Blue 〜glass

 

− 5 −

 

 彼らが外へ出た途端、抜け道は崩れ落ちた。

 抜けた場所は研究所の玄関ホールだった。

 両開きの玄関の扉は壊れ、細かな瓦礫の破片と粉塵のヴェール越しに、荒涼とした大地に沈み掛ける太陽が見えた。

 あと少しで脱出できる。

 しかし、そのときふいに頼久の足が鈍った。

 その隙を突くようにして、脇にあった階段が崩れ落ち、彼らに襲い掛かる。

「友雅!」

 泰明が振り向き、こちらを庇い込もうとする前に、友雅はその細い身体を捕まえて覆い被さりながら身を伏せた。

 地響きを立て、階段が崩れ去ると、友雅は身体に振り掛かった瓦礫の破片を落としながら身を起こす。

 この建物の天井が崩れるのも時間の問題と見える。

「怪我はないかい?」

 その翠色の頭にも落ちている欠片を指先で払いながら訊くと、腕の中で泰明は頷いた。

「友雅は?」

「大丈夫だよ」

 友雅の応えに、ほっと息をついた泰明は、しかし、瞬時に顔色を変えた。

「頼久?頼久は?!」

 友雅もはっとして、ふたり周囲を見回すが、彼の姿は見当たらない。

 泰明が崩れた階段の残骸の山に駆け寄る。

 どうか、この下にはいないでくれと祈りながら見回して、崩れた階段の向こう側に頼久を見つけることができた。

「頼久!」

 頼久は伏せていた身を起こそうとしているところだった。

 崩れた瓦礫に傷付けられたのか、額から血が流れている。

 しかし、真っ直ぐに立ち上がった彼は、その藍色の瞳を泰明へと向けた。

 そこには、諦めのような色があったが、泰明はその意図を違う意味で受け取った。

 この瓦礫の山を動かすことは、難しい。

 だが…

「来い!」

 そう言って、泰明は迷わず己の腕を、頼久に向かって差し伸べた。

 頼久が驚いたように、その目を丸くする。

「この瓦礫の山を登るのだ。私が手を貸す」

 そう断言して、自身もすぐさま瓦礫の山に登ろうと脚を掛けた泰明の身体を背後から友雅が抱き止める。

「待つんだ、泰明!」

「何故!」

「いつまた崩れるか知れないんだよ。どうしてもと言うなら、私が行く」

「いつ崩れるか知れないというなら尚のこと、より身軽な者が行くべきではないのか!」

 

「いいえ」

 

 ふたりの言い争いを遮るように、頼久の言葉が割って入った。

「助けは不要です。おふたりはそのまま外へ逃れてください」

「頼久は?!」

「ここでお別れです」

「何故?!」

 頼久の言葉に驚き、何処か取り縋るような調子で問う泰明に、頼久は微笑みだけを返す。

 

 自分の為に彼がこれだけ、必死になってくれている…それだけで充分だ。

 

 そうして、その視線を友雅へと向ける。

「友雅殿。研究所の入口を出て、正門に向かって左手に私が乗ってきた車があります。黒の軍用車です。

キイナンバーはH-4770。その車がまだ、そこにあるようでしたらお使いください」

「有難う。使わせていただくよ」

「時間がありません。お早く」

 素早く言葉を交わしながら、頼久は友雅へとしっかり頷いてみせる。

 その意味を察した友雅が微笑んだ。

「この礼はいずれ」

 ひとことそう言うと、まだ、瓦礫の前から離れようとしない泰明の腰を攫うような強引さで引き寄せた。

「待て、友雅!!」

「待てないね。もう時間がない」

 尚、抵抗しようとする泰明の華奢な身体を抑え付けながら、耳元で囁く。

「頼久は大丈夫だよ」

「え?」

 その言葉に泰明が気を取られた一瞬の隙を付いて、問答無用に彼の身体を抱き上げ、走り出す。

「頼久!」

 そのとき、爆音と共に、目前の天井が崩れ、頼久の視界からふたりの姿は消えた。

 

 耳に届いた自分の名を呼ぶ泰明の声に、頼久は微笑む。

 頭の片隅を室長の姿が過ぎった。

室長は名誉と称して、多くの道連れと共に、自らの命を捨てた。

 ひとの道具であるべき物が、兄のひととしての尊厳を傷付けたと、

泰明を責め立てた彼自身もまた、見方を変えれば道具でしかない。

軍というひとが作り出した集団の。

しかし、彼はそのことに最後まで気が付いていなかっただろう。

自分のみならず、軍に属する者を皆、道具とみなしていたことも。

そして、頼久もまた、間違いなく軍の道具でしかないだろう。

しかし…

 

ふと、足元に小さなプラスチックケースが落ちていることに気が付いた。

 拾い上げると、中に篭められた硝子の破片が、僅かな光を弾いて煌いた。

 何の変哲もないただの硝子の欠片が、今の頼久の目には美しく見えた。

 

