Blue 〜glass

 

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 見張りだ。

 

 泰明が通路の曲がり角でふと足を止める。

 気配を殺したまま、行く先に立ち塞がる見張りの様子を確かめた。

 

数はふたり。

 切り抜けられない数ではない。

 

 ちらりと背後の友雅に視線を送ると、泰明はひとり先んじて通路を曲がる。

 大胆にも自分たちの正面に姿を晒した見知らぬ青年の姿に、ふたりの見張りはすぐさま気色ばんだ。

「なっ…」

 侵入者か!と、彼らが声を発しながら、構えた銃口の照準を青年に合わそうとする、その瞬間。

 すっと軽やかに動いた背を追うように、翡翠色の髪がさらりと舞った。

「…!」

 驚いた頼久が息を呑む僅かな間に、泰明は敵の手から銃を蹴り飛ばし、そのままひとりの鳩尾に強烈な蹴りを見舞う。

 相手が呻いて膝を折るのを待たず、一瞬呆然と佇んだもうひとりの首の根に手刀を打ち込んだ。

 急所を打たれた男の身体が、その場に崩折れる。

 しかし、最初のひとりはまだ気を失ってはいなかった。

 大声を出してひとを呼ばなくとも、彼らは緊急用の通信器を携えている筈だが、

目の前の華奢な青年を今だ侮っているのか、それを使おうとはせず、代わりに弾き飛ばされた銃へと手を伸ばした。

 それに泰明が気付き、その手が銃に触れる前に、ボスッと微かな音が空気を震わせ、男は動かなくなった。

 その背に広がる赤黒い染み。

「余計な真似だったかな?」

「いや…」

 通路の角から姿を現した友雅が、硝煙を立ち昇らせる銃口を構えていた位置から上げて問うたのに、

泰明は振り向き、静かに首を振った。

まさに、瞬く間に決着のついた攻防に、頼久は驚きを隠せない。

そんな彼に向かい、

「我が姫は、はねっかえりなのだよ」

微笑みながら軽い戯言を吐き、友雅は頼久から離れ、佇む泰明の方へと近付いていく。

 そのあまりにも自然な動きが、頼久には意外だった。

 

 いつ反撃するかも分からぬ人質からこうも簡単に離れていくとは。

 それとも、自分に反撃の意志がないことを友雅は見抜いているのだろうか。

 

 友雅の背中越しに、通路の真中に佇む泰明の姿が垣間見えた。

 その彼は、動かなくなった男へと改めて目をやり、次いで長い睫を伏せた。

 まるで黙祷を捧げるかのように慎ましやかな一瞬の仕種。

彼の僅かな動き、表情の変化に惹き付けられてしまう。

 そのことに改めて気付かされ、頼久は密かに苦笑を噛む。

 

 こんな自分が反撃をして、彼を傷付けることなどできる筈がないのだ。

 

 

 その後も、研究所の深奥へと向かう彼らが、こうした見張りを片付ける間、頼久はそれを妨害しなかった。

 当然ながら、手伝うこともしない。

 ただ、彼らの様子を見ていた。

 手を縛られるなどして動きを制限されている訳ではない。

 任務の遂行に重きをおく自分が、その障害となる張本人を目の前に、

ただ見ているだけとは、自分でも信じられなかったが。

 見張りを倒す際、やむを得ず相手の命を奪ってしまうこともあった。

 その度に、泰明はその人形のように整った顔に、僅かに悼む表情を浮かべる。

 それに気付かぬ振りで、しかし、確実に彼の心を労わる友雅の言動に、表情を緩め、澄んだ瞳を揺らす。

 

 頼久はただ、そんな様子を見ていた。

 

 泰明のことだけを。

 

 

 ついに辿り着いた研究所の深奥。

 灰色に鈍く光る金属製の扉を前に、泰明は思わず、息を詰める。

「この向こうだ…」

 そこに模造天使研究データを保管したサーバーがある。

 やはり扉は厳重にロックしてあった。

 傍らのセンサーに付属する端末を弄ればそれも外せる筈だが。

「時間が惜しいね。ここは強行突破させてもらおう」

 時間を掛ければそれだけ脱出が困難になる。

 そう一言の元に友雅が銃を使う。

 錠があると見られるところを集中的に狙い、あとは力ずくで押し開けた。

 

