Blue 〜knot〜
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自分が周りの人と違うことに気付いたのは、何時だったか。
優しかった両親がいなくなり、ひとりになった頃だったと思う。
それまでは、自分が特殊であるなどとは気付きもしなかった。
ひとりになって、幾つもの容赦ない眼差しに晒されて初めて、そのことを思い知らざるを得なくなった。
今までずっと、自分は両親に守られてきたのだ。
今までの自分は、何と無知で、愚かで、そして、幸せだったのだろう。
しかし、そのことを悔い、懐かしむだけでは生きていけない。
ひとりになって、辛い目にもたくさん遭った。
けれど、優しい人たちにも出遭うことが出来た。
人の冷たさに打ちひしがれることが多いだけに、その優しさは胸に沁みた。
こんな自分と、温かい縁を結んでくれた人たちの為に、自分も何かを返したい。
何が返せるだろうか。
考え続けて、ふと気付いた。
自分の持つこの特殊な能力…これを用いることで、優しくしてくれた人々の役に立てないだろうか。
疎まれることの多かった能力だけれど…本来、能力には善も悪もない筈だから。
早朝、人工の木々で造られた森の中に、固い銃声が響く。
森の一角にある小規模な射撃場には、今、ふたりの細い人影があった。
ひとりは、的の前に立ち、硝煙が立ち上る拳銃を構えている少年。
その脇に、もうひとり、一方よりは背の高い、しかし、細さではそれほど変わらない青年が佇んでいる。
まず、ほっそりとした青年の方が、口を開く。
「永泉、腰が引けている」
「えっ…?あっ、はい!!すみません、泰明殿!」
澄んではいるが、淡々と低い声で指摘されて、永泉と呼ばれた少年は慌てて姿勢を正す。
そうしながら、前方を改めて見ると、先ほど自分が撃った銃弾は、的を大きく外していた。
「駄目ですね…」
永泉が思わず溜め息を零すと、泰明が整った細い眉の片方を僅かに上げた。
「駄目だなどと言うな。まだ、始めたばかりだろう。最初から的に当てようと考えるな」
「はい…すみません」
「謝らずとも良い。お前の場合は、とにかく姿勢だ」
身振りで永泉に場所を譲るよう促し、永泉が狙った的の前に立った泰明は、無造作に拳銃を握った右腕を上げる。
真っ直ぐに伸びた背。
背と垂直になるよう真っ直ぐ伸ばされた細くしなやかな腕。
首の後ろで束ねられて、背肩に振り掛かる翡翠色の長い髪が幾筋か、腕の動きに導かれて、ふわりと空に舞う。
その姿が清々しく美しいと永泉が思った刹那。
銃声が弾けた。
我に返った永泉は、慌てて的を見る。
泰明の弾は、見事に的の中心を穿っていた。
その腕前に素直に感嘆すると共に、泰明ほどではなくとも、人並みに銃を扱えるようになるまでに、
自分は一体どれだけ訓練すれば良いのだろうと、永泉は気が遠くなってしまった。
つい弱気の溜め息を吐いてしまうと、ふいに、泰明の言葉が耳に飛び込んできた。
「永泉、無理をしてはいないか」
「えっ…」
永泉がはっと息を呑んで顔を上げると、泰明は怪訝そうに華奢な首を傾げていた。
その幼げな仕種は、片手に物騒な武器を握っているだけに、一層際立つ。
「お前は拳銃の扱い方を覚えたいと言った。それを教えることは構わぬ。だが、お前は無理をしているように私には見えるのだ」
「…いいえ。いいえ、泰明殿。私は無理をしてなど…」
「もしも、お前がレジスタンスの一員として、銃の扱い方を会得しなければならぬと、義務でそう思っているのなら、止めた方が良い。
銃が扱えずとも、お前はお前なりのやり方で、レジスタンスの一員たるに相応しい力を発揮出来る筈だ。それに…」
一旦、言葉を切った泰明は、己が手にした銃を見下ろしてから、柔らかな線を描く唇に、僅かに苦い笑みを浮かべた。