 まるで、彼のような。

 

 そうして、これは彼のものなのではないかと、何の脈絡もなく思い付く。

 ならば、返さなければならないだろう。

 彼はきっとこれを大切にしていたのだろうから。

 凄まじいまでの爆音と崩壊音が周囲に轟く。

 掌の中にケースを握り、頼久は祈るように目を伏せる。

 最早、脱出は不可能な状況である。

 しかし、開かれた藍色の瞳には炎の煌きがあった。

 

 もう一度、あのひとに……

 

 

 彼方から爆音が届き、赤い空を背景に黒灰色の噴煙が立ち昇る。

 軍でも指折りの研究施設の最期を、友雅と泰明は離れた場所で見届ける。

 頼久の車で疾走する間も、泰明はずっと無言だった。

 今、伏せていた目を上げ、研究所の煙を見て、止めた車のハンドルに肩肘を預けながら、見詰める友雅の目と合った。

 内心の不安と戸惑いを映すように瞳を揺らめかせ、何かを問おうと唇を開き、

また閉じる泰明に、友雅はゆっくりと話し掛ける。

「頼久は大丈夫だよ」

 先程と同じ言葉に、分からないと泰明は首を振る。

「研究所は崩れ去ったけれど、頼久は生きている」

 その口調はきっぱりとしたもので、ただの気休めには聴こえなかった。

 泰明は目を見開き、やっと言葉を口にした。

「本当か?」

「ああ。彼はただ、私たちと一緒に行くことを断っただけだ、今はね」

「今は?」

「そう。彼は近いうちにまた、私たちの前に現れる」

 口に出してそう約束した訳ではない。

 しかし、頼久の瞳はそう語っていたのだと友雅には確信できた。

「…そうか。分かった。私は友雅の言葉を信じる」

 一番の憂いから解放されて、泰明はほっと息を吐いた。

「まあ、同じ想いを抱く者同士故の確信だね」

 しかし、友雅が独り言のように呟くのには、首を傾げる。

 そんな泰明を、友雅は悪戯っぽい眼差しで見詰める。

「頼久と一緒に行きたかった?」

 からかい調子の問い掛けに、泰明は素直に頷いた。

 頼久は、友雅と同じように、泰明をひととして見てくれた。

 それに…

「頼久はあの場所から出て行きたいのではないか。そう思ったのだ」

 呟いてから首を振る。

「…いや、私が頼久と一緒に行きたかったから、そう思っただけかもしれない」

 車から出た泰明は、徐々に細くなる研究所の煙を見詰めた。

「そこまで言われると、妬けるね」

「何を言っている」

 後から出てきた友雅の台詞にやっと振り向き、泰明は怪訝そうに細い眉を寄せた。

 その表情から、寂しげな雰囲気が抜けたのに、友雅は少し安堵しながら、彼と肩を並べる。

「…頼久もきっと、君と一緒に行きたかった筈さ」

「そうだろうか?」

「そうさ」

 一旦、言葉を切って、友雅は傍らに微笑み掛けた。

「…無事、やり遂げることができたね」

 

 安倍博士が残した模造天使に関するデータは、全て消去された。

 そして、友雅も泰明も生きて、今ここにいる。

 

「私は父の望みを叶えることができただろうか」

 泰明は空を見上げる。

 淡い陽光しか届かない灰色の空。

「そうだね。きっとほっとしていると思うよ。こんな孝行息子を持って幸せだ…ってね」

 懐かしい父の声音で語られる言葉。

「そうだな。そうだといい。有難う、友雅」

 泰明は友雅を見詰めて、淡く微笑んだ。

 その花のような笑みにつられるように、友雅は彼の白い頬に頬を寄せる。

「また、傷が付いている」

 瓦礫の破片が掠ったのだろう、頬に幾つか残る小さな傷に唇を触れる。

 その感触がくすぐったいのか、身を捩って逃げようとする泰明の細い身体を掴まえると、

「友雅の顔にも傷が付いているぞ」

お返しのように、友雅も頬の傷に口付けられた。

「名誉の負傷だよ」

「ならば、私もそうだ」

 互いに抱き合い、じゃれ合うように、お互いの傷のある場所、頬や目尻に口付けし合っていると、

自然に笑みが零れ出てくる。

 そうして、気持ちの赴くまま口付けを交わすと、泰明がふと友雅の肩に額を押し当てるように顔を伏せた。

「…すまない、友雅」

「何を謝るんだい?」

 驚いて問うと、顔を伏せたまま、泰明が言葉を継いだ。

「あのとき、あの男の言葉に私が動揺しなければ、あのような切迫した状況にはならなかった筈だ。

友雅にも頼久にも迷惑を掛けてしまった」

「そんなことはないよ」

 友雅が否定しても、泰明は首を振る。

「いいや、私の覚悟が足りなかったのだ。誰かを殺せば、その誰かの関係者から恨みを買うことになる。

面と向かって憎悪をぶつけられ、殺意を向けられることもある。私は分かっていなかった。その重みを受け止めることも。

いつか、己自身が己が殺めた人々と同じように殺される日が来るかもしれない…その覚悟を決めることも」

「泰明…」

 

