Blue 〜knot

 

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 三階建ての小さなアパートメント。

 その最上階の突き当りが、瀬里沢の住居だという。

 粗末な扉を幾度かノックしてみるが、応える気配は無い。

「留守かな。ならば、帰宅を待つしかないが…」

「扉にネームプレートがありませんね」

「ああ。必ずしも付ける必要があるものではないが、留守なのではなく、引っ越してしまった可能性も考えられるな」

「アパートの他の住人に確認いたしましょうか?」

「そうだね」

 明らかに余所者の自分たちの話を、この界隈の住人がまともに聞いてくれるかどうかは分からないが。

 早速、頼久が足を踏み出そうとしたそのとき。

「あんたたち、その部屋に何か用があるのか?」

 不意に、ぶっきらぼうな少年の声が掛けられた。

 見ると、階段脇の廊下に、このアパートの住人だろうか、十五六歳ほどの少年が腕を組んで、こちらを怪訝そうに見詰めている。

 ちょうど良いと、友雅は穏やかな声でその少年に問う。

「ああ。訪ねたい人がこの部屋に住んでいると聞いたものだから。

ところで、知っていたら教えて欲しいのだが、こちらは、瀬里沢信氏の住居で今も間違いないかな?」

 すると、少年は気の強そうな紅い瞳を僅かに細め、剣呑な表情で問い返した。

「もしかして、あんたら、軍か?」

「とんでもない。私たちは瀬里沢氏の助力を求めにやって来た者ではあるけれど、軍ではないよ」

少年は、正体を見極めるように、友雅の碧い目を睨む。

その眼差しを、友雅は逸らさずに見返して、にっこりと微笑んだ。

やがて、少年は溜め息を吐き、硬そうな紅い髪を片手でくしゃくしゃと掻き混ぜながら、口を開いた。

「その部屋には確かに瀬里沢が住んでた。でも、今は無人だぜ。ついこの前引っ越したんだ」

「何処へ越したかは聞いているかい?」

「……情報都市を出たすぐ近くに小さな街があるだろ?中央広場付近に結構立派な礼拝堂がある…」

渋々といった様子の少年の応えに、友雅と頼久は素早く目を見交わす。

「俺の知ってんのはそれだけだ。その街の何処かまでは聞いてねえ」

「有難う、その情報だけで充分だよ」

 言い捨てて、ぷいとそっぽを向く少年に礼を言って、友雅と頼久はアパートを後にした。

「瀬里沢氏の引越し先が、ちょうど今、泰明と天真が訪ねている街だとはね…これは偶然か、必然か…」

「ふたりに連絡を取ってみますか?」

「そうだね…おっと」

 携帯端末を取り出したところで、それが震え、メッセージの着信を知らせた。

「やはり、これは必然かな…泰明からだよ」

 通信機能を起動させて、暗号化された電子音によるメッセージに友雅と頼久は耳を傾ける。

 間もなく、ふたりの表情が厳しく引き締まった。

「行こう」

 短い返信を済ませてから、友雅は早足で歩き出す。

「本部にも応援を頼みますか?」

 遅れず従う頼久の問いに、友雅は再び、端末を操作しながら応える。

「現場での状況次第だな。取り敢えず、出る準備だけはしておいて貰おう。だが、なるべくなら、私と頼久の応援だけで切り抜けたい」

 こちらが大きな動きをすれば、それだけ軍にレジスタンスの存在を悟られ易くなる。

 まだ、組織としての地盤が固まっていないこの時期に、そのような状況になるのは避けたい。

 泰明もそれを考えて、まず、友雅に通信をしてきたのだろう。

 頼久もまた、すぐさま友雅の意図を悟り、頷いた。

「承知しました」

 曲がりくねった道を抜けたふたりは、大通りの脇に止めてあった車に乗り込み、すぐに出発した。

 

 