「人を殺める術など、覚えずに済めば、それに超したことはない」
「泰明殿…」
その淡くも哀しげな笑みに、永泉は胸を打たれる。
そうして、自分には想像も付かない泰明の過去へと想いを馳せた。
政治の実権を握り、近隣諸国との戦争を繰り返しながら、民を苦しめ、
国土を穢し続ける軍部を打倒する為に、密かに結成されたレジスタンス。
その一員として、永泉が活動に加わったのは、ごく最近のことだ。
永泉は、泰明がレジスタンスに加わるまでの過去を知らない。
それを知っているだろう友雅や頼久に、訊くことすらしようとしなかった。
大事なのは過去ではなく、今だと思ったから。
しかし、知らずとも、想像できることはある。
泰明は過去に恐らく、選択の余地もなく、覚え込まされたのだ。
人を殺める術を。
それに反して、自分はある程度、選択する自由を持っている。
そんな贅沢な自分を気遣ってくれる泰明の気持ちが、有難く、切ない。
哀しげな笑みを見せられると、胸が痛む。
そして、泰明の過去を知らない自分がもどかしく思えてしまう。
自分がもう少し泰明のことを知っていれば、こんなとき、泰明を癒す言葉を掛けることが出来るかもしれないのに。
…それは、自分の役目ではないかもしれないけれど。
永泉は暫し、押し黙り、やがてきっぱりと顔を上げた。
「いいえ。やはり、教えて下さい。私にとって銃の扱いを覚えることは、人を殺めるだけではなく、人を守る術にも繋がるものですから」
そうして、貴方の抱える重みを少しでも引き受けたい。
独り善がりな一言だけは、胸の内に呑み込んで、永泉は泰明を真っ直ぐ見詰める。
「…分かった」
揺るがない紫の瞳を見詰め返した泰明は、やがて静かに頷いた。
それから、三十分ほど訓練を続け、永泉の銃を構える姿勢が、どうにか様になってきた頃。
他のレジスタンスメンバーが訓練の為に、ぱらぱらと射撃場へやって来た。
「おはよう御座います、安倍殿」
「ああ、おはよう」
「我々も射撃訓練を行いたいのですが、宜しいですか、永泉殿?」
「あ、もちろん、構いません。どうぞ、ご遠慮なく」
次々に言葉を掛けてくるメンバーたちに受け応えていると、
「お、泰明。…それに、永泉じゃねえか。随分と早いな」
「おはよう御座います」
レジスタンスの主要メンバーである天真と頼久がやって来て、泰明と永泉に声を掛けた。
「おはよう、天真、頼久」
「おはよう御座います」
挨拶を返すふたりを交互に眺め、天真は呟いた。
「…ふうん。早朝の誰もいない射撃場で泰明の個人レッスンを受けてた訳だ」
「え…?ええ。私は銃の扱いは全くの素人ですから、銃の扱いに長けた皆様の前で訓練するのはあまりにお恥ずかしくて…」
「へえぇ、ふたりっきりでねえ…」
恐縮しながら応えていた永泉は、そこでやっと、天真の不機嫌な様子に気が付いた。
何か怒らせるようなことを言っただろうか。
「あ…あの、天真殿…?」
「お気になさらないで下さい、永泉様。天真は子供じみた焼きもちを妬いているだけなのです」
「あっ!言ったな、頼久!!」
「焼きもち…?あっ…!す、すみません!」
「?何に焼きもちなのだ?」
冷静な指摘をした頼久に噛み付く天真と、ようやく、天真の不機嫌の理由が分かり、頬を染める永泉。
渦中の人である筈の泰明だけが分かっていない。
掴み掛かってくる天真をあしらいながら、顔を上げて改めて泰明を見た頼久が、ふと、何かに気付いたように口を開く。
「泰明殿…」
が、言葉が続かぬうちに、新たな人物が現れた。
「ああ、ここにおられましたか、泰明殿。皆様もおはよう御座います」
レジスタンスのブレーン役である鷹通だ。
その後からゆったりとした足取りで、このレジスタンスを束ねている友雅もやってくる。