 部屋の中は暗かった。

 あまり広くもない部屋のほぼ半分を占領する巨大なコンピュータが、今も電源を切られることなく作動していた。

 点灯し、或いは点滅を続ける幾つもの赤や緑のランプ。

 それらの上に、廊下からの灯りで、泰明たちの黒い影が落ちる。

 泰明は躊躇うことなく、そこにパスワードを打ち込んだ。

 ひとつパスワードを打ち込むたびに、コンピュータから新たな起動音がし始める。

 模造天使データを管理するコンピュータが、仮稼動状態から目覚めていく。

 泰明が全てのパスワードを入力し終えると、スピーカーから機械的な声が発せられた。

「パスワード、認識イタシマシタ。オカエリナサイマセ、マスター」

 その呼び掛けに泰明は思わず苦笑する。

「どうやら父が教えてくれたパスワードは、お前に主人を認識させるものであったようだな」

「イイエ。パスワードハ私ヲ起動サセル為ノモノニシカ過ギマセン。私ノマスターハ貴方ヒトリ。

グランドマスター、安倍博士ガ造リ出シタ模造天使デアリ、彼ノ子デモアル安倍泰明。

私ハ貴方ノ命令ノミニ従イマス。グランドマスターガソノヨウニ設定ナサイマシタ」

「父が?」

 新たな事実に驚きながらも、泰明は拳を固く握り締めた。

 やはり父は知っていたのだ。

 自分が軍に殺されることを。

 そして、恐らくは、泰明がこのように研究データを破壊しにやってくるだろうことを。

 

友雅は部屋の入口に陣取っていた。

外の気配に気を配りながら、傍らの頼久を見る。

頼久は泰明の細い背中を見ながら、聞くともなく泰明とコンピュータの会話に耳を傾けていたが、ふと眉を顰めた。

思わず呟く。

「模造天使…?造り出した…?」

 

 まさか、と耳を疑ったが、コンピュータが偽りを述べる筈はない。

 傍らの友雅を見遣ると、目が合った。

 彼は何も言わず、軽く肩を竦めると、泰明へ視線を移した。

 

 橘少尉も知っているのだ。

 

 頼久も、朧気ながら理解した。

 ここで、何が研究されていたのか。

 それが泰明とどう関係しているのか。

 そして、今、泰明が何をしようとしているのか。

 

 友雅につられるように、泰明へと視線を戻す。

 

 初めて会ったときに感じた。

 まるで、硝子細工のように美しいひとだと。

 しかし、それはひとではない故の美しさだったのかもしれない。

 

「マスター、御命令ヲ」

 淡々と請うコンピュータに、泰明は一呼吸を置いて、敢然と口を開いた。

「お前の中にある模造天使に関するデータを全て消去してもらいたい。良いか?」

「承知シマシタ、マスター」

「お前の存在意義もなくなることになるが…」

 躊躇うように付け加えた泰明に、当然といえば当然なのか、コンピュータは淡々と応えを返す。

「デハ、研究データト共ニ、私ノアイデンティティデータモ消去イタシマス。ソウスレバ、研究データノ復元モ不可能トナリ、他ノ人間ニ利用サレルコトハ決シテアリマセン」

「すまない」

どうしても、そう言わずにはいられなかった。

「貴方ノ御命令ニ従ウノガ、私ノ任務デス。貴方ハ我々ニトッテ人ヨリモ近イ存在。貴方ハ偽リヲ知ラナイ。

貴方ノ命令ニ従ウノハ何処カ心地良イ…」

 意外な言葉に驚き、伏せた目を上げた泰明は、やがて淡く微笑んだ。

「有難う…」

 

「命令ヲ実行イタシマス。データ消去開始」

 

 無機質な声が室内に響き、コンピュータがカタカタと音を出し始めた。

 これで、泰明の目的は達成される。

 泰明とコンピュータの一連のやり取りを黙って見ていた友雅は、僅かに微笑する。

「やれやれ。警備システムの制御といい、今のコンピュータとのやり取りといい…

どうやら、我が姫は機械さえもその魅力で虜にしてしまうらしい」

 何処か悪戯っぽい口調そのままに、次の言葉を軽く言い渡す。

「君もそうだろう?頼久」

「…!」

 意表を突かれた頼久は、思わず息を呑む。

「いきなり何を仰います」

 冷静さを装って言葉を返したが、遅かった。

「『忍ぶれど色に出にけり』という奴だね。大昔の言い回しだけど」

「……」

 応えることが出来ず、頼久は黙り込む。

「泰明の素性は君にもだいたい察しがついているだろう?それでも、君の彼に対する想いは変わらないようだ」

 しかし、いつの間にか重みの増した口調に気付き、頼久は友雅を見た。

 初めて会ったときから、常に彼の唇に刻まれていた笑みが、今は消えている。

 

