Blue 〜eternal〜
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「すまない、迷惑だっただろうか?」
「…は?」
車の助手席に、細い身体を収めた泰明がポツリと呟いたのに、頼久は思わず瞬きする。
泰明の言葉の意味が分からなかったのだ。
それでも、器用にハンドルを操りながら、気遣うような目線を寄越した頼久に応えるように、泰明は言葉を継ぐ。
「突然、お前と一緒に行きたいと言い出して。却って迷惑だったのではないかと今更ながら思い付いた」
微かに柳眉を顰め、心なしか萎れている様子の泰明が可愛らしく見えて、頼久は微笑む。
「そのようなことはありません。正直に申し上げるなら…
貴方が私と共に行動することを選んでくださって、むしろ、嬉しいくらいです」
「しかし…私が一緒に行くと言ったとき、お前は少し驚いたようだった。お前だけではない、天真も鷹通もだ」
気付かれていたのか、と頼久は内心で苦笑する。
自分に向けられる好意には気付かない部分も多いが、泰明は基本的に、ひとの心の揺れを感じ取るのに聡い。
常に曇りない眼差しで真っ直ぐに、ひとと接するからだろう。
「それは…意外に思っただけなのです。
御門(ミカド)との会談があった舞踏会の日から、泰明殿は少し沈んでおられたように見えたものですから。
きっと何か気掛かりなことがあるのだろうと…
そして、気持ちが落ち着くまで、泰明殿は友雅殿の傍におられるのだろうと何とはなしに思っていたので…」
「…気付いていたのか」
泰明は小さく息を呑む。
「私だけではありません。天真も…恐らく鷹通殿も気付いておられました」
「そうか…」
友雅には、その日のうちに見破られた。
しかし、付き合いの長い友雅に見破られるのは仕方がない。
己も敢えて、抱えていた不安を隠そうとはしなかった。
そうして、友雅に胸のうちを聞いてもらったことで、
不安は完全ではないにせよ、ほぼ解消したと泰明自身は考えていた。
それ故、頼久たちにはそれまでと変わりなく接していたつもりだった。
まさか、泰明自身も気付いていなかった不安を彼らに見抜かれ、心配を掛けてしまうとは思いも寄らなかったのだ。
「すまない。私は気付かないうちに、やはり迷惑を掛けていたのだな」
「そのようなことは…」
きっぱり否定してくれようとする頼久の心遣いに内心感謝しつつも、泰明は首を振る。
次いで、僅かに白い顔を俯けて、小さく溜め息を吐いた。
「だが、頼久たちにすら分かる己の異常を自ら感じ取れぬとは…私はまだまだ未熟だということだな」
今度は明らかに細い眉根を寄せて、酷く深刻そうに言った泰明に、頼久は一瞬藍色の瞳を瞠り、声を立てて笑い出した。
「どうしたのだ?」
意外な反応に、眉を顰めたまま、泰明も翡翠色と黄玉色の瞳を瞠る。
頼久はすぐに笑いを収めたものの、常に凛々しく引き締まっている端正な口元は、穏やかに綻んでいた。
「…申し訳ありません。真剣に悩んでおられる貴方のお姿が何とも微笑ましく見えたものですから」
「微笑ましい?」
やや不機嫌な様子を滲ませる泰明に、頼久は微笑み掛ける。
「私たちが貴方の心持ちを多少なりとも推し量ることができたのは、別に理由があります。
貴方が未熟だからだということは決してありません。どうかお気に病まれないで下さい」
「では、別の理由とは何だ?」
「私たちが、それだけ貴方のことを見ていたからでしょう」
些細な不機嫌さを早々に押しやった泰明は、頼久の答えに、今度はきょとんとして華奢な首を傾げる。
「…何故だ?」
「それは……」
頼久が答えかけた途中で、無邪気な少女のようであった泰明の幼い表情ががらりと変わる。
刃のような鋭い輝きを宿した瞳で、窓外に見える細い通りの向こうを見据え、低い声で呟く。
「泣き声…?」
泰明の呟きとほぼ同時に、頼久は車を停める。
扉を開けると、確かに、通りの向こうから、子供らしき泣き声が微かに聞こえる。
走る車内でこの声を聴き付けた泰明の耳の良さに、頼久は内心感嘆する。
「子供か?」
「そのようです」
慌しく助手席を降りてきた泰明が、先に降りた頼久の隣に並ぶ。
「あの通りの向こうはあまり裕福でない一般民の住まう地区ですが…」
頼久の言葉の途中で、泣き声の合間に、今度は女性らしき悲鳴がか細く聞こえた。
「…っ!」
尋常ではない気配に、泰明は細い腰に下げた拳銃を抜き出す。
「行くぞ、頼久!」
「はい!」
同じく銃を取った頼久を随えて、泰明は弾かれるように駆け出した。
パソコンが二度目の警告音を発した。
「駄目か…」
「一度、接続を切って、初期化した方が良さそうだね。振り出しに戻るだ」
「そうですね…」
パソコンの電源を落としながら、鷹通は知的な茶色の瞳に悔しさを滲ませる。
あともう少しだという手応えを得ているだけに、もどかしくて仕方ない。
「急いては事を仕損じる、と言うだろう。焦りは禁物だよ」
