Blue 〜ray〜
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「美しい奥方様でいらっしゃいますね」
簡単な武器検査をした花園(ハナゾノ)家の使用人が、傍らに寄り添う貴婦人を見て、
思わずといったようにそう「鷹司(タカツカサ)子爵」に話し掛ける。
子爵は優雅な笑みを口元に浮かべて応える。
「有難う。私の何よりも大切な自慢の宝石ですよ」
無言で軽く会釈する夫人の手を捧げ持つように優しく引きながら、子爵は会場内へと入っていく。
そんな美しく仲睦まじい夫妻の姿を、会場入口に待機した使用人たちは、微笑ましげに見送った。
これで、会場入りは無事に果たした。
会場時間よりもやや遅れて入場した為、既に広間には多くの貴族たちが集まっていた。
そこでは幾つかの小規模な人の輪が築かれ、室内楽の演奏を背景に、
それぞれが皆、思い思いの衣裳と仮面を纏って歓談し、笑いさざめいている。
新たに入場した客の姿を、興味深げに眺めている者もいる。
「大丈夫かい?」
仮面で目元を隠し、癖のある髪を首の後ろで珍しくきっちりと結んだ鷹司子爵こと友雅が傍らの妻に囁き掛ける。
同じく仮面で目元を隠しながらも、その美しさまでは隠し切れない鷹司子爵夫人こと泰明が大丈夫だと頷きを返す。
「あまり無理はしないで、辛くなったら言いなさい」
「これしきのこと、どうということもない」
着慣れない窮屈な衣裳の泰明を気遣った友雅の言葉は、にべもなく撥ね付けられた。
仮面の奥の澄んだ瞳が、あまり甘やかすなと言っている。
友雅が思わず苦笑すると、
「流石のあなたも、奥方の前では形無しですね」
ゆっくりと近付いてきた鷹通が微笑んだ。
「これは…まずいところを見られてしまったな」
「お久し振りです、鷹司殿」
友雅の扮する鷹司子爵は、鷹通の遠縁ということになっている。
ふたりは、万が一、他の者に聞かれても支障のない挨拶を交わした。
積もる話でもしようというように、三人はごく自然に、ひとの居ないバルコニーへと向かう。
それを見ても、不自然と思う者は誰もいなかった。
バルコニーへ出た鷹通が、静かな緊張感に満ちた声で言う。
「先ほど御門がいらっしゃいました。今回はお忍びとのことなので、広間での御門の披露とご挨拶はありません。
すぐに、広間を見渡せる上階のお部屋に移動なさり、
今は招待主の花園侯爵と主賓である貴族の挨拶をお受けになっておられます。
取材の時間はその後に設けられ、招かれた記者全員が御門のおられる部屋へ集められる予定です。
そのときに、友雅殿も私と一緒にいらしてください」
「分かった。宜しく頼むよ」
友雅の返事に頷き、鷹通は泰明を見る。
泰明は会場の様子を見て、その後の行動を決める手筈になっていた。
「泰明殿はどうなさいますか?今のところ、軍が監視に来たという情報もありませんし、我々と共に参りましょうか」
泰明は少し考えてから、首を振る。
「おや、君が傍にいてくれないとは寂しいね」
「今は大丈夫でも、お前たちの取材中に軍がやってこないとも限らない。
頼久と天真が会場の内外を見張ってくれているとはいえ、気は抜けないだろう。
それに…もう少し会場内の様子を見てみたいのだ。
ここで交わされる会話の中から、何か私たちにとって有益な情報が得られるかもしれない」
その言葉から、今この場に最も相応しいことを己の出来うる限りで為そうとする泰明の気概が感じ取れた。
密かに会場中の注目を浴びている泰明を残していくのは気が進まなかったが、
このように頼もしくも健気な姿を見せられては、友雅も鷹通も異を唱えることなど出来ない。
幸い…と言っていいものか、泰明はその美しさに見合うだけの近寄り難い雰囲気も漂わせているので、