 泰明はモニターに高速で表示されては消えていくデータを一心に見詰めている。

 声を抑えたふたりの会話は全く耳に届いていないようだ。

 

 頼久の視線を逸らすことなく見返す友雅の碧い瞳に宿るのは、真剣な光だ。

「君は、今の軍のあり方をどう思う?」

「…どうとは」

「質問を変えよう。武力で民を圧迫し、彼らの住まう環境を汚したまま、

更に荒廃させていく軍が支配を続けるこの国に未来はあると思うか?」

「……」

 応えない頼久に、友雅は苦笑する。

「…いや、私にしては随分大仰な台詞だな。ことはもっと単純なんだ。私はね、泰明に希望に満ちた未来をあげたいんだ。

幸せな…生きていて良かったと思えるような……」

 なかなかいい口説き文句が出てこないな、と嘯いてから、友雅は頼久を見据えたまま、言葉を継いだ。

「いつ叶うか分からない。叶わないかもしれない。でも、いつか泰明が憧れていた…青く輝く空と海を彼に見せてやりたい」

 その言葉に頼久は、閃くものを感じた。

「貴方は…現在の軍事体制を打倒するおつもりなのですか?」

 あまりにも無謀だ。

 そんなことを口にする人間は狂っているに違いないと思えるほどに。

 しかし、頼久は問いながら、そうに違いないと確信していた。

「私が勝手にそう思っているだけさ。実現にはあまりにも人手が足りなさ過ぎる。今はね」

 何気なさを装いながらも、迷いのない口調。

「だから、今のうちに見込みのある人間をスカウトしようと思ったのさ」

「私は軍属の者です」

「そうだね。だが、考えてみてくれないか?応えは今でなくとも構わない」

 期待しないで待っているからとあっさり言われ、頼久は端正に引き締まった顔に、僅かに戸惑いを滲ませる。

 

 一体、このひとはどういう人なのだろう?

 仮にも、敵である軍属の者にこのような無謀であるのみならず、危険でもある誘いを持ちかけるなど。

 自分は根っからの軍人だ。

 軍に敵対し、あまつさえそれを打破する側に回ることなどできる筈がないではないか。

 

 しかし……

 

「あのひとの…幸せのため……」

 いつの間にか呟いていた。

 

 

 そのとき。

 思いの他、近い場所から足音が聴こえた。

 

 はっと身構える友雅と頼久。

それまでモニターに見入っていた泰明も、緊迫した顔で振り向く。

頼久と会話はしていたが、外の気配には気を配っていたつもりだった。

さては、別の通路からここへやって来たのか。

友雅は表情を厳しく引き締める。

 

「泰明…!」

「駄目だ!」

 友雅の問い掛けるような呼び掛けに泰明は首を振る。

 まだ、データ消去処理は完了していない。

 ここで、処理を強制的に中断すれば、全てが水の泡だ。

 

「これは、一体どういうことです?!!」

 

そのとき、彼らの会話を断ち切るように、大声が発せられた。

同時に、部屋の灯りが点けられ、その眩しさに彼らは一瞬目を細めた。

 廊下とは反対側、巨大なコンピュータに隠れるように扉があった。

その開かれた扉の脇に佇むのは、頼久を出迎えたあの室長である。

「源曹長。何故、貴方が…」

 不審を込めた視線が、頼久から友雅へ移るに従って、疑念を持ったものとなり、

コンピュータの前に佇む泰明を目にした途端、それは瞬時に驚きと怒りの篭ったものへと変貌した。

 

「お前は!!」

 

 室長はその視線と同じほどの激しさで叫んだ。

 

「アズラエル!!」


to be continued
どどーんと派手なことに到るまで書けませんでした…(汗) もうちょっと続きます、すみません。 やっすんのことしか見てない頼久がちょっと変態っぽいとか、 友雅、口説く相手を間違ってるよ?とか、書いた本人も突っ込みたいところ満載です(笑)。 全てはやっすんがあまりにも清らかに美しい故のことなのです♪(謎) 年甲斐もなく(失礼)友雅氏は、かなりでっかいことを考えている模様。 実は、これがBlueシリーズの裏テーマでもあるのです! 表テーマはしつこいようですが(ホントに)、やっすんマドンナ状態で♪ しかし、こんなでっかいテーマを打ち出しちゃって書き切れるの? という不安も無きにしも非ず…ではありますが、頑張りまっす!! まあ、気楽にね(笑)。 とにかく竜頭蛇尾にはならないよう! …できるだけ…多分…気を付けます……(不安になるなよ/苦笑) top back