企画 七★季史×泰明

ポツリと白い頬に落ちた雫に、泰明が顔を上げる。
「雨か…」
傍らの季史が呟く間にも、振り落ちる雫は増えてくる。
しかし、泰明は雨を避けることなく、薄墨色の空を大きな瞳で見上げている。
「こちらへ」
そんな泰明の華奢な手を、季史は流れるような動きで捉え、強引ではない強さで引く。
おとなしく付いてきた泰明を、廃寺の屋根下へと導いた。

細い銀の糸のように降りしきる雨は、激しくはないが、なかなか止む気配がない。
ささやかな雨音に馴染む静かな声音で季史が言う。
「今日の舞の稽古は終わりだな」
「そうか。残念だ」
応える泰明の声音は、淡々としていながら、言葉どおり確かに残念そうな響きがあって、思わず季史は小さく笑みを零す。

泰明に舞を教えるようになってから、随分経った。
元より勉強熱心で、素養もあった泰明は、すぐに舞の基礎を会得し、今ではその舞に独自の品格も表れるようになった。
最早、季史が泰明に教えられることはないのだが…
夕暮れ間近のふたりで過ごす短いひととき。
それが、手放しがたくて、「終わり」を口に出来ずにいる。
終わり…
頭を過ぎった言葉に、季史は一瞬苦しげに眉を寄せる。
自身の「終わり」さえ遠ざけてここに在る己を改めて思い出したが故に。

ふと、傍らに座る泰明の絹糸のような髪に、水晶の粒のような水滴が纏わり、煌いているのに気付く。
それに構うことなく、泰明は薄く紗が掛かったような雨降る庭を眺めている。
その様に、一瞬見惚れ、次いで我に返って、傍らにあった乾いた薄衣を取って、泰明の濡れた髪を拭う。
「すまない。気が付かなくて…」
「このくらい濡れたとて問題ない」
「そのようなことを言うな。濡れたままにしておくと、身体が冷える。私とは違って、そなたは生身なのだから」
穏やかに諭すと、泰明はおとなしくなった。
その髪に宿る水気を拭い終わると、季史もまた外を見る。
「…なかなか止まぬな」
呟くように言う。
このまま雨が止むのを待っていては、夜になってしまうだろう。
「誰か迎えを寄越すように伝えたほうが良くはないか?」
式神を使えば、簡単だろう。
そう傍らの泰明に提案する。
本心を言えば、己こそが泰明を邸まで送り届けたい。
だが、浄化されたとは言え、死霊である己はこの寺から出ることは出来ない。
泰明の為なら、どんなことでもしたいと思うのに。
こんな些細なことすら、己には出来ないのだ。
それを思い知る度に、どうしようもないもどかしさをもてあます。
しかし、季史の提案にくるりと振り向いた泰明は、あっさりと首を振る。
「いや、必要ない。雨が止まぬのなら、ここに泊まる」
「……」
思わず絶句した季史に、泰明は華奢な首を傾げ、僅かに不安そうな表情で問う。
「迷惑だろうか?ならば、帰るが…」
季史は我に返って、口を開いた。
「いや、迷惑だなどと言うことはない。ただ…ここには調度らしき調度もないし、食事もない。
そなたに過ごしにくい思いをさせるのではないかと…それが気に掛かったのだ」
「構わぬ」
「そうか。そなたが良いのなら…」
頷いて小さく微笑むと、泰明は、にこりと笑い返した。
時折、泰明はこうした無垢な幼子のような笑みを見せる。
それは一分の隙もないほど整った美貌に、似合わないようでいて、良く似合う。
勿論、常の凛とした表情も。
彼が自分に見せてくれる表情の一つ一つが愛おしい。
手放したくないと、思う。
「泰明?」
不意に、泰明がその場にころりと横になり、季史は意表を突かれる。
季史の戸惑い顔を、泰明は大きな瞳で見上げて一言。
「寝る」
そうして、目を閉じる。
間もなく静かな寝息が聞こえ始めた。
あまりの寝つきの良さに、季史は呆然としてしまう。
が、再び我に返って、身に着けていた狩衣を脱ぎ、泰明の猫のように丸くなった細い身体の上に掛ける。
この無防備な姿は、自分に対する信頼の証なのだろうか。
だとしたら、嬉しいが……
長い翡翠色の睫に縁取られた滑らかな象牙を思わせる瞼を、季史は見るともなしに眺める。
浄化された後も尚、この世に留まり続ける季史に、泰明は何も言わない。
もし、己が季史を繋ぎ止める鎖になっているのだと知ったら、彼はどうするのだろうか。
そこまで考えて、季史はひとり苦笑し、首を振る。
泰明が繋ぎ止めているのではない。
己自身が望んで捕らわれ、繋がれているだけだ。
それを泰明の所為にしようとは…我ながら罪深い。
「…泰明」
そっと呼び掛ける。
「ん…」
泰明が小さな声を上げて、寝返りを打つ。
横向きになっていたのが、仰向けの形となるが、目覚める気配はない。
手を伸ばし、滑らかな頬に触れる。
それでも、泰明は目覚めない。
「……」
暫し、眠る泰明を見詰めていた季史は、静かに華奢な身体の上に覆い被さった。
耳を打つささやかな雨音。
その雨音よりもささやかな、しかし、確かな花の息吹を紡ぐ唇。
指先で触れ、一瞬躊躇う。

叶わぬ願い。
取り戻せない過去。
だが、どんなに罪深くとも、焦がれずにはいられない。

救いを乞うように、口付けた。


企画第7弾は、滅多と見ない(笑)すえやすです。 平たく言えば「やっすんの寝込みを襲う季史」な話です。←平たくしすぎ。 以前書いた季史絡みの話は、姫に直に触れることが出来ない設定でしたが、今回は触れます(笑)。 しかし、滅多と見ない所為なのか、それとも性格を把握し切れていない所為なのか、難しいです、季史…(苦笑) だって、映画もコミックもゲームも受ける印象が違うからさあ… まあ、コミックは「生前」なので分けて考え、時間設定的に、 映画及びゲームの印象を優先して書きました。 そうすると、話がどうしても薄暗くなってしまうという罠。 姫の無邪気さが救いでしょうか。 戻る