企画 九★アクラム×泰明(パラレル) 「捕えよ」 海上の岩場に傷付いたそれを見付けたとき、アクラムは無情に言い放った。 美しい姿と歌声で、船乗りを惑わし、船ごと海中へと引きずり込むセイレーン。 アクラムの治める国でも、その犠牲となった民が多くいたのだ。 「歌わぬのか」 船倉の奥に作られた簡易水槽の中に向かって、アクラムは冷たい声を投げた。 水槽の縁に、白くほっそりとした手首を、鎖で繋がれた人魚が、色違いの瞳で無言の返答をする。 力なく水中を掻く尾びれから、紅い筋が漂う。 「…これは何だ?」 ふと、アクラムが青い瞳を細め、指を伸ばす。 人魚は身を硬くして、その指から逃れるように顔を背けたが、狭い水槽内で、尚且つ繋がれた状態では避けようもない。 アクラムの指が、人魚の美しい顔の半面を覆う痣をゆっくりと辿った。 そうして、細い頤を捉えて、背けていた顔を正面へと向かせる。 「口が利けぬわけでもあるまい?答えよ」 人魚は先ほどまで無表情だった瞳に、僅かに怒りの色を滲ませて、アクラムを見据えた。 艶やかに紅色づいた唇が開かれ、低くも澄んだ声音が言葉を紡ぐ。 「…力を抑えるためのものだ」 「ほう」 アクラムの瞳に興味深そうな光が宿る。 「なるほど、お前はかなり力あるセイレーンの一人らしい」 「……」 「ならば何故、その力を以って、この船を沈めない?まして、相手はお前を捕え、自由を奪っているのだぞ?」 「我々が船を沈めるのは、その船を操る人間が、理に反した振る舞いに及んだときのみ。今はそのときではない」 「己自身が無体を強いられても?」 言いながら、アクラムは人魚の顎を捉えていた手を外し、その肩から背に流れる翡翠色の髪を掴んで引いた。 「ッ…」 人魚は痛みに顔を顰めながらも、きっぱりと応える。 「そうだ」 アクラムは無言となって、捕えた人魚を見詰めた。 凛と澄み渡った瞳には、偽りも虚飾もない。 面白い、と思った。 「名は何と言う?我が名はアクラムだ」 「…泰明」 「泰明か」 小さく笑い、アクラムは手を離す。 背後に控える部下に、薬を持って来るよう言い付ける。 そうして、乱れた髪を白い頬に纏いつかせたまま顔を上げた泰明へと声を掛ける。 「その傷付いた尾びれを出せ。手当てをする。尤も人間の薬がお前に効くかは分からぬがな」 思わぬ言葉だったのだろう、驚きに目を見開く表情が、意外にもあどけなかった。 それから、毎日アクラムは、泰明の元を訪れた。 埒もない言葉を交わすだけだったが、人間の中でも滅多にない無垢な純真さを持つ泰明の言葉は、新鮮だった。 泰明の傷が治った頃、手首を捕らえる鎖を外した。 今までより大きな水槽を作らせ、自分の部屋に付いているバルコニー式の甲板に置き、そこに泰明を移した。 戯れだと言って、途中停泊した街で手に入れた真珠の髪飾りを贈った。 セイレーンを生かしたまま、船に乗せ続けるのは不吉だ、一刻も早く捨てるか、殺してしまったほうが良いという部下の諫言は黙殺した。 始めより格段に待遇が良くなったことに戸惑いながらも、 何時までも己を手放そうとしないことを訝しむ泰明の問いにも、応えることはなかった。 そもそも明確な理由などなかった。 ただ、この美しい人魚を出来るだけ長い間、己の手元に置いておきたかった、それだけだったのだ。 しかし、とある夜。 航行中の船を突然の嵐が襲った。 数時間前までは気配すらない穏やかな海域だったというのに。 甲板に出たアクラムは、叩き付ける雨の狭間に、幾つもの不穏な歌声を聞いた。 その歌声は、他の船員たちにも聞こえているのだろう、船内は不安なざわめきが満ちていた。 動揺する部下たちを抑え、指示を下した後、アクラムは泰明のいる小甲板へと向かった。 「馬鹿な…!何故このような…!!」 水槽の縁に手を掛け、華奢な身体を乗り出すようにして、泰明は呆然と荒れ狂う黒い波を見詰めていた。 「これはどういうことだ、泰明?」 アクラムの問いに、はっとしたように振り返る。 「分からぬ…理に従って航行している船をこのように襲うなど…一族の掟に反する。一体、何故このような振る舞いを…」 泰明は柳眉を顰め、混乱したように呟いたが、アクラムには人魚たちの意図が手に取るように分かった。 彼らは、泰明を取り戻しに来たのだ。 薄々とは感じていたことだが、人魚のうちでも泰明は特別な存在らしい。 掟を破ってまで、人間の手から取り戻そうとするほどに。 泰明は澄んだ瞳に決意の表情を浮かべて、アクラムを見上げた。 