「こんな朝早くから訓練とは、皆真面目だね」
「そう言うお前は、それでもレジスタンスのリーダーか?」
「君たちのお蔭で何とかやっていけているよ」
天真の憎まれ口に、友雅は悪びれない笑顔を返し、他のレジスタンスメンバーの挨拶に、軽く手を上げて応える。
泰明が手にした銃を、腰に下げたホルスターに収めながら、鷹通を見た。
「どうした、鷹通。私の手が必要ならば、すぐに行く。
そう言えば、昨日、ダウンロードした軍の機密情報の暗号解読が難航していたようだが、その件か?」
「いいえ、そうではなく…」
言葉通り、すぐに歩き出しそうな泰明に、鷹通が苦笑する。
「泰明殿、最近、少しお疲れなのではないですか?」
その指摘に、泰明はきょとんとした顔をする。
「…?いや、別段、疲れは感じていないが…」
「そうかな?でも…」
「…っ、友雅?」
不意に脇からふわりと抱き寄せられ、泰明は平行を崩して、友雅の腕の中に倒れ込んでしまう。
そんな泰明の耳元に、友雅は唇を寄せ、気遣う声音で囁く。
「ほら、やっぱり少し痩せている」
「オイコラ、友雅!!どさくさまぎれに、泰明を抱き締めてんじゃねえぞ!」
常の調子で噛み付いた天真もまた、すぐに、真面目な顔つきになって泰明へ言う。
「…けど、確かにちょっと痩せたような気がするぜ。何か、顔色も前より白いし」
頼久も頷いた。
「私もそう思います。泰明殿、何事にも一途に打ち込まれる貴方の姿勢には、いつも感服しております。ですが、ご無理はいけません」
「その通りです。どうか、暫く…せめて今日、一日だけでもお休み下さい」
「君だけの身体ではないのだからね」
「…何か語弊のある言い方だな。けど、泰明。俺も、疲れが取れるまで、休んだほうがいいと思うぜ」
鷹通に続いて、友雅、天真にも休むよう勧められ、泰明は戸惑い顔になる。
「しかし…永泉の訓練がまだ、途中だ」
友雅に軽く抱き締められたまま、永泉を見遣ると、永泉もまた、痛ましげに泰明を見詰め返して、休むよう勧めた。
「どうか、私のことはお気になさらず…お疲れでいらしたのに、気付かず申し訳ありませんでした。泰明殿こそ、ご無理はなさらないで下さい」
「いや、私は無理をしているつもりはないのだが…」
「まあ、泰明は自分でも気付かないうちに無理するタイプだからな」
まだ、迷っている様子の泰明に、天真が笑い掛ける。
「じゃあ、泰明の代わりに、今日は俺が、永泉の訓練をしてやるよ」
「僭越ながら、私もお手伝い致します」
天真、頼久の申し出に、永泉もほっと安堵したような顔になって、頭を下げた。
「それは、助かります。宜しくお願い致します、天真殿、頼久殿」
「軍の機密データの解読も、泰明殿が昨日、示してくださったヒントのお蔭で、現在は順調に進んでおります。どうぞ、ご安心下さい」
鷹通にもそう笑顔で告げられて、泰明はようやく頷いた。
「…分かった。今日一日は休む。皆、気遣ってもらってすまない。有難う」
「決まりだね」
泰明が頷くとほぼ同時に、友雅が腕に抱いていた細身を、そのままひょいと抱え上げる。
「ッ!友雅、急に何をす…」
「こら待て、友雅!!」
泰明の抗議の声よりも大きな声で、天真が去っていこうとする友雅を呼び止める。
「お前も泰明と一緒になって休む気か?」
「いけないかい?」
飄々と応える友雅に、天真が眉を吊り上げる。
「いけないに決まってんだろ!!仮にもレジスタンス代表が、休んでる暇なんか無い筈だろうが!!」
このような天真と友雅のやりとりを初めて見る永泉は、ハラハラとした様子でふたりを交互に見遣る。
一方、頼久と鷹通はいつものことと、苦笑しながら眺めていた。
「しかしねえ…泰明は自分だけ休む、などということは出来ないだろう?
