Blue 〜ray

 

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 ひとまず、友雅は宿に戻ることになった。

「頼久と天真に事情を説明して連れてくるよ。彼らはレジスタンスの主要なメンバーだからね。

一度はきちんと君に紹介したいし、できれば舞踏会への潜入及び脱出時に、彼らの力も借りたい」

 良いかな、と鷹通に確認すると、彼は考え深げに頷いた。

「…そうですね。舞踏会への潜入と脱出は最初と最後の重要な難関ですからね。

潜入が為されなければ、肝心の御門(ミカド)との対面は実現せず、脱出が為されなければ、話し合いが成功しても意味がない。

宜しければ、今日明日と、彼らも含めてあなた方をこの屋敷にお泊めします」

「私たちとしては願ってもない申し出だけれど…いいのかい?」

「ええ。自慢ではありませんが、当屋敷のセキュリティは万全です。軍の監視電波など受け付けませんよ。

それに、舞踏会までの日にちがありません。

この件に関わるメンバーがひとつところにいたほうが、今後の計画も立てやすいでしょう」

「有難う。助かるよ」

 言って、友雅が立ち上がったのを合図として、鷹通と泰明も席を立つ。

「泰明。すぐ戻ってくるから、君はここで待っていておくれ」

「…分かった」

 友雅と一緒に行動するつもりだった泰明は、その言葉に一瞬目を丸くするが、素直に頷いた。

 そんな健気な恋人の細い肩を抱いて、友雅は鷹通に向き直る。

「君のことだから、私の言葉を信じてくれているだろうとは思うが…

私がこの賭けから決して逃げ出さないという誓いと、君への信頼の証に、泰明を君に預けていくよ。

ほんの短い間だ、証にもならないかもしれないが」

 言って僅かに苦笑した友雅に、鷹通は首を振る。

 先ほどからの短いやり取りだけでも、どれだけ友雅が泰明を大切に想っているかが分かる。

 本当ならば、彼は泰明を片時も傍から離したくない筈だ。

「いいえ。友雅殿の大切なお方です。責任を持ってお預かりいたしますよ」

「有難う。よろしく頼むよ」

 真摯な鷹通の応えに、友雅は僅かに安堵した表情を見せた。

 

 

 友雅が出て行くと、泰明は少し寂しそうな顔をする。

 一部の隙もないほど整った顔立ちに、幼子のようなあどけなさが滲んだ。

 その表情の変化に内心驚き、また、微笑ましく思いながら、鷹通は泰明に話し掛ける。

「泰明殿。立ったままではお疲れでしょう。どうぞお座りください。ああ、この書斎では狭くて、落ち着けないでしょうか。

宜しければここよりも広い応接間にご案内いたしますが…」

 鷹通の申し出に、泰明は首を振って、すとんと再び椅子に腰を下ろす。

「気遣いは不要だ。私はここでいい。それよりも、鷹通は他に色々とやることがあるだろう。そちらを優先してくれ」

「やることは、それほど多くはないのですがね…」

改めて書斎の様子を興味深げに眺め始める泰明の様子に微笑みつつ、

鷹通は執事を呼び出して、客間の支度を始め、諸々のことを言い付ける。

 一通り指図を終えたところで振り向くと、いつの間にか泰明が、机の上に乗り出すようにして、

正面の書棚に並べられた書物の背表紙に見入っていた。

 そんな泰明に思わず笑ってしまいながら、鷹通は言う。

「書物にご興味がおありなら、どうぞ自由に御覧ください」

「良いのか」

 鷹通を見上げる翡翠と琥珀の瞳が、好奇心に煌いている。

「もちろん」

 主人の快諾を得て、泰明は立ち上がり、いそいそと書棚に近付いた。

 