「ん?あいつは確か…」

 通りを挟んだ向こう側を歩く人影に、さり気なく身を隠した天真は、

目の前を通り過ぎる青年の顔に、見覚えがあるような気がして目を凝らした。

 濃い眉に鋭い眼差し。

 平凡だが、意志の強そうな顔立ち。

 程なく、その答えは得られる。

 出掛ける前の会議で話題に出た瀬里沢というジャーナリストではないか。

「…ということは、今日、友雅と頼久の奴は空振りか」

 ひとりごちて、天真は瀬里沢の跡を追い始める。

 まずは、この青年が何処へ行くのか確かめようと思ったのだ。

瀬里沢は時折通りを過ぎる軍服の一行を上手く避けながら、歩いていく。

 その後を、瀬里沢と軍の両方に気付かれぬよう距離を置いて、天真が続く。

 やがて、瀬里沢は、小さなアパートらしき建物の前で立ち止まった。

 彼がそこに入っていくのを、天真は身を隠していた路地から確認する。

「もしかして、今はここに住んでるのか?あいつ…」

 自らもそのアパートへ向かうべく、路地を出ようとした天真は、ふと思い出して、携帯端末を取り出す。

 せめて、今一番近くにいる泰明にだけでも、瀬里沢の件を伝えようと、通信機能を起ち上げる。

 しかし、メッセージを打つ最中、視線の先をふと過ぎったものに、天真は気を引かれて目を上げる。

 ほっそりとした少女だ。

 雪の名残の為に、多くの者が外出を控える今、たったひとりで少女が街を出歩くなど不自然極まりない。

 しかし、その姿を目にした瞬間、天真は何も考えられなくなってしまった。

 端末を操作していた手も止まり、だらりと下がる。

 頭は全く働いていなかったが、天真の瞳は、必死に少女の姿を凝視していた。

まず目に入ったのは、翻る淡い色のスカートと長い黒髪。

 少女らしく整った顔立ちの中で際立つ、やや吊り上がり気味の茶色い瞳は、天真に良く似通っていた。

 少女は淡々とした足取りで、瀬里沢が入ったアパートへと入っていく。

 そこで、一時の硬直状態から立ち直った天真は、今度は血相を変えて、路地を飛び出した。

 アパートの入口へ駆けていく天真の片手に握られたままの端末は、途中まで打ったメッセージを自動送信して、沈黙した。

 そして、天真の姿がアパートの入口に消えて程なく。

 

 ひとつの銃声が響き渡った。

 

 