軽々しく声を掛けられる男はいないだろうが。
「…分かりました。会場内には天真殿がおられますが、どうかお気を付けて」
「必ず何らかの成果を得て戻ってくるよ」
そのとき、広間奥の扉から出てきた使用人が、ゆったりとした調子で、取材記者の名を呼ぶ。
取材の時間が来たらしい。
鷹通の名も呼ばれ、三人はバルコニーから再び広間へと戻る。
途中で立ち止まった泰明に、鷹通は微笑み掛け、友雅は優しく泰明の華奢な肩を抱き寄せてから、離れていく。
彼らが他に呼ばれた数人の記者と共に、扉の向こうへと消えるのを見送った泰明は、あまり目立たぬよう壁際に移動した。
広間を見渡すと、向かい側の窓際近くに、警備の制服を纏った天真がいた。
泰明が気付くよりも早く、天真は遠くの壁際に佇んだ泰明に気付いていたらしい、さり気なく手を上げて見せた。
小さな仕種に元気付けられたような気がして、泰明はそっと微笑む。
そうして、気を取り直した泰明は、周囲の様子に注意を巡らし始めた。
舞踏会に招かれた記者は少数だった為、取材はひとりずつ御門の前へと呼ばれ、質疑応答する形で行われた。
とはいえ、質問の内容は当たり障りのないものばかりだ。
趣味のこと、家族のこと、招待主である花園侯爵との関係、
少し突っ込んだところでは、最近付き合いがあるという噂のさる貴族のご令嬢についてなど。
それらの質問に、御門も知的な美貌に笑みを浮かべながら、気さくに、当たり障り無く応えていた。
そうして、最後に彼の前に出てきて仮面を外した記者は、見覚えのある者だった。
「そなたは…藤原家の鷹通だったな」
「お久し振りです」
丁寧に鷹通が腰を折る。
「貴族の出身でジャーナリストになった者がいたと噂では聞いていたが…そうか、そなたのことだったか」
「はい」
頷いた鷹通は、にこやかに御門を見返す。
「実は御門、本日は懐かしい者を連れてきております」
言って、鷹通が背後を見遣ると、それに応えてすい、と前へ出てきた青年があった。
「私の遠縁に当たる鷹司子爵です。憶えておられますか?」
「鷹司子爵…?はて…」
名前は知っているが、会ったことなどあっただろうか?
御門は鷹通の傍らに佇む青年を見詰めながら、記憶の糸を手繰る。
しかし、思い出せない。
本当に、自分はこの青年と会ったことがあるのだろうか?
戸惑う御門を他所に、目の前の鷹通は、確信に満ちた表情で御門を見詰めている。
鷹通が嘘を吐く理由は無い筈だ。
そこで、御門は鷹司子爵だという青年の素顔を見れば、会ったことを思い出せるかもしれないと考えた。
「すまないが、鷹司子爵、その仮面を…」
言い掛けたところを遮るように、カツンと小さなものが床に落ちる音がした。
ころころと転がり、御門の足元で止まったそれは、鷹通が胸元に付けていた記者の徽章だった。
「失礼…!」
慌てたように鷹通が徽章を拾おうと、更に前に進み出る。
「お待ちを…あ!」
椅子に座った御門の背後に控えていた側近が留める間もなく、鷹通は御門のすぐ傍に屈み込んだ。
そのとき、
「お話があります」
殆ど聞こえないほどの声音で囁かれた言葉に、御門は整った眉を僅かに顰める。
そんな彼と視線を合わせぬまま、鷹通は素早く言葉を紡ぐ。
「もし、貴方様がこの国の現状を少しでも憂えておられるなら…短い時間で構いません、是非三人だけでお話を」
「……」
御門の黒い瞳に考え深げな光が宿る。
そうして、御門は視線を鷹通から正面に佇む青年へと移す。
仮面の奥に潜む眼差しの強さを感じた。
時間にすれば一瞬の出来事だった。
「御前で大変失礼致しました」
徽章を拾った鷹通が、後じさりながら立ち上がり、深く腰を折る。
気にせずとも良いと鷹揚に御門が応えるのに、大したことにならずに済んだと、
側近を始めその場にいた者らは皆安堵の表情を浮かべた。