 泰明は学術、美術など分野に拘らず、どんな書物にも興味を示した。

「この書物は…」

「それは、古代東洋の思想家の言行を纏めたと伝えられる書物ですね」

「あちらの書棚にあるのは?」

「科学分野に類する書物を収めています」

 泰明の傍らで彼が手に取る書物に簡単な説明を加えたり、質問に応えたりしながら、

鷹通は書物の頁を繰る泰明を眺める。

 瞳を輝かせながら、本に見入る泰明の無邪気な姿を可愛らしいと思った。

(印象よりも随分と背が高いのだな…)

 自分とそれほど変わらない。

 しかし、その身体つきは、ゆったりとしたシャツの上からでも分かるほどほっそりしていて、

恐らく自分より一回りは細いだろうと思われた。

 指先の整った白く綺麗な手が、持っていた書物をもとあった書棚に戻し、次なる本の背表紙を辿る。

翡翠色の長い睫毛を伏せて、開いた書物に目を落とす。

 次々と立ち現れるこの美しいひとの様々な側面に見惚れながら、

鷹通は自分の口元に自然な笑みが浮かんでいることに気が付いた

 胸には穏やかで心地よい…それでいて、心が浮き立つような嬉しさがある。

 今まで、誰に対しても、このような不思議な気持ちを抱いたことはなかった。

「鷹通はたくさんの書物を持っているのだな」

 白い頬を薄紅に上気させて、泰明が嬉しそうに傍らの鷹通を見る。

 その様子をまた、可愛らしいと感じながら、鷹通は笑顔で頷く。

「ええ。現在は収容するデータが多く、所蔵するのにも場所をとらない電子書籍が一般的ですが…

私はこうして、本の重みを感じながら、一枚一枚頁を繰る方が好きなのです」

 お蔭で、ひとつのパソコンに収められる電子書籍よりも、

所蔵や保存に余計な手間が掛かるが、その手間もまた楽しいのだと鷹通が少し肩を竦めて微笑むのに、泰明は頷く。

「分かるような気がする。私もパソコンで画面を開いていくよりも、こうして頁を繰る方が楽しいと思う」

「そうですか!あなたに共感していただけるとは嬉しいです」

 思わず明るい声音でやや勢い込んで言った鷹通を、泰明は目を丸くして見詰める。

「あ…」

 我に返った鷹通と暫し見詰め合う。

 そうして、どちらからともなく笑みを零す。

軽い声を立てて笑い合った後、ふと泰明は真面目な表情に戻り、意外なことを口にした。

「友雅が私をここに残していったのは、こうして私が鷹通と接する時間を作ってくれる為でもあったのだと思う。

私は…人付き合いが上手くできないから」

「そのようなことはないでしょう。少なくとも私には、あなたは付き合いやすい方だと思えますよ」

 率直で、虚飾のない。

 驚いてそう言うと、泰明は首を振った。

「鷹通が私のことをそう思ってくれるのは、鷹通が優しいからだ。…先ほど話し合った御門との面談の件もそうだ。

友雅が受け持つ御門への説得も無論難しいことだろう。

しかし、お前がやると言った御門との面談の場を設けることも、面談そのものと同じくらい難しいことなのではないか?」

「……」

「それを敢えて自分からやるとお前は言った。その難しさを唱えることなく。有難う、鷹通。

私も友雅が言うように、お前が私たちの仲間になってくれたら嬉しい」

 泰明が自分に向けてくれる無垢なほどの笑顔に、鷹通は戸惑う。

「…どうか、そんな礼の言葉は仰らないでください。私はあなた方の為ではなく…

自分の為にこの提案をしたのかもしれないのですから。他ならぬ自分を試す為に」

 泰明はそんな鷹通の否定の言葉にも頷いた。

「それならばそれで良いと思う。お前が自分の為にした提案は私たちの為にもなることだった。

だから、私はお前に礼を言いたかった。それだけだ」

 そう言って、少し華奢な首を傾げる。

「鷹通には迷惑だっただろうか?」

「いいえ。そのようなことはありません」

 やや不安げな調子で泰明が問うてくるのに、慌てて首を振り、鷹通は微笑んだ。

 それに安堵したように微笑み返した泰明は、再び手にした書物に目を落とす。

 