「アクラム、私を海へ下ろしてくれ。彼らを説得する」 「そうして、お前は海へ帰るのか。私の手を離れて」 「え?」 刺すようなアクラムの言葉に、泰明は戸惑った顔となる。 「許すと思うか?この私が」 「しかし、このままではお前の船が沈む。それを避けるには私が彼らを止めるしか…」 言葉の途中から、アクラムは低く笑い出した。 「…アクラム?」 「…そう…そうだな…お前の言うとおりだ。私はこの船を守らなければならない。 そして、船員たちを…我が国の民を連れ帰る。それが私の義務だ」 王として生まれたときから、当たり前のこととして何の疑問もなく受け入れていた義務。 その義務を果たすことに、これほどの苦痛を感じるときが来るとは思いもよらなかった。 ようやく笑いを治めたアクラムは、不意に泰明を水槽から抱き上げる。 「ッ!アクラム?!」 驚く泰明を抱えたまま、揺れるのも構わず、甲板に下りた。 その船縁に泰明を下ろし、低い声で言い放つ。 「行け」 泰明が戸惑った表情のまま、問う眼差しを向けてくる。 しかし、アクラムは背を向けることで、答えを拒否した。 暫くの間があった。 そうして、水音が聞こえ、振り向いたときには、泰明の姿は船縁から消えていた。 風雨の勢いが徐々に弱まり、それに伴って船の激しい揺れも収まっていく。 やがて、嵐が去り、雲間から穏やかな月光が差し込んだ。 そのときになっても、アクラムは濡れたまま、船縁近くの甲板に立ち尽くしていた。 その後の航海は天候に恵まれ、船は無事故国の港へと戻った。 帰国直後から、アクラムは不在の間、溜まっていた執務に没頭した。 そうしないと、思考がただひとりに占められてしまう。 だが、そうしていてさえも、胸に穴が開いたような空虚な感覚は消えることはなかった。 そうして、全ての執務が滞りなく進むようになると、僅かな時間をも持て余すようになった。 気付けば、供を連れずに城外へと出て、岩場で囲まれた小さな砂浜へと向かっていた。 岩に軽く腰掛け、穏やかに寄せては返す波を見詰める。 瞬く間に、脳裏に蘇る面影に全身が浸されそうになり、アクラムは眩暈に似た感覚を堪えるように、強く目を瞑った。 そのとき、波音の狭間に、微かな水音と、砂の擦れる音が聞こえた。 誘われるように開いた目の前。 脳裏に描いた面影が実感を伴って佇んでいた。 白い面差しに、澄み切った色違いの瞳。 細い肩に波紋を描くように振り掛かりながら背に流れる翡翠色の髪。 その鬢に真珠の髪飾りを挿している。 美しさは変わりなかった。 しかし、大きな違いもあった。 人魚の証である虹色の鱗に覆われた下半身の代わりに、上半身と同じ肌理細かな皮膚に覆われた白い両脚がある。 その白い素足で、白い砂浜を踏みしめて、驚きに言葉を失うアクラムの前に、泰明は立った。 その美貌の半面を覆っていた、力を抑えるという痣も今はなかった。 「私はもうセイレーンではない。それでも、お前は私を傍に置いてくれるだろうか?」 「…何故?」 その言葉が信じ難くて、アクラムはつい、問いに問いを返してしまう。 泰明は少し躊躇い、だが、真摯なほど真っ直ぐな眼差しでアクラムを見上げた。 「直接口にはしなかったが、お前はあのとき、私に傍にいて欲しいとそう願っているように感じたのだ。違っただろうか?」 「…大したものだ。お前には読心術の心得まであるのか」 我に返ったアクラムは、唇の端を吊り上げて、意地悪く笑ってみせる。 内心でこれは負け惜しみだと思いつつ。 「その願いを叶えたいと思った。だから、ここに来たのだ」 そう言って、泰明は微笑った。 「永遠に、とは約すことは出来ぬ。だが、お前が望む限り、私はお前の傍にある」 その微笑みは、髪に挿した真珠よりも無垢に煌いて… 思わず眼を細めて、アクラムは差し出された白い華奢な手を取り、ゆっくりと引き寄せた。
そうして、アクラムは、人間になった姫やっすんをお妃さまに迎えます。 めでたしめでたし♪(諸々のことは突っ込んじゃいけません/笑) …という訳で、企画9作目は、ちょっとひねくれた王様アクラム×人魚姫やっすんでした! 天使→妖精ときたら、今度は人魚かしら?とこれまた短絡的思考により、このような感じに。 話のベースはアン○デルセンの『人魚姫』になっているようで、なっていません。つまりは別物(笑)。 一応、アクラム的には、真珠の髪飾りはプロポースの品だった模様。 アクラム愛情表現がひねくれすぎ(苦笑)。 それをやっすんが、上手く拾い上げた…んだと思います、多分(笑)。 戻る