でのところで躱すことが叶う。

 

 そして。

 

 襲撃者の姿を捉えた月天将の瞳が、仮面の奥で大きく見開かれる。

 

 …友雅!!

 

 いつかこの瞬間が来ることを予感していた。

 それでも、驚愕と衝撃に全身が凍りつく。

 

 逸れた刃が、そんな月天将の仮面を容赦なく、叩き切った。

 

 空中に舞うように拡がる翠の髪。

 

 「泰明殿!!!」

 次の瞬間、割り込んだ水天将、永泉の声と共に、泰明は頭から大きな布で包まれ、引き寄せられる。

背後で永泉と友雅の刃が、数回ぶつかる音がし、喧騒の中、遠ざかる馬蹄の響きを聞く。

 

 「奇襲の手勢は退きました!我々も一時退却します!!」

 様子を見計らった水天将の号令により、軍は退却を始める。

 「泰明殿。お怪我はないようですが、大丈夫ですか?」

 進めますか?

 そう問うた永泉に、彼の外套を頭から被ったままの泰明は静かに、しかし、しっかりと頷いた。

 

だが、奇襲により多少の犠牲を出してしまった軍の動揺は俄かには収まらなかった。

軍の先頭近くで、月天将が敵に仮面を割られた場面を目にした者たちは一層だ。

水天将が助けに入らなければ、月天将は敵に確実に討ち取られていただろう。

 

不意打ちとは言え、初めて、月天将が敗れた。

 

そのことも、兵たちの動揺を充分煽ってはいたが…

 

「見たか、月天将の御髪の色を…」

「おう…見たのは一瞬だった故、はっきりとは言えぬが…」

「あれは翠色…?」

「翠色と言えば……」

 

不穏な囁きが彼らの間を行き交う。

 

「私が何とか兵たちの動揺を抑えます。泰明殿は心配なさらないで下さい」

己を気遣う真摯な永泉の言葉は、だが、今の泰明の耳には届いていなかった。

脳裏で繰り返し蘇るのは、仮面を割られた一瞬、驚きに見開かれた碧色の瞳だ。

 

あのとき、友雅は知ったに違いない。

逢瀬を繰り返していた名も知らぬ青年が、敵軍を率いる将であることを。

 

知ったに…違いない。

 

「泰明殿はまず、お寝みになって下さい。それから、今後のことを決めていきましょう」

永泉に守られるように、陣内の幕舎まで導かれた泰明は、外套の影でただ機械的に頷く。

「泰明殿…」

気遣うように眉を寄せた永泉が、泰明の表情を窺うように覗き込み、次いで、そっとその白い頬に触れた。

その手の温かさに泰明はやっと我に返る。

「泰明殿。大丈夫ですか…?」

「永泉……」

我に返ると同時に、外套を掴む手が震え出す。

「…すまない、永泉。私は……」

「泰明殿が謝られることは何もありません」

手だけではなく全身が震え出した泰明の身体を外套ごと包み込むようにして、永泉は泰明を抱き締める。

優しい腕と言葉にしかし、泰明は何度も首を振る。

「違う…私の、私の所為なのだ。私が…」

 

 目的を失い、迷いのある心で戦い続けたから。

 …戦うことを選んだからには、敵であるあのひとを目前にしても、躊躇ってはいけなかったのに。

 身体が…動かなかった。

 その所為で永泉に迷惑を掛け、軍を混乱に陥れた。

 

 「どうなされたのです、泰明殿!落ち着かれてください!!」

 頑是無いこどものように首を振り続ける泰明の姿に、尋常でないものを感じたのか、

永泉が抱き締める腕を解いて、泰明の細い両肩を掴み、軽く揺さぶる。

「すまない。本当にすまない」

「…泰明殿?」

自らも説明し難い混乱に見舞われ、火のような後悔に呑まれながら、泰明は熱に浮かされるような口調で呟く。

「…それでも…私は……」

 

それでも…

 

今尚強く、この心を縛るのは、あの碧い瞳なのだ。

 

ふと、泰明の身体の震えが治まった。

「行かな…ければ…」

「泰明殿?!」

驚く永泉の腕を振り切るように泰明は身を翻す。

「お待ちください!泰明殿!!」

呼び止める必死の声音に振り向くことなく、泰明は深い森へと飛び込んだ。

「迷いの森」へ。

 

 

「橘将軍!」

半分の成功を収めた奇襲勢が撤退する中、追い縋るように友雅の馬に近付いてきた青年が悔しげな口調で問う。

「あのとき何故、退いたのですか?!

貴方があそこで退かなければ、間違いなく月天将を仕留めることが出来ていたのに!」

「………」

どうやらこの青年は、先程の月天将との攻防を見ていたものらしい。

しかし、友雅は応えなかった。

…応えられなかった。

 

脳裏に蘇るのは、目前で拡がった翠色の髪。

驚きに見開かれた色違いの…瞳。

このような場にあっても、その瞳は哀しいまでに澄んでいて……

 

言葉にならない衝撃に混乱する頭の片隅で、やはり、という思いもあった。

 

…何を叩き壊してでも欲しいと思っていた月の君。

月天将は彼を得る為の弊害となる存在の筈だった。

しかし、彼こそが……

 

乱れた心地のまま、友雅はただ、馬の手綱を引き絞った。

「橘将軍?」

友雅よりも二馬身ほど先で、慌てて自分の馬を止めた青年が、戻ってくる。

彼の馬が間近にやってくる手前で、友雅は唐突に言い放った。

「…君は手勢を率いて先に陣に戻っていてくれ」

「え?」

言うなり、馬首を返す友雅を青年が慌てて呼び止める。

「そんな!軍への報告はどうするのです?!」

「悪いが、君がやってくれ。奇襲は失敗したとでも何とでも。私は……行かなければならないところがある」

放り捨てるように言って、相手の返事を待たずに走り出す。

 

彼はあの泉で待っている。

 

それは、理由の知れぬ確信だ。

 

だが、彼と会って自分はどうするというのか。

 

…分からない。

 

ただ、行かなければならない。

彼と会わなければ…

 

自分でも抑えようのない衝動に突き動かされるように友雅は走る。

 

「迷いの森」へ向かって。

 


あ〜あ、バレちゃったよ……(汗)
ショックに身も心も翻弄されたまま、ふたりは衝動的に「迷いの森」の泉へと向かいます。
正体を知られたやっすんは、また、彼の正体を知った友雅氏はどうするのか?!
次回、クライマックスです!!
予定ではあと二話で終わる筈なんですが…今回、予定していたところまで書けなかったので、微妙です(汗)。
今回は友雅氏の衝撃の台詞で終わらせたかったのになあ…ちっ。←何を言わせる気だ!!
まあ、それも次回に!
しかし、永泉、あんなに献身的にやっすんを気遣っているのに報われてないねえ…(笑)
そんな彼にも見せ場はまだあります!!(見せ場はいらない?/苦笑)


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