 友雅が彼を大切に想う理由が分かる。

 そして…

この健気なほどの素直さで、彼もまた、友雅を慕っているのだろう。

 

 胸の片隅に僅かに刺すような痛みを感じる。

「あ」

 それには気付かぬ振りで、泰明が上げた小さな声に、鷹通は問い掛ける。

「どうしましたか?」

「これはどんな書物だ?」

 泰明は身長よりもやや高い書棚に並べられた大判の本を指し示す。

 青い背表紙。

 ところどころに白が浮かぶその青は……

「ああ、これは写真集ですね。随分と昔の風景、特に空の情景を撮った写真が中心に収められたものだったと思います。

この表紙カバーも空を写したものなのですよ」

「これが空の青…」

 泰明の澄んだ瞳に夢見るような光が宿る。

 引き寄せられるようにその写真集を取り出そうとするが、意外な重さに取り落としそうになるのを、

慌てて鷹通が手を添えた。

 鷹通の手が泰明の白い手に触れる。

 その滑らかな優しい感触。

 

 鼓動が一つ大きく鳴った。

 

「有難う、鷹通」

 間近で泰明が淡く微笑む。

「…いいえ」

 いつもよりも速い自分の鼓動を否応なしに自覚しながら、鷹通は泰明に微笑み返す。

「手元で広げるにはこの本は大き過ぎますね。机に置いて御覧になってはいかがでしょう」

「そうする」

 鷹通の提案に素直に頷いて、写真集を大事に抱えた泰明は、書棚から離れた。

 そうして、机の上に写真集を広げて、様々な表情を見せる空に見入る。

「話でしか聞いたことがなかったが、空の青はこのような色だったのだな…この浮かんでいる白いものが雲か?」

「そうですね。今では想像もできませんが、昔の空はこれほどまでに美しかったのですね…」

 幼い頃、初めてこの写真集を見たときの感動を鷹通は思い出す。

 正義感に燃えながら、思うようにならない現状に苛立ちと焦りばかりを感じる日々の中で、

そんな幼い日の些細な、しかし、大切な感動を忘れていた。

 

 泰明が思い出させてくれたのだ。

 

 彼の示す表情、仕種のひとつひとつから目が離せない。

 …騒がしく鳴る胸の鼓動が止まないのだ。

 

 ゆっくりと頁を捲りながら写真を眺めていた泰明の手がある頁で止まる。

 見開きで大きく載せられていたのは、青い空と輝く海の写真だった。

「…美しいな。この光景を実際にこの目で見てみたかった…」

 きっと、その光景は写真で見る以上に、美しかっただろう。

 独り言のように泰明が呟く。

 その声音にも滲む夢見るような響き。

 

 ふと、こみ上げる思いに鷹通は、鼓動早まる胸を塞がれる。

 

いつか、泰明に本物の青い空と海を見せることが出来たら。

 

そんな願いに似た思いが鷹通の胸に宿った。


to be continued
こうして、鷹通もやっすんの虜になりました(笑)。 やっすんとふたりきりでじっくり(…でもないか?)話せる時間を持てた為か、 鷹通は奇しくも友雅氏と似た願いに辿り着いたようです。 鷹通のほうが、まだ曖昧な感じでしょうか。 そして、毎度お馴染みのやっすん賛歌(笑)。 できるだけ似たような表現を避けるのがポイントです♪ 上手くいっているかどうかは謎ですが(苦笑)、楽しかったので良しとしよう!(自己完結かよ/汗) 次回は、頼久と天真が加わって、舞踏会の準備篇と相成ります(舞踏会本番の話はもう少し先の方向で/苦笑)。 よりやす及び、てんやすっぽいシーンも書きたいなあと無謀なことを目論んでおります♪(笑) top back