すると、ふいに、御門が声の調子を変えて、
「…おお、思い出したぞ。鷹司子爵か…真に懐かしい……」
そう言いながら、鷹通の傍らの青年を見遣った。
青年は優雅な笑みを口元に浮かべて、礼をする。
「そう、あの件はどうなった?実はあれからずっと気になっていてな……」
気さくに語り掛けながら、御門は片手を挙げ、人払いの仕種をした。
「御門…」
難色を示す側近に、御門は微笑む。
「懐かしい知人なのだ。確かめたい話もある。しかし、それは子爵と私、あとは鷹通のみが知るごく個人的な話なのだ。
余人に聞かせたい話ではない。案ずるな。すぐに…五分ほどで終わる。
花園侯爵も…そなたの邸で勝手をすることになるが、どうか暫しの間、許して欲しい」
御門にそうまで言われては、側近も花園侯爵も承知せざるを得ない。
「承知いたしました」
「…では、五分だけ」
そう言葉を残し、御門の側近と侯爵は、記者と使用人を率いて部屋を出て行った。
後に残されたのは、御門と鷹通、そして友雅の三人のみである。
「…さて、鷹通。このようにそなたの望む場を設けた」
「有難う御座います」
「そなたの度胸に免じて、話は聞くだけ聞こう。時間があまり無い故、手短にな」
言って御門が肘掛に置いていた両手を動かし、脚の上で組んだ。
自分の役目の一つを成し遂げた鷹通が、そっと安堵の息を吐く。
しかし、その表情から緊張は抜けていない。
「察するに、話があるのは、そなたの隣にいる「鷹司子爵」のようだが…」
「仰るとおりです」
御門の指摘に頷いた鷹通が、後は任せるというように、友雅を見遣り、身を引く。
応えて、友雅が御門の前へと進み出た。
そこで、初めて仮面を外す。
「橘友雅と申します。以後お見知りおきを」
きっぱりと名乗り、友雅は御門に向かって、再び優雅に微笑んだ。
会場へと入る友雅と泰明の姿を見送って、三十分は経つ。
今頃、彼らはどうしていることだろう。
まだ、鷹通が御門との面談のときを見計らっている頃だろうか。
それとも、既に友雅が御門と面談をしている最中なのだろうか。
…友雅の傍らに、泰明はいるのだろうか、それとも……
飾り付きの鉄柵に囲まれた花園侯爵の邸宅の周りを巡回しながら、頼久は取り留めの無い思いを巡らす。
そうしながら、為すべきことをしおおせた彼らが無事に、出てくることを願う。
それまで何事も起こらなければいい。
しかし、その願いは叶わなかった。
数台の車の音。
目前を通り過ぎた車の見覚えのある形に、頼久ははっと息を呑む。
同時に、懐の通信機に、同じく外を見張る仲間からの通信が入った。
電子的な音の羅列は、今、通り過ぎた車が正面玄関に止まったことを伝えていた。
一台のみが玄関の中へと入り、後は玄関前に待機する形だという。
そのまま待機する車を見張るよう、仲間に通信を送った後、
頼久は傍らの鉄柵を乗り越えて、花園邸宅の敷地内へと入った。
小さな森を為す木々の枝のところどころに灯された常夜灯が朧に照らす前庭を素早く駆けながら、
会場内にいる天真へ通信を送る。
『軍が来た』
舞踏会本番(?)篇その1でした。 うう…書きたいシーンまで辿り着けませんでした(汗)。 やっすんもあんまり書いてあげられなかったし。←個人的にツライ(苦笑)。 この六話の別称は「鷹通頑張るの巻」(笑)でしょうか。 次は友雅氏が頑張ります。 しかし、会場に軍がやって来てピンチ到来。 果たして、友雅氏は御門を口説くことが出来るのか? 会場にいるやっすんは?そして天真は?頼久は? …とまあ、次回はそんな緊迫した感じになる予定です。 満を持して…というか焦らしに焦らす形となって(苦笑)あのひとも登場します。 乞うご期待!!…と言えるものになるよう頑張ります(笑)。 top back