 隣を歩いていた詩紋が、不意に立ち止まった。

「あれ?どうしたんだろう…?」

「どうした…ッ!」

 不安を滲ませる声に、詩紋の視線の先を見遣った泰明は、小さく息を呑む。

 小さな通りをはさんだ向こう側にある小さな店が、詩紋が世話になっているパン屋なのだろう。

 その入口で、店主らしき初老の男と、その男に向かい合うようにして立つ三人の男たちが言葉を交わしている。

 ここからでは背中しか見えないが、三人の男たちは皆、背が高く、揃いの黒服を身に付けていた。

 軍だ。

 壁のように立ちはだかる黒い背中の間から、店主が困り顔で首を振っているのが見える。

 しかし、男たちが立ち去る気配は無い。

「待て」

 慌ててそちらへ向かって駆け出そうとする詩紋の腕を、泰明は掴んで止めた。

 そうして、その腕を掴んだまま、詩紋が抵抗する隙を与えずに、傍の路地へと身を隠した。

「っ…泰明さん?」

「騒ぐな。あの男たちの目当ては、恐らくお前だ」

「僕?」

「そうだ。聞くところによると、軍は今、新たな部隊編成の為に、特殊能力を持った少年少女たちを集めているらしい。

しかも、拉致同然の強制的な連行だ」

 詩紋のまだ頼りなく細い肩がびくりと震える。

「本当ですか?でも…どうして、泰明さんがそんなことを知っているんですか?貴方はいったい…?」

「それは今すべき話ではない。私の聞いた話も事実だとは限らない。故に、今はまず、それを確かめるのが先だ」

「確かめるって?こんなに離れていたら、話を聞くことも出来ないよ」

 店主の身を案じるあまり、不満気な口調になる詩紋の問いには応えずに、泰明は懐から携帯端末を取り出す。

 端の細いアンテナを伸ばし、その先に付いていた小さなキャップのようなものを取る。

 そうして、ごくごく小さな小石のようなそれを、店の入口に向かって投げた。

 石よりも軽いそれは、音もなく転がり、軍服の男たちの足元で止まる。

 やがて、泰明の手にした端末から、雑音混じりの話し声が聞こえ始めた。

更に、端末を操作して、雑音の除去と音量調節をすると、はっきりと会話が聞き取れるようになる。

 詩紋が驚きに目を丸くする。

「おじさんの声…!」

 泰明が投げたのは、鷹通が中心となって開発した極小型の音声収集器だった。

「これであの者たちの会話を聞くことが出来る」

 まず、聞こえてきたのは、店主の声だ。

『そのようなことを言われましても…先ほども申し上げたとおり、そちら様が仰るような子供はこちらにはおりません』

『隠し事はいけませんな、御主人。

我々は、周囲の家々からも、特殊能力を持った少年がいると、確かな聞き込みをして、こちらに伺っているのです』

『また、その少年は外見も特徴的だと聞いています。金髪碧眼の十三、四の年頃の少年だそうですね』

『我々は貴方がその少年と暮らしていると聞いたのですが、違いますか?』

 次々に店主に問う軍人たちの声は、高低に多少の差はあるものの、皆一様に淡々として冷たかった。

彼らの目的が自分であるということを否応なく知らされた詩紋は、白い頬を一層白くして、身を固くする。

 軍人たちの問いに戸惑いを隠さぬ店主の声が返る。

『確かに、私は仰っているような子と一緒に暮らしてはおりますが…あの子はそちら様のお役に立つような能力など持っておりませんよ。

ですので…どうかもう、お引取り願えませんかねえ?』

『…埒が明きませんな』

 店主の応えに、そう呟いた男の声音が冷ややかさを増す。

「…!」

 それまで黙って彼らの会話に耳を傾けていた泰明が、不意に顔色を変え、細い腰に下げていた拳銃を手に取った。

「え?泰明さ…」

「お前はここにいろ」

 そう詩紋に言い捨てて、泰明が路地から飛び出したその瞬間、パンと鋭い音がした。

 気配に振り向いた男たちが、泰明に向かって銃を構える。

 その後ろで、店主の身体がゆっくりと崩れていくのを詩紋は見た。

「…ッおじさ…!!」

「お前は出てくるな!」

 路地から飛び出そうとする詩紋を叱咤し、泰明は駆け出しながら、銃の引き金を引く。

 敵が素早く動く泰明に照準を合わせるのに手間取っている隙に、泰明の銃弾は次々と男たちの急所を撃ち抜いた。

 そうして、泰明は倒れた店主に駆け寄り、弛緩した身体を抱き起こす。

 息はある。

 銃弾も急所を外れている。

 しかし…傷が深い。

 泰明は柳眉を顰め、注意深く店主の身体を肩に担ぎ上げて、詩紋を待たせた路地に戻る。

「おじさん!!」

 詩紋が悲鳴のような声を上げて、駆け寄ってくる。

「落ち着け。まだ、息はある」

 手早く応急処置をしながら、泰明は動揺する詩紋に、目で合図する。

 我に返った詩紋は慌てて、その場に腰を下ろしながら、泰明の腕から店主の身体を預かる。

 そうして、布で覆われた傷を覆うように手を翳した。

 布に血が滲んでいくのが、徐々に抑えられていく。

 しかし、速度は遅くなったものの、出血は止まらない。

「どうだ?」

 泰明が問うと、詩紋は青褪めた顔で心許無げに首を振った。

「分からないんです、ここまでの傷を治すなんて初めてで……時間を掛ければ出来ると思いますけど、でも…」

 そこまで店主の体力が持たないだろう事は、目に見えて明らかだ。

泰明は厳しい表情で、思案を巡らす。

 消音器で抑えたものの、少なくとも隣り合う左右二、三軒の家々や通り全体に、先ほど放った銃声は、響き渡ったことだろう。

 その音を聞きつけた近所の者が顔を出すだけならまだしも、敵が応援に駆け付けるようなことになると、流石に己だけでは手が余る。

 怪我人の手当ても、一刻も早くしなければならないだろう。

 そこで、仲間に応援を頼むことに決めた泰明が、携帯端末を取り出すと、ちょうど通信機能がメッセージの受信を知らせてくる。

「天真?」

 彼からのメッセージは、今日友雅と頼久が接触する予定の瀬里沢を偶然見掛けた、というものだった。

 しかし、そのメッセージは不自然なところで途切れている。

 そこで、こちらから天真の端末に幾度か呼び掛けてみるが、応答は無い。

 何か、あったのかもしれない。

 嫌な予感に胸を塞がれながら、泰明は今度は友雅の端末に連絡を取り、応援を依頼する。

 返答はすぐにあり、十分もすれば、この場に駆け付けることが出来るとのことだった。

 小さく息を吐いた泰明は、詩紋に振り返る。

「今、仲間に応援を頼んだ。あと、十分の辛抱だ。そうすれば、適切な手当てを受けられる」

「は、はい。なら、きっと…おじさんは助かりますよね…?」

 明るい声を出そうと努力しながらも、不安を隠せない詩紋の問いに、泰明は必ず助かる、と断言できなかった。

「…あと、十分持ち堪えて欲しい。出来るか?」

 応える代わりに、詩紋の腕の中で、朦朧としてはいるが、意識はあるらしい店主に問い掛ける。

すると、覚束ないながらも、店主は頷きを返してくれた。

これならば、まだ、希望はある。

だが、懸念事項は他にもあった。

「詩紋、すまないが、私はこれから、この街にいる別の仲間の様子を確かめに行きたい。上手く連絡が取れないのだ。

そちらにも…異常事態が起きた可能性がある。少しの間、お前を店主とふたりきりにさせてしまうが…」

「…大丈夫です。行って下さい」

 気掛かりそうに詩紋を窺う泰明に、詩紋は不安な気持ちを呑み込んで、気丈に応えた。

「たった十分でしょう?それくらいなら、大丈夫。おじさんと待ってます」

「頼む。あちらに何も問題がなければ、私もすぐに戻ってくる」

 頷いた詩紋を勇気付けるように微笑み、泰明は細い身体を素早く翻した。

 


to be continued
…いや、色気も何も無くて、申し訳ない。 でも、姫(やっすん)の活躍は書いてて愉しかったり♪(笑) そして、お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、冒頭部分で、次章登場の筈の某キャラが既に登場しておりますね! 永泉のときみたいに、姫に接触するのは次章になるんですがね。 この章に引き続き、次章は天真絡みのエピソードが、かなり絡んでくるので、 喰われないように(?)予め登場させてみたのです(笑)。 急展開な話は次回にも続きます。 また、色気も何も無い話になりそうですけど、宜しくお付き合い下しましたら嬉しいです♪ top back