「分かっております。少し休みましょうか」
そう友雅の言葉に応えて、鷹通は立ち上がり、壁に設えてある端末で、執事を呼び出し、茶の支度を言い付ける。
そうして、振り返った鷹通は、既に一休みしているように、
パソコンから離れて肘掛け椅子にゆったりと腰掛けている友雅を見た。
視線に気付いた友雅が微笑う。
「何か訊きたいことがあるようだね」
「…はい」
鷹通は空いている椅子に浅く腰を掛け、両膝を肘掛代わりのようにして、その上で手を組んだ。
「……いえ、やはり、止めておきます。当の御本人に訊くことができなかったことを、代わりに貴方に訊くのはお門違いだ」
「泰明のことかい?」
言い当てられて、鷹通は苦笑する。
暫し躊躇った後、再び口を開く。
「これは私の独り言だと思って聞き流していただきたいのですが……
この数日、泰明殿にご協力いただいて、一部の軍のサーバーにアクセスできるようになりました。
今、解読を試みている情報都市管轄の軍サーバーと同様に、幾つかのパスワードでロックされているもので…
そのパスワードは殆ど泰明殿が解読して下さいました」
その先を言って良いものかどうか躊躇っているのか、鷹通の視線が床に敷かれた絨毯の紋様の上を彷徨う。
「しかし、泰明殿の解読の方法は他とは違うように見えたのです。上手く言えませんが…
通常、重要機密を保護するパスワードを解読する際には、
解読者はサーバーと戦い、捻じ伏せるような立場で臨むと思うのです。
しかし…泰明殿がアクセスを可能にしたサーバーは、最初から泰明殿を受け入れているように見えました。
泰明殿に乞われるまま、進んでパスワードを差し出したような……」
「……」
黙したまま鷹通の言に耳を傾ける友雅の碧い瞳が僅かに細められる。
「どれほど優秀なハッカーでも、無条件でサーバーコンピュータを従えることはできません。
では…泰明殿は一体……?」
「それで?君は不可解な泰明の存在を不気味に思ったと?」
「…っいいえ!!とんでもありません!!ただ……私には泰明殿に関して知らない事実がある。
そのことを目の当たりにしてしまって…」
俯きがちの顔を勢い良く上げて言い募った鷹通は、途中ではたと何事かに気付いたように言葉を呑む。
その頬が僅かに赤くなっている。
「なるほど」
友雅はそれまで覗かせていた剣呑な光を消して、細めた瞳を柔らかくした。
「つまり、君は気になる姫君の情報収集をしたいという訳だね?しかも、この私から。いやはや、大した度胸だ」
「友雅殿!」
からかうような口調に鷹通がますます顔を赤くして声を上げる。
それに愉しげに笑うと、友雅は少し表情を改めた。
「泰明はコンピュータにも愛されているのだよ。一部ではあるがね」
「…どういうことでしょう?」
「それ以上のことは私には言えない。どうしても気になるのなら、泰明自身に訊くんだね」
「貴方は知っていらっしゃるんですね…」
少し落ち着きを取り戻した鷹通が、少々恨めしげに言うのに、友雅は軽く肩を竦めるだけで応えた。
鷹通自身、特にそのことを気に掛けている訳ではない。
結局は、友雅にからかわれたように、
泰明に関することならどんな些細なことでも気になってしまうというだけの話である。
もし、泰明にそれを訊ねる日が来るとしても、当分先だろう。
鷹通は物思いを振り切るように、溜め息を吐いた。
そのとき。
『失礼致します、旦那様』
壁の端末が音を立て、画面に執事の姿が映し出された。
「どうした?」
元の調子を取り戻した鷹通が訊くと、僅かに緊張した面持ちで執事は口を開いた。
『先程出られた泰明様と頼久様が戻っていらっしゃいました』
「もう?何かあったのか?」
『はい。お客様を連れておいでです。友雅様をお訪ねとのことで…永泉様がいらっしゃいました』
「永泉様?」
執事の言う永泉とは御門の弟に違いない。
御門の血縁者が友雅を訪ねてきたということは……
振り向いた鷹通と目が合った友雅が頷き、優雅な笑みを閃かせた。
「ようやく、待ち兼ねた使者のご到来のようだ」
三話の永泉とやっすんの出会い前後のエピソードとなります。 つまり、ストーリーとしては殆ど進んでいないという…(汗) 蛇足紛いの話(…)でも、書きたいものは書きたいんだ!ということで。 せっかく愛しの姫とふたりっきりで出掛ける機会を得たのに、ここぞというところで上手くいかない(?)哀れな頼久(笑)。 そして、姫やっすんについて語り合う(?)友雅氏+鷹通。 余裕がありそうに見える友雅氏ですが、そう見せることで、鷹通を牽制している可能性も高いです(笑)。 私はやす受シチュエーションは勿論のこと、やっすんに想いを寄せるキャラが、 やっすんについて語るシチュエーションも書くのが好きだったりします♪ 常日頃、自分がやってることだしな(笑)。 次回は、御門の使者(永泉)と友雅氏のご対面です。 余裕があれば、お約束(私の中で/笑)の「ともやす一話一らぶ」に入りたい… top back