ちゃんと見張っていないと、また、動き出して、無意識のうちに無理を重ねてしまう」
「う…それはそうかもしれないが、他のメンバーの手前もあるだろうが!せめて、お前はここで、射撃練習くらいしてから行け!!」
「なるほど、一理あるかもしれませんね」
ふいに鷹通が呟いて、友雅を見遣る。
少々意地悪い視線に、友雅は泰明を抱き上げたまま、器用に肩を竦めた。
「やれやれ、容赦ないね。承知したよ。泰明、私の首にしっかり掴まって。落ちないようにね」
「?射撃練習をするのではないのか?」
「ああ、ちょっとだけね」
言われた通りに細い腕を回して首にしがみ付く泰明に、にっこりと笑い掛け、友雅はその華奢な背を支えていた片手を外した。
次の瞬間にはその手が、脇の台の上に置いてあった練習用の拳銃を手にしている。
そして、また次の瞬間には、その銃の引き金が引かれていた。
「うわ!」
「…ッ!」
不意打ちで響いた銃声に、天真が驚いた声を上げ、永泉が肩を竦める。
射撃場がしん、と静まり返った。
射撃場にいる者全員の驚きの篭った眼差しが、友雅と彼が狙った的に注がれる。
「今回は、これで練習は免除しておくれ。ではね」
視線を気にした風もなく、友雅は優雅に微笑んで、銃を台の上に戻す。
「下ろせ、友雅。私は自分の足で歩ける」
「駄目だよ、動いては。今日一日は休むんだろう?」
我に返って、不服気に抗議する泰明を、悪戯っぽい口調で宥め、その身体を優しく抱えなおしながら、友雅は静まり返ったままの射撃場を後にする。
去っていく彼らを、後に残された面々は暫し無言で見送った。
やがて、天真がポツリと呟く。
「冗談じゃねぇ…」
頼久、鷹通、永泉が感嘆の溜め息を吐いて、改めて的を見る。
規定の射撃位置からは大分離れた場所で、さして構えもせずに放たれた友雅の銃弾は、的の中心を貫いていた。
Blueシリーズ再開です。 第5弾となります此度のシリーズの副題は「knot」。 「結び目」…転じて「縁・絆」という意味になります。 そして、新登場キャラは、冒頭にちょっとだけ登場(?)してますけど、分かるかな?(笑)詩紋です。 さて、彼は今後、どのようにやっすんたちと関わっていくのでしょうか? 主要レジスタンスメンバー(八葉)も半分以上集まりまして、賑やかになって参りました。 書くのも大変です(苦笑)。 一話目では新拠点に移ったレジスタンスメンバーの近況をお届け♪ えいやすシーンから始まり、姫やっすんを皆で寄って集ってちやほやする話になりました(笑)。 ん〜、でもね、やっすんは無意識のうちに無理に無理を重ねるタイプだと思うのですよ、頼久や鷹通以上に。 だから、周りが気を付けてあげないとね!!手間の掛かる姫も愛らしいもんです♪♪(病) …で、姫ちやほや状態から最終的には、ともやすちょいらぶオチ(何だそれは?/笑)。 どうやら、新拠点に移っても、やっすんとのらぶらぶを抑える気は一向無いらしきスナイパー(色んな意味で/笑)友雅氏。 今回のお話も、もやもやと色々考えていたら、それなりに長くなりそうです。 どうぞ、まったりと(笑)お付き合いくださいませ(平伏)。 top