 彼の言うことは間違いではない。

しかし、生まれて間もなく、ひとを殺める術を否応なく覚えこまされた彼に、その重みを背負わせるのは酷に思えた。

同時に、友雅はエデンにいた頃の自分を思い出していた。

あの頃の自分は、暗殺部隊の一員として働くことに、嫌悪さえ覚えながら、ただ淡々とひとを殺し続けていた。

復讐にやってきた者も同様に殺した。

全くの無感動だった。

そうでなければ、やっていけなかった。

しかし、泰明は自分にそのような甘えを許さない。

 

腕の中の泰明が顔を上げた。

「だが、もう私は迷わない。例えまた…ひとを殺めることがあったとしても。その重みを受け止め、覚悟を決める。

卑怯だと言われようが、どんなに責められようが…私は生きていきたいから。できうるなら友雅、お前の傍で」

悲壮なまでの決意の光が宿る瞳。

気付けば、友雅は腕の中の細い身体を抱き締めていた。

 

その手を血に染めても、けして穢れることのない心を持った彼を、誰にも責めさせはしない。

誰にも…殺させはしない。

そして、もう二度と彼の手を汚させはしない。

自分が傍にいる限り。

その為なら、彼の代わりに自分の手を汚すことになっても構わない。

 

固い決意は胸に秘めたまま、ただ、友雅は泰明を強く抱き締め続けた。

 

「あ」

 再び車のエンジンを掛けたところで、ズボンのポケットを探っていた泰明が声を上げる。

「どうしたの?」

「ケースをなくしてしまった…」

「おや…どこかに落としてしまったかな?」

 灰色の浜辺で拾い集めた青い硝子の欠片が詰まったケース。

 泰明の宝物だ。

 隣の助手席で、柳眉を下げて、華奢な肩を落とす姿は、年端もいかないこどものようだ。

 そのしょげ返った様子が可哀想で、同時に可愛らしくも感じられて、

友雅は手を伸ばし、慰めるように、傍らの小さな頭を撫でた。

「また、集めればいいよ」

「そう…だな」

 少し乱れている翡翠色の髪を梳き整えてやりながら、優しく言うと、

まだ、残念そうな様子ながらも、泰明は素直に頷いた。

 それに、誰かが拾って持っているかもしれない。

 ふと、脳裏に藍色の髪の青年の姿が過ぎり、そう言おうとして、思い止まる。

 流石にそれはでき過ぎか、と苦笑する。

 

「さて、これから行く宛ては特にないけれど…何せ追われる身だ。中央都市からは離れた方がいいだろうね」

「そうだな」

「浜辺へ行こうか」

 そう提案すると、泰明は宝石のような瞳を輝かせて頷いた。

 

 そうして、走り出した車は、草木の生えぬ荒野を後にする。

 

灰色の浜辺へ行こう。

かつての海と空の記憶を止めた青の欠片を探しに。

 それは未来への希望を映したものにもなる筈だ。


the end? or...
前作と似たような終わり方にしてみました。 どどーんと派手な展開になったかなあ? 研究所は文字通りどどーんと爆発しちゃった訳ですけど(笑)。 そして、今回のフェイント。 御覧のとおり、頼久(生きてますよ、彼は!)はまだ、やっすんたちと合流しません! 彼にはもう少し軍に留まって頂いて、軍の内情(?)に触れてもらおうかな、と。 しかし、頼久メインの筈が、ラスト近くは友雅氏の方が目立っていたような気がしないでもない…? 頼久が遠慮深いから(笑)。 別に友雅は目立ってくれなくてもいいんだけどな…(ヒドい!)←すみません、ファンの方…(汗) 常に姫の傍らにいる彼氏の特権っていう奴でしょうかね? やっすんの様々な魅力♪を表現する為には、彼視点は必須というか… 結果的に、かなり美味しい役どころとなってます、 よかったね、このシリーズが、ともやす基盤で!(笑) ちょっと頼久に先を越されたからって、悔しがって(?)ちゃいけませんぜ。 やっすんは幾ら目立ってもOKです♪ええ、所詮やっすんファンですから!!(笑) ま、そんな感じで、4話、5話は見所盛り沢山でお届けしたつもり(笑)です。 一行、打ち込んでは一行消す、という苦しい経過を踏んだりもしましたが、 愉しんでいただければこれ以上嬉しいことはありません♪ 次回は、天真篇です。 彼のエピソードはもう既に幾つか、用意してあるので今から書くのが楽しみです♪ そして、もちろん、彼もやっすんに堕ちます(笑)。 頼久も登場しますので、ファンの方はご安心を(いないか?/苦笑)。 ではでは。 最後までお付き合いくださいまして有難う御座いました(平伏)。 top back next